第11章 寄り添う道<緋山 いつき>
その夜は冷たい風が部屋に入り込んで、
カーテンの端がゆっくりと揺れていた。
比未子が台所で湯を沸かしている。
カップから立ちのぼる湯気が、
ステージのライトみたいにぼやけて見えた。
「またコーヒーでいいですか?」
「うん、砂糖なしで」
マグを手渡された瞬間、指先が軽く触れた。
その一瞬だけで、胸の奥がざわつく。
比未子はコーヒーを啜る俺を、
じっと見つめていた。
「ねえ、緋山さん」
「ん?」
比未子は数回深呼吸をしてから言葉を発した。
「ふぅぅー!えっと…緋山さん。
わたしのワガママ、聞いてほしいです」
その一言で、空気の温度が変わった。
俺は軽く眉を上げる。
「どうした?いきなり。ワガママってなんだよ」
「わたし、緋山さんからもらってばかり。
くやしいです。何もできなくて」
「んなことないよ。メシ作ってくれてるじゃん」
「でも!んんー!そういう事じゃなくて…」
比未子は唇を噛み、言葉を探している。
「緋山さんはたくさんのものをくれる。
でもわたし何も…」
俺は黙っていた。
コーヒーの湯気が、二人のあいだでゆらめく。
「俺はバンドやあんたがいてくれてるから
頑張れてるだけなんだ。
俺一人じゃ何もできねえさ」
「違います!緋山さんはわたしにとって
お日様みたいな存在なんです。
誰にでもなれるものじゃないし…
人って普通こんなに優しくなれないです!」
ふと見ると比未子は目に涙を溜めていた。
「わたしは緋山さんのために何かしたい。
でもわたし…何が出来るかわからなくて…
何も出来なくて…」
大きな目に溜めていた涙が
一気に流れ出していた。
俺は大きくため息をついて、中空を見上げる。
そして息を吐き切ったあと、
比未子の目をまっすぐ見つめた。
「なあ、比未子。
これからも一緒にいてくれるか?」
「ひっく…ぞれっで…どういう意味でずが?」
鼻水が詰まったのか
比未子の声はガビガビになっていた。
「俺だって何もできねえよ。
だから…これから先、
ずっとあんたが支えてくれたらなって」
比未子はティッシュで目と鼻を拭う。
「…それ、ズルい言い方です。
しかも泣いてこんなブサイクな顔の時に
言うなんてズルいです、ひどいです」
「ズルくねえよ。臆病なだけ」
俺がそう言うと、
比未子は小さく笑って首を振った。
「でも嫌いじゃないです 悪くないです」
「茶化すなっつーの」
二人のあいだを、
コーヒーの香りと夜の静けさが包み込んでいた。
窓の外では、街灯がぼんやりと光を投げている。
言葉はいらなかった。
その光の下で、
俺はただ――比未子と寄り添う道を選んだ。
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