第26章 雪と僕の影<月形 アツシ>
ライブが終わったのは
21時を少し過ぎた頃だった。
ステージ裏には、まだ音の余韻が漂っている。
PAのノイズが少しずつ消えていくたび、
“さっきまで確かに生きていた音”
が遠のいていく。
ヒカルが缶ビールを開けながら叫ぶ。
「かーっ! 最高だったな、今日!」
ヒカルの楽しそうな声に
呼応したのか唯さんが笑う。
「お客さんもめっちゃ盛り上がっとったな!
仙台、やっぱウチらの第2の庭やで!」
吹雪さんはタオルで汗を拭いながら、
静かに頷いた。いつもの彼女にしては
口数が少なくおとなしい。
「…久々に“ちゃんと鳴った”気がした」
その隣で僕は無言で
自分のベースをケースに戻していた。
目の前で見た吹雪さんの演奏――
あの低音がまだ耳の奥に残っている。
(僕はあんな音、出せてるだろうか)
いつきの声が聞こえる。
「アツシ、今日のベースライン、
いつもよりすごかったぞ!最高!」
「…ああ、ありがとう」
僕は微笑んで答えたが、
胸の中には小さな棘が刺さったままだった。
(“最高”って言われて、
素直に喜べない自分が嫌だ)
僕はふと、ステージ袖で見た
吹雪さんの横顔を思い出した。
あの目は、どこか遠くを見ていた。
過去を抱えたまま、それでも前に進む目。
同じ“ベースを弾く人間”として、
何か大切なものを突きつけられた気がした。
***
打ち上げは、ライブハウス近くの
小さな居酒屋で開かれた。
雪がちらつく夜、
外から漏れるネオンの光が、
みんなの頬をやわらかく照らしていた。
「かんぱーい!」
唯さんの音頭で乾杯の声が響く。
ヒカルは隣のテーブルで
地元のバンド“Crayon Bloom”と談笑している。
もうすっかり打ち解けたみたいだ。
緋山と比未子さんは奥の席で
コーヒーを飲みながら
次のライブの日程を話していた。
吹雪さんは店の窓際に座り、
外の雪をぼんやり見ていた。
僕はその隣に静かに腰を下ろす。
「…吹雪さん」
「ん?」
「今日のステージ、すごかったです」
吹雪さんは少し照れたように笑った。
「ありがと。キミの音もすごく良かったよ。
最初の頃よりすごく成長したと思うっ」
そんな褒め言葉をもらったのに
僕は全く笑えなかった。
「正直、毎回見るたびに
追いつけないなって思ってました」
吹雪さんは首を横に振る。
「演奏は勝ち負けじゃないよ。
でも…“ポリシーを持って弾ける”人は、
強い音を出すよね」
僕はその言葉を聞いて、
胸の奥が少しだけ温かくなった。
“ポリシーを持って弾く”――
自分にはまだ、その「誰か」がいない。
「吹雪さんは…
誰を思って弾いてるんですか…?」
「…えっ?…そ、それはねぇ…ひーみーつっ」
吹雪さんは僕から目を逸らしてそう答えた。
その瞬間に僕の中でまた以前芽生えた
あの気持ちが湧き上がる。
恋でも嫉妬でもないあの気持ちだ。
「キミのベースの音、優しいんだよね。
誰かを包み込むような音だなって思ったぁ」
「…それ、今初めて言われました」
「ふふっ。初めて言ったからねっ!
じゃあ、これからもそのままでいてねっ!
また一緒に練習しようぜぃっ」
外の雪が街灯の光を反射して、
ふたりの笑顔を白く染めた。
僕にはまだまだ長い道のりが待っている。
「おーい、帰るぞー!」
その時、唯さんの声が店の外から聞こえた。
みんなでぞろぞろと外へ出ると、
雪は本格的に降り始めていた。
「うわ、寒っ!」
比未子さんはコートの襟を立てて
いつきに寄り添った。
そしてそのいつきは空を見上げていた。
「…雪か」
ヒカルが笑う。
「雪ってこんなにキラキラしてるんだなあ」
その言葉に、誰も何も言わなかった。
でも全員、同じものを見ていた。
雪と残響の間に漂うほんの一瞬の静けさ。
僕はベースケースを握り直し、
心の中でつぶやいた。
(僕も…誰かのための音をみつけたい)
白い息が夜の闇に溶け、
遠くの街灯が滲んだ。
仙台の夜はまだ冷たかったが、
その中に、確かな温もりがあった。
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