第七話:『蹂躙、そして薄ら笑い』
紫黒の魔炎は、聖樹の断末魔と共に、その純白の幹を容赦なく、ねっとりと舐め上げるように蝕んでいく。
俺の目の前で、リナと二人で、泥だらけになりながら数ヶ月かけて育て上げた、俺の希望そのものだった聖樹が、音を立てて黒い炭へと変わっていく。
「やめろ……やめろぉぉぉっ!」
俺は理性を失い、焼け焦げていく聖樹に向かって駆け寄ろうとした。
「【庭園管理(ガーデニング)】! 治れ! 蘇れ! お願いだ!」
スキルを発動し、わずかに残った土の生命力を、根こそぎ搾り上げるように引き出し、聖樹に注ぎ込もうとする。
だが、聖樹にまとわりつく魔炎は、俺の生命(スキル)が触れた瞬間、それを「燃料」と変えた。
治癒の力は呪いとなって聖樹の内部から爆ぜ、純白の幹はより一層、激しく燃え上がった。
「ぐ……ぁ!?」
スキルが逆流し、俺自身の腕まで焼かれるような激痛が走る。
「無駄なことを」
氷のように冷え切った声が響く。
魔王軍幹部・ザグラムは、まるで出来の悪い道化芝居でも見るかのように、俺の必死の抵抗を眺めていた。
「アレン殿。あなたのそのスキルは、実に素晴らしかった。『育てる』こと、そして『掛け合わせる』ことにおいて、まさに奇跡でした」
ザグラムが手を振るうと、部下の魔王軍兵士たちが一斉に動き出した。
彼らは鍬や剣を、俺が心血を注いで育てた野菜たちに振り下ろす。
リナが「宝石みたい」と笑ったトマトが、ブーツの底で汚く踏み潰され、奇跡のカブは豚の餌のように無残に切り刻まれる。
リナと二人で建て直した小屋は、兵士の一撃で壁が粉砕された。
「やめろ……! そこは……!」
リナが収穫を手伝ってくれた場所。
二人で不揃いなカップを並べた、小さな棚。
二人で笑い合った、聖樹の木陰。
俺のささやかな、あまりにも脆いスローライフの、すべてが。
それは蹂躙と呼ぶにふさわしい光景だった。
だが、彼らの動きは単なる破壊ではない。兵士たちは、土壌のサンプルを冷徹な手つきで採取し、聖魔茸を根こそぎ刈り取り、焼けてひしゃげた聖樹の残骸すらも、慎重に特殊な箱へと詰めていく。
これは、略奪だ。
俺の農園の「研究成果」を、俺という存在ごと、根こそぎ奪い去るための。
「なぜ……なぜこんなことを……!」
俺は、膝から崩れ落ちた。
灰と泥にまみれ、絶望の中、俺は最後の望みをかけて、王都へと続く街道を見た。
これだけの爆発音と火の手だ。王都の衛兵や、ギルドの冒険者が気づかないはずがない。
誰か、助けが――
そして、俺は見た。
街道の、魔王軍の包囲の外側に。
いつの間にか、人だかりができていた。
その顔ぶれを見て、俺は息を呑んだ。
「……あ……」
先頭に立っていたのは、俺の野菜を「奇跡だ」と褒めそやし、「これは誰にも渡せん」と高値で買い取ってくれた商人、ゴルドーさんだった。
その隣には、「あなたのカブで長年の病が治った」と涙まで流して感謝していた、近隣の貴族の姿も見える。
彼らを護衛するように立つのは、市場で「アレンの野菜は俺たちが守る」と笑っていたはずの、王都の傭兵たちだ。
「ゴルドーさん! 助けてくれ! 魔王軍が……!」
俺は、かすれた声で叫んだ。
ゴルドーさんは、俺の顔をはっきりと認識した。
そして―――
にやり、と。
その顔に、汚物を見るような、あるいは獲物を値踏みするような、下卑た嘲笑を浮かべた。
『薄ら笑い』だった。
「…………え?」
ゴルドーだけではない。
貴族も、傭兵も。俺が「築いた」と思っていた関係の、そのすべてが。
まるで、愚かな道化師が破滅する様を眺める観客のように、薄汚い、愉悦に満ちた薄ら笑いを浮かべて、俺を見つめている。
彼らの視線は、燃え盛る農園ではなく、ただ一点、俺にだけ注がれていた。
「な……ぜ……」
「ようやく、お分かりになりましたかな? アレン殿」
ザグラムの、心底楽しそうな声が響く。
彼は、絶望に凍り付く俺の顔を覗き込むように、ゆっくりと近づいてきた。
「あなたは、実に滑稽だった。本当に信じていたのですか? 追放された『無能』が、こんな奇跡を独力で成し遂げられると」
ザグラムは、芝居がかった仕草で手を広げた。
「この『呪われた土地』? あれは嘘です。ただ、我々が手を加え、魔力的な『不毛の地』にしておいただけのこと。あなたのような『実験動物』を隔離するには最適でした」
「……なにを……」
「あなたが市場で『偶然』見つけたという、『世界樹の苗』。あれを用意したのは、私です。私の研究室で、あなたのスキルで『ギリギリ蘇生可能』なレベルまで調整した、仮死状態のサンプルです」
「まさか……」
「あなたがダンジョンから『こっそり』採取したという、『魔界のキノコの胞子』。あれをあの場所に置き、あなたが『手柄だ』と勘違いして盗み出すように仕向けたのも、私です」
血の気が引いていく。
頭の中で、パズルのピースが、最悪の形で組み上がっていく。
俺の努力は、すべて仕組まれたレールの上だった。
「では……俺の、追放は……?」
「ああ、勇者ガイウスですか。あの男は、実に扱いやすかった」
ザグラムは、クツクツと喉を鳴らして笑った。
「傲慢で、短絡的で、自分の力以外を信じない。あなたの『地味な貢献』に気づかないよう、周囲の仲間の目も、少しばかり『金銭』と『甘言』で曇らせておきました」
ザグラムは、思い出し笑いをこらえるように続けた。
「『アレンは役に立たない』と、あの馬鹿な勇者に吹き込むのは、実に容易かった。金貨数枚で、彼らはあなたの淹れたハーブティーを飲みながら、喜んであなたを売りましたよ」
すべて。
最初から、すべて。
俺が追放されたあの日から、この瞬間に至るまで。
俺の人生は、このザグラムという男の掌の上で踊らされていただけだった。
「なぜ……なぜ俺なんだ……」
「あなたのスキルです、【庭園管理】」
ザグラムの目が、初めて本気の「欲」を宿して俺を射抜いた。
「我々は、『聖』と『魔』の力を掛け合わせ、究極の兵器、あるいは究極の薬を生み出す研究をしていた。だが、聖樹は魔界の土を拒み、魔界の植物は聖域で腐る。それを、あなたの『スキル』だけが、いとも容易く『中和』し、『栽培』してみせた」
ゴルドーは、俺の野菜を売って噂を広め、この土地の「価値」を観測するスパイだった。
俺が聖樹と聖魔茸を育てるまで、この土地が「アレンの農園」として確立するまで、彼らは「客」として俺を守り、泳がせていたのだ。
「誰にも渡せん」とは、「魔王軍以外には」という意味だったのだ。
俺は、実験動物だった。
聖樹と魔界の植物を交配させるための、「道具」。
「素晴らしい成果でした、アレン殿。あなたは、期待以上の働きをしてくれた。このデータさえあれば、魔王領で『聖魔茸』を量産できる」
ザグラムは、部下が運ぶ聖樹の残骸に満足げに頷いた。
「さて」
ザグラムは俺に向き直った。
「あなたの『道具』としての役割は、ここで終わりではありません。第二フェーズに移っていただきましょう」
冷たい手が、俺の髪を掴み、泥にまみれた顔を無理やり上げさせる。
その目は、もはや俺を「アレン殿」とは見ていない。「モノ」を見る目をしていた。
「この貴重な『土壌』と、聖樹の『核』、そして……あなたという『培養器』は、我が魔王領にて、厳重に管理させていただきます」
ザグラムの唇が、残酷な笑みに歪む。
「安心なさい。あなたの手足はもう必要ない。ただ、その『スキル』だけが我々の農場に繋がっていればいいのです。あなたの意志とは無関係に、我々があなたの力を搾り取り、死ぬまで、我々のために『栽培』を続けてもらう」
「……あ……あ……」
声が出ない。
スローライフ? 居場所?
すべて、仕組まれた幻想だった。
俺は、あの勇者パーティにいた頃よりもさらに酷い、「家畜」以下の、ただの「システム」にされようとしていた。
魔王軍の兵士が、俺を拘束しようと両脇から腕を掴む。
もう、抵抗する気力すら残っていなかった。
指一本動かせない。
最後に俺の目に映ったのは、燃え落ちる我が家ではなく、街道で、今なお下卑た薄ら笑いを浮かべてこちらを見物している、ゴルドーたちの顔だった。
その顔が、俺を追放した勇者ガイウスの、あの時の侮蔑に満ちた顔と、ゆっくりと重なっていった。
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