第三話:『聖樹の復活と、魔界の胞子』
王都から持ち帰った、黒く枯れ果てた苗木。
俺、アレンはそれを、昨日開墾したばかりの黒土の中心にそっと置いた。
周囲の、生命力に満ちたカブ畑とはあまりにも対照的だ。指先ほどの太さしかない幹は、触れるとポキリと折れてしまいそうで、生命の気配は完全に途絶えている。
昨日、市場で感じた「助けて」という声は、ただの気のせいだったのかもしれない。
(……いや)
俺は首を振った。
あの時、俺の【庭園管理(ガーデニング)】スキルは確かにこの苗木に反応した。
そして、この死んだような姿は、昨日までの俺自身だ。
見捨てることなど、できるはずがない。
「ここが今日からお前の家だ」
俺は苗木のために丁寧に穴を掘り、浄化した井戸水を注ぎながら、そっと植えた。
そして、両手を黒土につく。
「蘇ってくれ……! 俺の力、全部持っていけ……! 【庭園管理】!!」
俺の持つ魔力のすべてを注ぎ込むつもりで、スキルを発動した。
淡い緑色の光が俺の手から苗木へと流れ込んでいく。
枯れた幹が、ピクリ、と微かに震えた。
だが、それだけだった。
カブの時のように、目に見えて成長する兆しはない。俺の魔力だけが、乾いたスポンジに水を吸い込ませるように、苗木の中に消えていく。
「……くっ」
魔力が尽きかけ、眩暈(めまい)がして手を引く。
苗木は、相変わらず黒く枯れたままだ。
……ダメだったか。
いや、まだだ。この黒土の力を信じよう。
俺は疲れた身体を引きずり、小屋の修理の続きに取り掛かった。
◇
翌朝。
俺は、祈るような気持ちで畑の中心を見やった。
「……あ」
思わず、声が漏れた。
昨日まで真っ黒な「炭」のようだった幹。その表面が、まるで古いカサブタが剥がれるように、パリパリと割れている。
そして、その割れ目の隙間から―――たった一つ、小さな、しかし信じられないほど鮮やかな緑色の「新芽」が、朝日を浴びて輝いていた。
「生きてる……! 生きていたんだ!」
歓喜が突き上げてくる。
俺は再び苗木に【庭園管理】スキルを使った。今度は、苗木もそれに応えるように、俺の魔力を受け入れ、自らの力に変えていくのが分かった。
奇跡が起こったのは、それから二日後のことだった。
三日目の朝、俺が小屋から出ると、世界が一変していた。
あの手のひらサイズだった苗木は、天に向かって伸びる、若々しくも荘厳な「若木」へと成長していたのだ。幹は白く輝き、何枚も茂った葉は、それ自体が光を放っているかのように美しい。
そして、何よりの変化は「空気」だった。
(……匂いが、違う)
昨日まで、この土地には常に「呪われた土地」特有の、よどんだ瘴気(しょうき)のような匂いが残っていた。
だが今、俺の小屋と畑を中心にした一帯は、まるで高山の頂にいるかのような、清浄極まりない空気に満たされている。
息を吸うだけで、身体の奥から力が湧いてくる。
「これが、この木の力……」
若木は、周囲の瘴気をすべて浄化し、一種の「聖なる結界」を張っているのだ。
昨日までの「畑」は、今や「聖域」と呼んでもいいほどの空間に生まれ変わっていた。
(……もしかしたら、この木は)
札に書かれていた「呪われた苗木」などではなく、もっと神聖な――それこそ「聖樹」のようなものなのではないかと頭をよぎったが、今の俺には確かめる術はない。
ただ、この木がもたらした「聖域」は、俺に一つの自信と、ある「好奇心」を抱かせた。
俺は小屋に戻り、背嚢の奥底、誰にも見つからないように隠していた小さな革袋を取り出した。
中に入っているのは、黒紫色の、不気味な光を放つキノコの「胞子」だ。
(魔界のキノコ……『デモンズ・マッシュルーム』の胞子)
これは、かつて勇者パーティと攻略した高難易度ダンジョン、その最深部でこっそり採取したものだ。
本来、この胞子は触れるだけで肌を腐らせ、育てば周囲に猛毒の瘴気を撒き散らす、S級の危険物。
ギルドに報告すれば、厳重に封印されるか、浄化魔法で焼き払われるかのどちらかだっただろう。
だが、俺は「庭師」として、この世のあらゆる植物の生態に興味があった。
そして、この危険な胞子の中に、とてつもない「魔力」が凝縮されていることにも気づいていた。
(今なら、できるんじゃないか?)
この「聖樹」が張った結界の中ならば。
この浄化された黒土の上ならば。
猛毒の「魔」の力と、神聖な「聖」の力が、互いに作用し合うのではないか。
俺は、聖樹から少し離れた畑の隅、結界の力がギリギリ及んでいる場所を選んだ。
もし暴走しても、聖樹から離れていれば被害が少ないだろうという計算だ。
「……やってみよう」
覚悟を決め、黒紫色の胞子を土に蒔く。
すぐに土がジクジクと音を立て、不吉な紫色の煙が上がり始めた。
俺は慌てて手をかざす。
「抑えろ、安定しろ……! 毒を消し、力だけを顕現させろ! 【庭園管理】!」
緑色の光が、紫色の瘴気と激しくぶつかり合う。
聖樹の若木も呼応するように、清浄な風を送り込んできた。
聖なる力、魔なる力、そして俺のスキル。
三つの力が混ざり合い、やがて紫色の瘴気は、聖樹の光に取り込まれるようにして中和され、消えていった。
土は、静けさを取り戻した。
(……失敗か? それとも、中和されて消滅したか?)
その日は何も起こらなかった。
俺は少し落胆しながらも、カブの世話を焼き、夜は小屋で眠りについた。
そして、翌朝。
「…………これは」
俺は、胞子を植えた場所を見て、絶句した。
そこに生えていたのは、見たこともないキノコだった。
大きさは、大人の拳ほど。
カサは、夜空を映したような深い藍色。
だが、その表面には、星々のように銀色の粒子が浮かび、神聖な光を放っている。
そして、カサの裏側は、凝縮された魔力であることを示す、不気味な紫色に輝いていた。
美しく、そして、どこか恐ろしい。
俺は、このキノコが持つ意味を、【庭園管理】スキルの知識から直感的に理解した。
(猛毒の瘴気は、完全に消えている。代わりに、胞子が持っていた純粋な『魔力』だけが、聖樹の力によって浄化・増幅されている……!)
これは、奇跡の食材だ。
食べれば、毒性なく、魔力だけを爆発的に増やすことができる。
俺は、聖樹の「聖」と、魔界の「魔」から名前を取り、それを「聖魔茸(せいまたけ)」と名付けた。
聖なる結界を張る「世界樹(仮)」の若木。
魔力を増幅させる「聖魔茸」。
追放された俺の、小さな荒れ地。
そこは今、世界中の誰もが喉から手が出るほど欲しがるであろう、二つの「奇跡」が共存する場所となった。
俺はまだ知らない。
この二つの奇跡の力が、俺の望む「スローライフ」とは正反対の、王都の――いや、世界中の権力者たちを、この小さな庭園に引き寄せることになるということを。
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