第2話 帰ってきた生首
鼻を刺すような薬品の匂いで、意識が浮かんだ。
頭が重い。喉は乾き、目の奥がズキズキと痛む。
「……う、っ」
視界に入ったのは、薄暗い天井と銀色の照明。蛍光灯がジジ、と小さく唸っている。
壁際には冷たい金属の棚。白い布に包まれた何かがずらりと並んでいた。
起き上がろうとした瞬間――ゴトン、と音がした。
「……え?」
視界がぐるりと回った。
床が揺れる。
いや違う、俺の頭が転がっているんだ。
「お、おい……嘘だろ……?」
俺の視線の先、担架の上に――俺の胴体が、身体を起こしていた。
生首。完全に、もげてる。
思考が追いつかない。喉が、声が、出るのに、体がついてこない。
意識が、遠ざかる気がする。ずっと離れてるのは、さすがにまずいとわかった。
身体を担架から降ろす。いや、わかるよ、降りるんだけど主観だとそうなる。
眼鏡とかコンタクトを落とした人がよくやるアレ。情けないやらおかしいやら、俺が探してるのは自分の生首。
昔のゾンビゲームのカメラワーク、不意に操作が変わって戸惑うあの感じ。
なんとか辿り着いた自分の身体。
断面どうなってんだ、グロッ!
首をアンパンマンよろしく戻すと、不意にバチッと繋がった感覚が走る。
「っは……!」
暗くなりつつあった視界が戻る。手が動く。足が反応する。
床に手をつき、全身が震えた。
「マジで死ぬかと思った……いや、もう死んでんだっけ……? あのやろー、嘘じゃねーか」
見回すと、そこは病院の安置室。冷蔵ロッカーが並び、無人の空気が張り詰めている。
足の指につけられたタグに、自分の名前を見つけて、背筋が寒くなった。
とにかく、このままじゃまずい。
壁際のロッカーを開け、使えそうなものを探す。
遺留品を見つけ着替える。そしてマフラーがわりのバスタオルをぐるぐると、しっかりと巻いて首を固定する。
「……これからどうすんだよ……」
ぼそっと呟きながら、そっと扉を開ける。
目指すは裏口。地下から上がれば、ちょうど夜勤の看護師が廊下を歩いていた。
あぶね、と物陰に身を潜めてやり過ごす。
あれだ。ナースステーションの先――あの扉の向こうが通用口のはず。
屈んで行かなきゃ。
……重心がおかしい。
頭が落ちそうだ。
両手で首を抱え込みながら、こそこそと廊下を抜ける。
ようやく見つけた職員用の通用口。幸い鍵はかかっていない。
扉を開けた瞬間――
夜の街が広がっていた。
ビルの合間を縫うように歩きながら、俺は考えていた。
まだ信じられない。
生き返ったようで生き返ってない。
首が取れて、繋がって、今こうして歩いている事実だけは、どうしようもなく現実だ。
アパートの近くを通ると、見覚えのある車が路肩に停まっていた。
父さんと母さんが、大家さんと話していた。
目元が赤く、手にはスーツケース。
「……あ」
泣いてる父さんなんて、子どもの頃ぶりに見た。
声もかけられなかった。
死んだと思ってる息子が、夜中に生首抱えて帰ってきたらどうなる。
すみません、死んでませんでした。
悪魔と契約して復活しました――なんて。
このまま話しかけたら、きっと泣き崩れるか、気絶する。
それくらいのことは想像がついた。
それに、悪魔。なんで説明するんだ。
両親までもやばいことに巻き込むのはよくないと思った。
誰かに相談するしかない。
俺のことを知ってる人間。頼れる相手。
――マキちゃん。
彼女しかいない。
マンションの前に立ち、インターホンを押す。
数秒後、チェーンをかけたままドアが少しだけ開いた。
「……誰?」
茶髪のショートカット。怯えたような目。
間違いない、マキちゃんだ。
「マキちゃん。俺だ。カズマだよ」
「……は?」
彼女の顔が一気に引きつった。
「ちょ、待って、は? カズくん……死んだじゃん!? 私、首があんなことになるの見たんだけど!? 一生モノのトラウマなんだけど!?」
「……落ち着け。話を聞いてくれ」
「いや無理無理無理無理!!」
「手術がうまくいって、ギリギリ――」
「へっ!? そんなのブラックジャックでも無理!」
自分でもふざけた言い訳しか思いつかない。
それでもなんとか説得しないと。
「でもこうやって、家に戻ったら親が荷物片付けてて、他に頼れる人もいなくて!」
「…………」
どうにか頼み込んで、部屋に上げてもらった。
バスタオルを首に巻いたまま、リビングのソファに腰を下ろす。
テレビがつけっぱなしだった。
ニュース番組が、事故の続報を報じている。
《昨日、スタジアムでの落下事故により、大学生の男性が死亡。名前は朝倉一真さん――》
俺の名前だった。
《この悲劇的な事故を目の当たりにした多くの観客が心的外傷を――》
スマホを取り出すと、親と友人からの不在着信が山のように溜まっていた。
「……完全に死んだ扱いだな、俺」
マキは黙って画面を見ていたが、やがてポツリと呟いた。
「出頭したら?」
「は?」
「だって、病院から遺体が消えてるんでしょ? すぐに警察が調査するでしょ……」
「バカ言え。俺が遺体盗んだみたいじゃねぇか!」
「じゃあ今ここにいるカズくんは何なの!? ゾンビ!?」
「ふざけんな! これ見ろ!」
俺はバスタオルを外し――首を持ち上げて、見せた。
「……ひっ」
マキはそのままストンと崩れ落ちて、静かに失神した。
「おいっ……マキちゃん!」
再びタオルを巻き直すと、ソファに彼女を横たえた。
部屋は静かだったが俺の頭の中だけが、騒がしく動いていた。
あの悪魔、アゾート。
契約。生首ダンク。悪魔狩り。
嘘みたいな話だけど、現に俺は生き返ってる。
あれから何が起きてるのか――その答えが、すぐに現れた。
テレビの速報テロップが切り替わる。
《本日午後2時ごろ、都内の高層ビル屋上から複数人が転落死。警察は集団自殺と見て――》
ゾクリ、と背筋に冷たいものが走った。
集団転落。異常死。
……なんだよ、これ。
視界の片隅に、マキのスマホが光っているのに気づいた。
通知の数がえげつない。友人からのメッセージとリンク、X、TikTok、YouTube。
《【閲覧注意】バスケ試合中の生首ダンク映像がヤバい》
《悪魔的偶然? 奇跡の瞬間をスロー再生》
《#首ダンクチャレンジ》
俺の死が、全世界でバズっていた。
「……マジかよ。インプレゾンビども、お祭り状態じゃねぇか」
いいねもRTも止まらない。
どいつもこいつも「衝撃映像」とか「神がかったプレー」だの、好き勝手に切り抜いてる。
俺の死が、数億PVのエンタメコンテンツになってる。
SNSの画面を閉じながら、乾いた笑いがこぼれた。
「……俺、地上最悪のデジタルタトゥー、極まってんじゃん……しかも死後だぜ」
笑ったつもりだったが、喉の奥がひゅっと詰まった。
目の前の画面に映るのは、ネットの祭りの火柱。
そして、その火の粉が俺の首元にも降り注いでいるように思えた。
そのとき――
「いやぁ、素晴らしい。輪の広がりってやつだね。君の生首、まさにトレンドの中心だよ」
ソファの上に、いた。
黒いマント、山羊の角、フードの内側の輪のような顔。
「うわっ、出たッ!」
「はーい、我ちゃん説明に参上!」
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