第九話:『後悔と、怒りの一矢』


ざり、ざり……。

魔王軍の兵士が、無慈悲な足音を立てて近づいてくる。

俺、アレンの腕の中には、もう決して目を開けることのない、冷たくなっていくリナの亡骸(なきがら)がある。


(……浅はかだった)


後悔が、黒い泥のように心を埋め尽くす。

追放されたあの日、俺は「スローライフだ」と喜んだ。

スキルが覚醒した時、俺は「これで生きていける」と安堵した。

リナと出会い、Zと取引をし、俺は「平穏」と「ささやかな幸せ」を手に入れたと、本気で思い込んでいた。


(……楽観だった)


全てが、偽りだったというのに。

俺のその「楽観」が、俺の「浅はかさ」が、リナを殺した。

俺が、もっと力を求め、このスキルの本質を疑い、ザグラムの嘘を見抜いていさえすれば。

俺が、ただの「庭師」でいることに満足していなければ。

リナは、死なずに済んだかもしれない。


「何をぼんやりしている。さっさと『それ』を回収しろ」


ザグラムの冷たい声。

兵士の、無骨で汚れた手が、俺の肩に触れた。


―――その、瞬間。


俺の胸に当てられた、リナの最後の「祝福」。

彼女の命そのものだった聖なる力が、俺の絶望と後悔と殺意に呼応するように、体内で爆発した。


「―――ッッッ!!!!」


カッと、視界が白く染まる。

傷だらけだった身体が、彼女の聖力によって強制的に癒され、有り余るほどの力が漲(みなぎ)っていく。

だが、それは、リナがもうこの世にいないという、決定的な証拠でもあった。


「……触るな」


地を這うような、自分のものではない声が出た。

俺の肩に触れた兵士が、驚愕の顔で俺を見る。

俺は、腕に力を込めた。


「俺のッ!! 庭園からッッ!!」


ドンッ!!!

俺は、リナを抱いたまま立ち上がり、スキルを発動した。

【庭園管理】―――「土壌活性」。

その応用。


「―――出ていけぇぇぇぇっ!!」


俺が踏みしめた大地。俺が育てたこの黒土が、俺の怒りに応えて「牙」を剥いた。

兵士たちの足元の土が、一瞬にして「沼」へと変貌する。


「なっ!?」

「足が……動かん!」


足を取られ、沈み込んでいく兵士たちを尻目に、俺はリナの亡骸を、唯一焼け残った聖樹の根元に、そっと横たえた。

もう、彼女を汚させはしない。


「……ほう。まだ、そんな力が」

ザグラムが、初めて「面白い玩具を見つけた」という以外の、わずかな「警戒」をその目に浮かべた。

「聖女の最後の力(ギフト)か。だが、それがどうした? 『庭師』が『魔王軍幹部』に勝てるとでも?」


「……勝つ?」

俺は、ゆっくりとザグラムに向き直った。

もう、涙は出なかった。

あるのは、燃え盛るマグマのような、黒い激情だけだ。


「勝てるわけがない。実力差は、分かっている」

俺は、足元の土を掴んだ。

それは、兵士に踏み荒らされた、「聖魔茸」の胞子が染み込んだ、猛毒の土。


「だがな、ザグラム」

俺は、これまでの「経験」のすべてを、この瞬間に注ぎ込む。

聖樹の性質、魔界の植物の毒性、そして、この土地の隅々まで知り尽くした、俺の【庭園管理】スキル。


「スローライフなんかじゃ、なかった」

「俺のスキルは、『育てる』ためだけにあるんじゃない……!」


俺は、聖樹の、まだ地中深くに残る「根」に、リナから受け取った聖力を注ぎ込む。

焼かれ、死んだはずの聖樹の根が、俺のスキルと聖力に反応し、大地の中で槍のように鋭く変異していく。


「この庭園(ばしょ)は、お前を『殺す』ための、俺の戦場だッ!!」


叫びと共に、俺はザグラムに向かってダッシュした。

ただの庭師が、魔王軍幹部に正面から突撃する。

自殺行為。


「愚か者がッ!」

ザグラムが、闇の魔法で俺を迎え撃とうと、右手を掲げる。


―――それこそが、狙いだった。


「まず、これを食らえッ!!」

俺は、右手に握りしめていた「聖魔茸の猛毒の土」を、ザグラムの顔面めがけて投げつけた。


「なっ!? S級の毒胞子だと!?」

ザグラムは、さすがにこれには驚き、咄嗟に魔法を「攻撃」から「防御」に切り替えた。

闇の風が、猛毒の胞子を彼の手前で弾き飛ばす。


「無駄だ! そんなもの――」

ザグラムが勝利を確信し、俺を嘲笑しようとした、その一瞬の「隙」。

防御に意識が向いた、その足元。


「―――今だッッ!!!!」


俺の本当の攻撃が、ザグラムの真下から突き上がった。

俺が【庭園管理】スキルで極限まで鋭く変異させ、リナの聖力を纏わせた、聖樹の「最後の根」。

それは、もはや「根」ではなく、聖なる「槍」だった。


「しまっ―――」


ザグラムの焦った声が響く。

彼は、上からの「胞子」に気を取られ、下からの「根」の奇襲に、反応がコンマ一秒、遅れた。


ズブリ、と。

生々しい、肉を貫く音が響き渡った。


聖樹の槍は、ザグラムの闇の鎧を貫通し、彼の「顔面」を深々と抉っていた。


「…………あ……が……」


時が、止まる。

ザグラムの手が、ゆっくりと自分の顔に伸びる。

彼が触れた場所。

彼の「左目」があった場所には、俺が放った、純白の聖樹の根が、深々と突き刺さっていた。


「成功……した……」

俺は、その場に膝をついた。リナの力を使った反動で、もう指一本動かせない。

だが、やった。

一矢、報いた。

あの傲慢な魔王軍幹部の、片目を潰した。


「…………」


ザグラムは、自分の顔に突き刺さった根を、ゆっくりと引き抜いた。

そこからは、血と共に、闇色の魔力が溢れ出している。


「…………ギ……」


震える声が漏れる。


「ギ……ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!」


この世のものとは思えない絶叫だった。

それは、痛みよりも、遥かに強烈な「屈辱」の叫び。


「きさま……きさまきさまきさま……ただの『庭師』ごときが……! 『培養器』ごときがァァァッ!! この私の、顔にッッ!!!」


ザグラムから放たれた魔力の暴風が、俺の身体を紙切れのように吹き飛ばした。

小屋の残骸に叩きつけられ、全身の骨が軋む。

リナの祝福がなければ、即死だった。


「殺す……!」

片目から血を流し、鬼の形相となったザグラムが、ゆっくりと俺に近づいてくる。

「殺す殺す殺す!! だが、ただ殺しはせん!!!」


彼は、激昂のあまり、もはや俺を「サンプル」として生け捕りにすることさえ放棄していた。

彼が求めているのは、「最大の苦しみ」。


「貴様には、死よりも辛い絶望をくれてやる!! 二度と日の目を見ることのない、世界の最果て! 時空の狭間で、永遠に後悔し続けろぉぉぉっ!!」


ザグラムが、血塗れの右手を俺に突き出す。

その掌に、見たこともない、空間そのものを歪ませる、闇の魔法陣が展開される。


「転移魔法……! それも、座標指定のない、追放魔法……!」


まずい、と思ったが、身体は動かない。

「喰らえ! 【アビス・ゲート】!!」


俺の足元に、漆黒の「穴」が口を開けた。

それは、魔力でできた、底なしの異次元の亀裂。

凄まじい引力で、俺の身体が闇の中へと引きずり込まれていく。


「リナ……!」

俺は、薄れゆく意識の中、リナが眠る聖樹の根元へと手を伸ばした。

届かない。


「ザグラム……!」

闇に飲み込まれながら、俺は誓った。


(必ず、生きて帰る)

(そして、俺からすべてを奪ったヤツらに、同じ絶望を味あわせてやる……!)


俺の意識は、そこで、完全に暗転した。

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