第二話 『【庭園管理】の覚醒』


夜の間に冷え込んだ空気が、小屋の壁の隙間から容赦なく入り込み、俺、アレンは寒さで目を覚ました。

ボロボロの毛布一枚では、荒れ地の夜は厳しすぎる。昨日、日没と同時に感じた小さな希望は、現実の冷たさの前に少し萎縮していた。


「……まずは、水と、食料の確保か」


幸い、小屋の裏手には古びた井戸があった。ガイウスが「呪われた土地」と言っていたのを思い出し、恐る恐る中を覗き込むと、水面は淀み、どんよりと濁っている。とても飲めそうにない。


(だが、やるしかない)


俺は背嚢(はいのう)から、パーティ時代から使い古した小さなバケツを取り出し、井戸水を汲んだ。泥が混じった、生臭い水。

俺はバケツに手をかざし、意識を集中させた。


「【庭園管理(ガーデニング)】」


このスキルは、本来「植物」に作用するものだ。だが、植物の根源は水と土。

(もし、この水に含まれる『不純物』を『雑草』として認識できるなら……!)


祈るような気持ちでスキルを発動すると、バケツの中の水が淡い光を放った。

生臭い匂いがすっと消え、水中の泥や不純物が急速に沈殿していく。数分後、バケツの中には、底まで透き通るような清水(せいすい)が満たされていた。


「……できた。浄化できるんだ」


喉を潤すと、清涼な水が身体に染み渡っていく。

小さな、しかし確実な成功。俺は顔を上げた。水ができるなら、次は「土」だ。


俺は荷物から、長年使い込んだ相棒――一本の古い鍬(くわ)を取り出した。

パーティでは「そんなものを背負うから荷物持ちが遅い」と馬鹿にされたものだが、これだけは手放さなかった。


荒れ地の、ひび割れた赤土の前に立つ。

昨日、指で掴んだ感触が蘇る。石のように硬く、生命の気配が欠片もない死んだ土。


「頼む、動いてくれ……!」


鍬を握る手に力を込め、スキルを発動する。

「【庭園管理】!」


そのまま、力任せに鍬を大地に振り下ろした。

ガツン、と鈍い音が響き、硬い土に跳ね返される―――かのように思えた。


直後。


ズブッ、と。信じられないほど柔らかな手応えと共に、鍬の刃が根元まで深く、大地に吸い込まれた。


「え……?」


目を見開く。

鍬が突き刺さった場所から、まるで墨を垂らしたかのように、変化が広がっていく。

石ころだらけだった赤茶色の土が、みるみるうちに潤いを含んだ「ふかふかの黒土」へと変わっていく。

乾いた埃の匂いは消え、代わりに、雨上がりの森のような、豊かで力強い土の香りが立ち上った。


(これが……俺のスキルの、本当の力……?)


パーティにいた頃は、常に時間に追われ、ダンジョンの中や道端の「すでに土壌がある場所」で、既存の植物の成長を少し早める程度にしか使えなかった。

だが、今、俺が集中して向き合った大地は、「死」から「生」へと生まれ変わった。

土壌の超活性化。そして、浄化。


「は……ははっ……!」


笑いがこみ上げてきた。

追放されてよかった、とさえ思う。

俺は夢中で鍬を振るった。スキルを発動し続けると、魔力(MP)がわずかに減っていく感覚があるが、それ以上に、大地が蘇る喜びが俺を満たした。


昼過ぎになる頃には、小屋の前に一坪(約3.3平方メートル)ほどの、完璧な畑が完成していた。

周囲の荒れ地とは明らかに異質な、生命力に満ちた黒土の空間。


「よし……」


俺は懐から、パーティを追放される直前、共有物資からこっそり抜き取っておいた「カブの種」を取り出した。パーティの連中は見向きもしなかったが、俺が品種改良して育てていた、特別な種だ。

それを黒土に蒔き、先ほど浄化した井戸水をたっぷりと与える。


そして、再びスキルを使った。

今度の意識は「浄化」ではなく、「成長促進」。


「育て、育ってくれ……! 【庭園管理】!」


種を植えた場所に、緑色の淡い光が降り注ぐ。

すると、信じられない光景が目の前で繰り広げられた。


土が盛り上がり、双葉が勢いよく顔を出す。

それが、まるで早送り映像のようにぐんぐんと伸び、葉を広げ、根元がみるみるうちに膨らんでいく。


「…………」


あっけにとられて見守っていると、わずか数時間、俺が小屋の壊れた壁を応急処置している間に、それは起こった。


夕方。俺が畑に戻ると、そこには子供の頭ほどもある、真っ白で艶やかなカブが、畑いっぱいに実っていた。


「……嘘だろ」


恐る恐る一つを引き抜く。ずしりと重い。

土を払い、かじりついてみると、シャクっとした歯ごたえと共に、果物と錯覚するほどの瑞々しい甘さが口いっぱいに広がった。

同時に、疲れていた身体の芯から、活力が湧き上がってくるのを感じる。


「……すごい。これなら、売れる」


生活の基盤ができる。

俺は収穫したカブの半分を背負い、残りの半分を小屋にしまい、足早に王都の市場へと向かった。



市場は、日暮れ間近だというのに活気に満ちていた。

俺は八百屋を営む、人の良さそうな初老の商人――ゴルドーと名乗った――に声をかけ、カブを見せた。


「坊主、悪いが店じまいだ。それに、そんなデカいカブ、どうせスジだらけで……」


ゴルドーはそこまで言って、言葉を止めた。

俺が差し出したカブから放たれる、尋常ではない「生命力」に気づいたのだ。ベテランの彼には、それが分かった。


「……ま、待て。それをどこで?」

「南区の外れにある、俺の畑です」

「南区の!? あの呪われた土地で、野菜が育つだと!?」


ゴルドーは俺のカブをひったくるように受け取ると、ナイフで小さく切り、口に放り込んだ。

次の瞬間、彼の目が見開かれる。


「……なっ! こ、これは……! 甘い! 瑞々しい! それに、なんだこの身体に染み渡る力は!?」

「どうです、買い取ってもらえませんか?」

「買う! いくらだ!? いや、言い値で買おう!」


結局、俺が持ってきたカブは、通常のカブの数十倍という破格の値段で全て売れた。

ずしりと重くなった財布。銀貨が数枚しかなかった昨日とは大違いだ。これで当面の食料と、小屋の修理道具が買える。


「坊主! 明日も持ってきてくれるか!?」

「ええ、もちろん」


ゴルドーに礼を言い、俺は高揚した気分のまま市場を後にした。


その帰り道。

市場の出口に近い、怪しげな骨董品やガラクタを並べる露天商の隅で、俺は足を止めた。


「ん……?」


そこにあったのは、手のひらほどの大きさの、小さな鉢植えだった。

だが、植えられているのは、黒く炭化したように枯れ果てた、一本の小さな苗木。

枝は折れ、葉は一枚も残っていない。誰がどう見ても「死んでいる」木だ。


【呪われた苗木・銅貨一枚】という札が刺さっている。


店主が気だるげに言う。

「お、兄ちゃん、それに目をつけるとは物好きだな。どっかの遺跡から出たらしいが、そいつの周りに置いた植物は全部枯れちまう。まさに疫病神だ。ま、銅貨一枚で持ってきな」


普通なら、誰もが避けて通るだろう。

だが、俺がその苗木に近づいた瞬間、懐にしまった俺のスキル【庭園管理】の紋章が、微かに熱を持った。


(……反応してる?)


そして、気のせいか、その真っ黒な苗木の芯の奥から、ほんのわずか、か細い「助けて」という声が聞こえた気がした。


俺は、稼いだばかりの銀貨を一枚取り出した。

「これ、貰っていくよ」

「お、銀貨!? 釣りは……」

「いらない。ありがとう」


店主の制止を振り切り、俺は「呪われた苗木」を掴んだ。

触れた瞬間、ズキリ、と指先から生命力を吸われるような感覚があったが、それも一瞬。


(ひどい有様だ)


なぜだか、他人の、いや、他「木」事とは思えなかった。

パーティから追放され、死んだ土地をあてがわれた俺と、この苗木が重なって見えた。


(俺のスキルなら……この黒土なら、もしかしたら)


俺は、枯れた苗木を大切に懐に抱き、荒れ地にある俺の小屋へと急いだ。

もし、店主が木の知識に明るければ「聖樹の苗木」と書かれていただろう札は、もう風に飛ばされて見えなくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る