性癖だけ広くて市場傾向は狭い国
広いのは性癖だけ、市場傾向は狭い。
今回は“信者を探すエッセイ”改め、
信者候補を精神的にえいってするエッセイ 2 回目です。
でも安心してください。今回もえいって押すのは読者じゃない。
摩耗させてきた“社会”の方です。
日本の市場は「遅れている」んじゃない
“世界と違う方向で成熟しすぎた”んです。
欧米:幅広い層に文学・ファンタジーが根づき、思想と物語が混ざり続けた。
日本:娯楽としての“消費文脈”だけが肥大化し、読者の体力は市場によって削られた。
その結果、文学とファンタジーを繋ぐ橋が失われ、純文学系ファンタジーが育たない。
「一点特化の市場」は強そうに見えて、実はすごく脆いんです。
日本の市場は極端に“快感の型”に最適化された
•勧善懲悪
•安全なカタルシス
•現実逃避
•テンプレで気持ちよくなる型
これだけが強く育ってしまった。
なぜか?
•可処分時間が消えた
•読解体力が社会構造に削られた
•“読み慣れ文化”が衰退
•出版が「売れる型」に依存
だから市場は“広がる”のではなく、“尖って偏った”のです。
これは読者の怠慢じゃない。
社会構造が読解体力を奪ったせいです。
イラストも同じ問題を抱えています。
私は絵描きですが──
萌え絵一点特化で他ジャンルが均等には育っていません。
市場原理がスタイルを強制し、技法の多様性は痩せ細る。
これは創作文化にとってかなり危険。
世界ではリアル〜デフォルメまで“多様な画風”が並立して進化しているのに、日本では“客層の狭さ”に合わせて技法が固定化されている。
確かに日本にもリアルからデフォルメまで描ける人はたくさんいますが画法がテンプレから外れた瞬間一気に商売のプラットフォームから追い出されるのです。
追い出されるというのは不正確ですね。
商売のプラットフォーム、つまり受け取る市場の型が存在しないのです。
これは文学と同じ構造です。
日本の性癖は広いのに、表現の挑戦には狭いです。
私は日本の「性癖の広さ」は大好きです。
静かで広い池のような感性も好き。
でも──
『個人の欲望』には寛容なのに
『表現の挑戦』には不寛容。
この構造はあまり好きではありません。
市場・流通・教育の偏りが、文学とイラストの成長を阻害している。
本来、物語文化を成熟させるのは「多様性」と「批評文化」です。
でも日本ではどちらも弱い。
•ライト文芸
•エンタメ
•純文学
この三階建て構造が断絶したまま成長してしまいました。
「型の大量増殖」が市場を脆弱にします。
日本の文化産業は本当にこれが多い。
一つ当たった型を大量増殖 → 多様性が死ぬ → 市場全体が弱体化
これ、もう限界が来てます。
そして多様性がない市場はAIの学習に最も弱く、大替品になりやすいという構造上の欠陥があります。
絵柄はそれぞれ個性があり、目が慣れた私たちにとって多様に見えてもジャンルの多様性がないのです。
少しキツイことを言うと消費者は誰を選んでも同じという感覚に陥りやすい、熱心な人は違うって言ってくれるけどね。
本当にありがたいことです。
ですが、大部分はそうではないのです。
消費者は誰を選んでも同じ。だからAIで満足し始めてしまう。
理由は単純で、“個人の力量”よりも“市場が強制するフォーマット”の方が強いからです。
これから“ツケの時代”が始まるんです。
こんな偏り方をした市場が、どう変化に耐えるのか?
クリエイターはどう生き残るのか?
消費市場は変化に対応できるのか?
私は未来を憂えています。
終わり。アデュー。
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