第12章 ひまわりの影<緋山 いつき>

「いつき、ちょっと時間あるか?」




父から電話がかかってくるなんて

めったにないことだった。





中濱なかはまさんって社長を覚えてるか?

 お前も会ったことがある社長さんなんだがな。

 中濱社長の会社で営業の人員が

 不足してるようでな。

 お前をスカウトしたいと言って来てる」


「俺を?なんで?」


「理由は知らん。だがお前も21だろう?

 そろそろちゃんと就職をした方がいいし

 いい機会じゃないか?」





それはこれまで何度も言われた言葉だった。




今までは無視し続けていた言葉。

だが比未子と生きていく現実を考えると、

今回は何も言い返せなかった。







「わかった。会ってみるよ」







***







ひまわり医療機器株式会社。


23区のはずれにあるそのオフィスは、

どこか倉庫のようにも見えた。



二階建ての社屋のドアを開けると、

二十人ほどの社員が慌ただしく仕事をしている。


中濱社長は大柄で、

しかし柔らかい笑みを浮かべる男だった。



スーツの襟元に見える小さなピンバッジが、

やけに印象的だった。







「いつきか?大きなったなー!

オヤジさんから聞いとるで?」


「…はい」


「うちで仕事、やってみんか?

君のお父さんにも世話になっとるし、

これからのことも含めて、ええ形にしたいんや」






“お世話になっとる”

――その言葉に、何か別の意味を感じた。




うちの父親の会社がうまくいっていないことは、なんとなくわかっていた。




断ってはいけない何かを、直感で悟った。






「…お願いします」









***








出勤初日。





緊張と眠気の中で会社に着くと、

総務の女性が声をかけてきた。





「今日から配属になる緋山くんね?

お世話役の方をご紹介します。彼も先週、

仙台から異動してきたばかりなんですよ」





ガラス扉が開き、スーツ姿の男が入ってくる。

整えられた髪、少し疲れたような目。



年は俺と近そうだった。





「井川です。よろしく」


「緋山です。こちらこそよろしくお願いします」


握手を交わすと、

妙に冷たい指先が伝わってきた。







***







夕方。




取引先を一通り回って

ようやく社に戻った頃だった。


コーヒーを買いに休憩室へ向かうと

井川さんが先に座っていた。





「ところで緋山くん、君はいくつなんだ?」


「21です」


「きっとその顔なら

 女性にも不自由しないだろう。

 今、彼女はいるのかい?」


「ええ、まあ…」


「やっぱり! 彼女、どんな子?」


こういう質問は、時代が時代なら

セクハラだのと言われるかもしれない。



けれど、悪意のない質問に対して

一方的に黙り込むのも気が引けた。




「…まあ…優しい人です。

 まっすぐで、ちょっと天然で」


井川はしばらく黙り、

コーヒーを見つめていた。




そして小さく呟いた。




「そっか。優しい子、か」





その声に、どこか刺のある響きを

感じたのは気のせいだったのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る