第十九話:『深淵の修行』


91階層、「封印の書庫」。

ここが、俺、アレンの新たな「仮拠点」となった。

99階の「聖魔樹」のテリトリーとの間を、必要に応じて行き来する生活。

食料と武具の「栽培」は99階で行い、「知識」の習得は91階で、この一万年前の亡霊から受ける。

奇妙な二重生活が始まった。


「さて、アレン君。君のその力。実に、実に興味深い」


エルミナは、書庫の中央で、半透明の身体でふわりと浮遊しながら、俺が【深淵なる庭園管理】の力で生成した「甲殻の盾」(の残骸)を、まるで珍しい昆虫でも観察するように見つめていた。


「君は、これを『魔物栽培』と呼んだね。倒した魔物の特性を、『植物』として収穫する力。だが、どうやら君自身、その本質をまるで理解していないようだ」

「……本質?」


俺は、彼女の回りくどい言い回しに、少し苛立ちながら聞き返した。

彼女は、俺のそんな焦りを見透かしたように、クスクスと笑う。


「そうさ。君は、ただ『魔物の特性』をコピーしていると、そう思ってはいないかね?」

「違うのか」

「まるで違うとも」


エルミナは、書庫の棚から、一冊の古ぼけた魔導書を、霊体でありながらまるで実体があるかのように「念」で引き寄せ、俺の目の前に広げた。


「いいかね? 君のそのスキルは、もっと根源的なものだ。それは単なる『栽培』ではない。大地……いや、この迷宮そのものを『触媒』として、『概念』や『現象』そのものを大地に根付かせ、収穫する力だ」


「……概念?」

「そうだ」と、エルミナは続けた。

「君が98階層で狩った『深淵の監視者』。君は、あの魔物の『石化の魔眼』という『特性』をコピーしたのではない。あの魔物が引き起こしていた、『石化』という『現象』そのものを、君の聖魔樹は『栽培』可能な『種子』として、収穫してみせたのだ」


俺は、懐の【石化の瞳】を握りしめた。

現象、そのものを。


「魔法とは何か。君に、分かるかね?」

エルミナは、俺に問いかける。

「……呪文を唱えて、火を出したり、風を起こしたりするものだろ」


「フフ……それも間違いではない。だが、本質ではないね」

彼女は、楽しそうに、半透明の指先で、空中に複雑な術式を描いてみせた。

「魔法もまた、『現象』の一つに過ぎないのだよ、アレン君。炎を出すという『現象』を、魔力と術式で『再現』しているに過ぎない」


そして、彼女は、核心を突いた。


「―――ならば、君には、それが『栽培』できるはずだ」


「!?」

「火を起こす『魔法』という『現象』。それを、君の聖魔樹に『栽培』させ、収穫する。もし、それができたなら……」


俺の脳が、彼女の言葉に、激しく震えた。

もし、そんなことが可能なら。

俺は、詠唱も、術式も、才能も、すべてを無視して、「魔法」そのものを、手に入れられる……!


「……どうやるんだ」

「そう、焦るものではないよ」

エルミナは、俺の食いつきぶりに満足したように、微笑んだ。

「まずは、君の『庭』の土壌、つまり君自身の魔力制御を、基礎の基礎から叩き直す必要がある。君の魔力の流れは、あまりにも荒々しく、歪だ。まるで、雑草だらけの荒れ地だよ」


そこから、本当の「地獄」が始まった。

エルミナの指導は、徹底していた。

「そうではない。魔力とは力任せに引き出すものではなく、水路を流すように導くものだ」

「君の憎悪は、強力な『肥料』にはなるが、それだけでは土壌が『毒』に侵される。君の核にある『聖力』……そのリナという女性の想いを、常に『土壌改良剤』として意識したまえ」


彼女は、俺の魔力制御の甘さを、容赦なく「雑草」と呼び、俺が音を上げるまで、何度も何度も基礎訓練を繰り返させた。

彼女は亡霊であり、俺に触れることはできない。

だが、彼女の「視線」と「言葉」は、どんな教官の鞭よりも、正確に俺の「怠慢」を突き、精神的な疲労を蓄積させた。


(……この女……!)


だが、俺は、食らいついた。

復讐のためだ。

ザグラムに、ガイウスに、俺を嘲笑った連中に、思い知らせるためだ。


数週間後。

俺は、91階層の書庫で、汗だくになりながら、膝をついていた。

目の前には、エルミナが古代魔法で描いた、単純な「発火」の魔方陣がある。


「……いいだろう。ようやく、『種蒔き』にふさわしい土壌になったようだ」

エルミナは、どこか満足げに頷いた。

「さあ、やってみたまえ、アレン君。その魔方陣を、『栽培』するのだ」


俺は、聖魔樹の力を、この91階層まで、地中深く根を伸ばす形で「出張」させていた。

その根の一つ――聖魔樹の「根の先端」を、俺は、エルミナが描いた「発火の魔方陣」に、そっと触れさせた。


「【深淵なる庭園管理(アビス・ガーデニング)】―――『概念栽培(コンセプト・プランティング)』!」


俺が、この修行で新たに自覚した、スキルの応用。

聖魔樹の根が、魔方陣を「情報」として読み取り、その「現象」を吸収していく。


グググ……と、手応えがあった。

99階の俺の「庭」で、聖魔樹が、新たな「実」を結ぼうとしているのが、スキルを通じて伝わってくる。


俺は、99階の拠点へと急いで戻った。

聖魔樹の枝先を見る。

そこには、これまで俺が収穫してきた、いかなる「実」とも異なるものが、実っていた。


それは、まるで「種」そのものだった。

トウモロコシの粒のような、硬く、乾いた、小さな「種」。

だが、その中心には、まるで炎が宿っているかのように、小さな「ルーン文字」が、赤く明滅していた。


「……これが……」

「そうだ」

いつの間にか、エルミナの霊体が、99階の俺の拠点まで、ついてきていた。

彼女は、その「種」を、愛おしそうに見つめた。

「君が初めて『栽培』した、『魔法の種(スペル・シード)』だ。……信じられない。本当に、やってのけるとは」


彼女の驚嘆(きょうたん)をよそに、俺は、その「種」を一つ、もぎ取った。

そして、暗闇のテリトリーの外へ向かって、それを投げつけた。

魔力を込めて。


「―――『発火』」


俺がそう「意図」した瞬間。

投げつけた「種」が、空中で炸裂(さくれつ)した。

ボッ!!!

第一部の農園でエララが使っていたものとは比較にならない、高密度の「火球(ファイアボール)」が、暗闇を切り裂き、遠くの岩盤に着弾。

岩盤を、赤熱(せきねつ)させ、ドロドロに溶かした。


「…………」


詠唱も、魔方陣も、なしに。

ただ、「種」を「蒔く」だけで。


「……フフ」

エルミナが、俺の背後で、熱の籠ったため息を漏らした。

「君は……アレン君。君は、やはり、最高だ」

「君は、私の『希望』だ。いや……それ以上だ。君は、私の一万年の退屈を、すべて吹き飛ばしてくれる、最高の『イレギュラー』だよ」


彼女の青白い瞳が、亡霊とは思えないほどの「熱」を帯びて、俺の背中を、じっと見つめていた。

その視線の意味に、俺はまだ、気づく余裕はなかった。


俺は、自分の手の中に残った「魔法の種」を握りしめる。

【石化の瞳】という「現象」。

【魔法の種】という「術式」。

俺の【深淵なる庭園管理】は、もはや「魔物栽培」の域を超え、この世の「理」そのものを収穫する、恐るべき「戦闘技術」へと、確かに「進化」を遂げていた。

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