♡ 026 ♡

 学校の休み時間は、玲奈たちからの冷たい視線を受けながら、ギターについてひたすら調べた。夢中でスマホの画面と睨めっこしていた。

 ネックの表面にたくさん打ち付けられている銀色の細い棒は、フレットという名前がついている。ヘッドの両側に三つずつついている銀色のつまみはペグといい、ホールのすぐ下にある木材はブリッジと呼ばれている。


 楽器屋で教えてもらった、Eマイナーコードの意味も判明した。「E」は馴染みのある音名(ドレミ)で言うと「ミ」に当たる。「マイナー」は長調と短調で言う「短調」の方を表している。

 Eマイナーは、「ミ」の音を基調とした、短調の響きがする和音を意味していた。

 コードの種類はかなり多様で、覚え切るには果てしなく時間がかかりそうだった。実際にギターを触って手を動かさないと、これを頭に入れるのは至難の業だと感じる。

 勉強すればするほど、一秒でも早くギターを手に入れたくなった。


 三万二千円に届くまで、あと三千円のところまで来ていた。十一月の頭になれば、親から生活費がもらえる。

 あの赤茶色のギターの姿を思い浮かべるだけで、心は満たされた。これほどまでに、一つの存在を待ち望んだことがあっただろうか。初めて知る種類の、確実で静かな幸福が、殺風景だった彼女の世界に揺るぎない支柱を打ち込んだ。


 二週間ほど前に楽器屋を訪れた時、赤茶色のギターから値札が外されていることに気がついた。瞬時に頭が冷えた。日々の幸福を失うことに怯えながらあの店員に訳を尋ねると、

「売約されたわけじゃなくて、メンテナンス中なんですよ」といつもの冷静な笑顔で答えた。それを聞き、張り詰めていた呼吸がようやく戻ってきた。


 最後に楽器屋に行ったのは三日前。あのギターに広香の姿を覚えてもらうため、何度も会いに行っていた。

 店員とは顔を合わせれば挨拶する仲になり、音楽理論について聞けば、なんでも教えてくれた。

 名前も覚えた。笠井というらしい。

 

 赤茶色のギターは、依然として同じ場所に佇んでいる。二週間前に値札が外されてから、それが戻されることはなかった。

 確証はないけれど、笠井が広香に計らってそうしてくれているような気がした。

 野暮なことは聞かずに、広香はその愛らしい木製の楽器を思う存分に眺めた。

 


 

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