第28章 Silent gap<緋山 いつき>
リハーサルスタジオに入った瞬間、
ヒカルがいつもの調子で笑いながら声を上げた。
「よっしゃー!
今日もぶっ飛ばすぞ、我がRED SUNS!」
「…元気だな、お前だけ」
ケンがぼそりと呟く。
アツシは黙ってアンプの前に立ち、
サンダーバードのチューニングを始めていた。
その表情はいつになく硬い。
「おいアツシ、テンション低いな?」
ヒカルが茶化すように言う。
「別に。いつも通りだよ」
ヒカルは冗談を言いかけてやめた。
空気が、どこか張り詰めている。
俺はマイクを握り、
試しに一曲目のイントロを合わせてみる。
……違う。
音は合っているのに、
何かが噛み合わない。
アツシのベースは以前よりも
少しだけ強く、硬く鳴っていた。
この前の仙台のライブの時あたりから
吹雪さんのベースを意識しているのだと、
俺にはすぐにわかった。
曲が終わると、
スタジオの中に重い沈黙が落ちた。
「…悪い。もう一回いいか?」
俺がそう言うと、
アツシは「ああ」とだけ答え、
譜面を見ずに目を閉じたまま構えた。
「ワン、ツー、スリー、フォー!」
再び音が鳴る。
だが、今度はアツシの音が先走った。
「アツシ、走ってる」
ケンが声を上げる。
アツシは小さく舌打ちをして、
アンプの音量を下げた。
「…悪い。もう一回頼む」
「焦んなって。別に間違ってはねえし」
俺がフォローを入れたつもりだった。
でもその一言が、逆にアツシの表情を曇らせた。
「…ありがとう。
でも、俺は完璧にやりたいんだ」
その“完璧”という言葉の奥に、
何か他の意味が滲んでいる気がした。
比未子がスタジオの端で見ていた。
彼女の瞳は心配そうで、
けれどどこか遠くを見ていた。
(…なあ、比未子。
今のお前は…何を見てるんだ?)
心の中でそう呟いたが、
言葉には出さなかった。
***
リハーサル後。
機材を片付けながら、
アツシがぽつりと呟いた。
「…まだまだだ。
吹雪さんみたいに弾けるようになりたい」
「お前はお前でいいだろ」
ヒカルが軽く笑って言う。
「そういう問題じゃない。
“大事な何かのために鳴らせる音”が出したい」
「……」
俺は黙ってアツシを見ていた。
その言葉の意味を、比未子が
どんな気持ちで聞いているのか――
想像するのが怖かった。
俺の想像がずれたものであると信じたかった。
***
夜。
リハーサルのあと、比未子と二人で帰路につく。
外はまだ冷たい風が吹いていた。
「アツシ、なんか変だったな」
俺が言うと、比未子は小さく頷いた。
「…うん。でも、アツシさんは
アツシさんなりにすごく頑張ってると思う。
必死に居場所を見つけようとしてる気がする」
「居場所、ね……」
その言葉がやけに胸に残った。
俺も――ずっと探しているのかもしれない。
音の中に、自分の“居場所”を。
比未子が小さく笑う。
「でも、今日のいつきは
ちょっと疲れ気味の太陽だったね」
「うるせえ。
お前が見てるといつだって緊張すんだよ」
そういうと比未子は少し俯いて、
「またぁー!それ、ズルい言い方…」
と言って笑った。
その時はまだ俺も笑えていた気がする。
でも彼女の声がどこか遠くに感じた。
街の灯りが滲み、
夜明け前の東京が、
静かなノイズのようにざわめいていた。
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