第二十二話:『後悔という名の雑草』


91階層、「封印の書庫」。

俺、アレンは、古代魔方陣が刻まれた石畳の上で、荒い息を繰り返していた。

リナの祝福が見せた二度目の幻視。勇者ガイウスの、あまりにも惨めで、虚しい最期。

その光景が、俺の精神に、深く冷たい楔を打ち込んでいた。


「……続けよう」

俺は、目の前の虚空を睨みつけ、エルミナに告げた。

「次は、どの術式を『栽培』する」


「……君」

エルミナが、書庫の奥からふわりと浮かび出て、俺の顔を覗き込む。彼女の半透明の瞳には、いつものからかうような色はなく、純粋な「分析」と、わずかな「懸念」が浮かんでいた。

「君、ひどい顔だ。憎悪に燃えている時の君は、ある種、魅力的ですらあったが……今の君は、まるで中身が空っぽの『器』だ」


「うるさい。俺のことはいい。早くしろ」


俺は、彼女の言葉を遮り、床に描かれた新たな術式――風の刃を生み出す「斬撃」の概念魔術――に、聖魔樹の根を触れさせた。

【深淵なる庭園管理】を発動する。


(憎しみだ。ザグラムへの憎しみ。ガイウスを殺した、あの歪んだ庭への憎しみ。それを糧にしろ)


俺は、意識的に、胸の奥にある復讐心(ガイウスの死で、その行き場を失った憎悪も含めて)を、聖魔樹の根へと流し込んだ。

だが。


バチッ!!


「―――ッ!?」

聖魔樹の根が、術式に触れた途端、激しい拒絶反応を起こして弾け飛んだ。

魔力が逆流し、俺の腕の生体鎧に、黒い焦げ跡を残す。


「……なぜだ……!」

「言ったはずだ、アレン君」

エルミナが、冷ややかに告げる。

「今の君は『空っぽ』だ。君が燃料にしようとしているその憎悪は、もはや純粋な『炎』ではない。それは、君自身が生み出した『虚無』という名の『毒』に侵されている」


彼女は、俺の周りをゆっくりと旋回した。

「憎悪は、強力な肥料だ。だが、虚無は、肥料にすらならない。それは、土壌そのものを殺す『猛毒』だ。君は今、自分の『庭』に、自分で毒を撒いている」


「……黙れ」

「君は、あの勇者ガイウスの死を見て、何を思った?」

エルミナの問いは、俺が最も触れられたくない核心を、容赦なく突いた。


「……何も」

俺は、吐き捨てるように言った。

「何も、感じなかった。俺の復讐の半分は、終わった。それだけだ」


「嘘だね」

エルミナは、俺の目の前で、ピタリ、と止まった。

その青白い瞳が、俺の魂の奥底まで見透かそうとするかのように、細められる。

「君は、今、『揺らいでいる』。あの男の最期の言葉が、君という『土壌』に、余計な『雑草』を植え付けた。……違うかね?」


「…………」


俺は、答えられなかった。

そうだ。

雑草だ。

俺の、復讐のためだけに整えられたはずの、冷たく硬い大地。

そこに、「後悔」という名の、厄介な雑草が、確かに芽吹いていた。


俺は、魔力の逆流で痺れる腕を押さえ、ゆっくりと立ち上がった。

そして、この深淵に来てから、初めて、エルミナに、自分の「弱さ」を吐露した。


「……ガイウスは、死んだ」

幻視で見た光景を、俺は、誰に聞かせるともなく呟いた。

「俺は、あいつが死んだと知った時、喜ぶと思っていた。高笑いすると思っていた。……だが、何も感じなかった。ただ……虚しいだけだった」


ガイウスの最後の叫びが、耳に蘇る。

『リーダーとして、目に見える成果を出さないと、誰も俺を認めない』

『だから、あいつを、そうするしかなかった』


俺は、石畳に、自分の拳を、力なく叩きつけた。


「……もっときちんと、ガイウスの立場や考えをわかろうとしてたら、こんなことは起こってなかったのかもな……」


それが、俺の本心だった。

もし、俺が、パーティにいた頃。

自分のスキルを隠さず、ガイウスに「貢献」を分かりやすく提示していたら。

彼を「リーダー」として認め、彼の「焦り」を理解しようと努めていたら。

ザグラムの介入する隙は、なかったのではないか。

俺は追放されず、リナは死なず、ガイウスも、あんな犬死にをしなくて済んだのではないか。

すべては、俺の「怠慢」と「無関心」が招いた結果ではないのか。


「……馬鹿なことを」

エルミナは、俺の独白を、一瞬、呆気にとられたような顔で聞いていたが、やがて、フッと、息を漏らした。

その顔には、嘲笑ではなく、深い「興味」が浮かんでいた。


「アレン君。君は、やはり、最高に興味深いよ」

「何がだ」

「君は、復讐者だ。憎悪に身を焦がし、この91階層まで魔物を喰らい、私という亡霊と契約してまで、力を求めている。その君が」


彼女は、楽しそうに、そして、どこか愛おしそうに、続けた。


「君が殺そうと誓った敵(ガイウス)の死を、悼み、『後悔』している。……ああ、滑稽だ。滑稽で、哀れで……そして、途方もなく、『人間らしい』」


彼女の半透明の手が、俺の頬に触れようとして、すり抜ける。

「その『後悔』も、その『虚無』も、君の一部だ。アレン君。憎悪だけが君の肥料ではない。君が今、抱えている『雑草』……その『後悔』もまた、君の『庭』の一部として、君は『栽培』しなければならない」


「……後悔を、栽培する……?」

「そうだ。それから目を背け、憎悪で上書きしようとするから、魔力が逆流する。認め、受け入れ、そして、それを『糧』にするのだ」

「君の憎悪は、もう『純粋な怒り』ではない。それは、リナという女性への『愛』と、ガイウスという男への『後悔』が複雑に混じり合った、この世で唯一の『土壌』なのだよ」


エルミナの言葉が、俺の荒れ果てた心に、染み込んでいく。

そうだ。

俺は、もう、ただ憎んでいるだけではない。

俺は、後悔している。

俺が関わった、すべてを。


俺は、ゆっくりと、目を開けた。

ガイウスの死の虚無感は、消えてはいない。

だが、その虚無感を、無理やり憎悪で塗りつぶすのは、やめた。

これも、俺が背負うべき「罪」だ。


俺は、再び、「斬撃」の魔方陣の前に立った。

今度は、憎悪だけではない。

リナへの想い。

ガイウスへの後悔。

そして、ザグラムへの、より冷たく、より重くなった「殺意」。

その、歪で、矛盾した、俺の「すべて」を、魔力として聖魔樹の根に注ぎ込む。


ズズズズズ……!


今度は、術式が、俺の魔力を受け入れた。

聖魔樹の根が、「斬撃の概念」を、俺の「歪んだ土壌」で、確かに「栽培」し始めた。


「……フフ。それでいい」

エルミナが、満足そうに頷く。

「その『重さ』こそが、君の新たな力になる。これで、ザグラム一族に、また一歩近づいたな」


俺は、修行を終え、99階の拠点に戻り、新たに実った【斬撃の種】を、槍の穂先に埋め込んだ。

俺の【炎牙の槍】は、今や、炎と、斬撃の魔術を、同時に放てる、恐るべき兵器へと進化した。


装備を整え、俺は、再び91階層の書庫に戻った。

「エルミナ」

「なんだい? アレン君。次の修行かい? それとも……」

「出口だ」


俺は、書庫の、唯一の「入り口」――俺が入ってきた、92階層へと続く「壁」を、振り返った。

「修行は、もう十分だ。俺は、地上へ行く」

「……」

「90階層への道を、教えろ」


俺の、冷徹な、しかし迷いのない言葉。

それを聞いたエルミナは、それまでの、どこか余裕のあった笑みを、ふっと、消した。

彼女の顔に、この書庫の静寂と同じ、一万年の「諦観」が浮かび上がる。


「……アレン君」

彼女は、静かに、そして、絶望的な事実を、俺に告げた。

「それが、問題なのだよ」


「……どういう意味だ」

「私は、この『封印の書庫』に、一万年近く、囚われている。この91階層の『すべて』を、私は、この霊体で、隅々まで探索し尽くした」


彼女は、俺の目を、まっすぐに見つめ返した。


「アレン君。残念ながら、教えることはできない。なぜなら」


「この91階層には、上層……90階層へと続く『出口』など、どこにも、存在しないのだから」

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