♡ 020 ♡

「おはようございます。突然お邪魔してすみません。百瀬といいます。広香ちゃんにはいつもお世話になっています」

 リビングで朝食のトーストを食べている広香の母親に向かって、みなもが仰々しく挨拶をした。

「おはよう。広香のお友達が来てくれるなんて嬉しいわ。何も気にすることないから、好きに過ごしてね」

 広香の母は愛想良くにこやかに返す。

「広香、百瀬ちゃんと朝ごはん食べてから行く?」

 母の問いかけに対して、広香は首を横に振った。

「そんなに時間ないから、コンビニで済ませるよ。百瀬さんもそれでいい?」

「うん! 大丈夫」

 母は、小さく「そう」と呟き、トーストに目を戻した。


 二人で身支度を整えて、出かけようという時だった。玄関のドアに手をかけようとした広香の袖を、みなもが引っ張った。

「広香ちゃん、ギター持っていけないかな」

 そう言って恐る恐る広香の反応を待つ。

「学校に持っていくってこと? なんで?」

 広香はみなもから目を逸らし、深く考え込んだ。


「毎日じゃなくていいんだけどね、お昼休みとか放課後に広香ちゃんのギターが聞きたいの。こうやって何度もお家にお邪魔するのも悪いし」

 一生懸命にその理由を組み立てて、みなもはどうにか許しを得ようとする。

「本当は毎日広香ちゃんのギターを隣で聞きたい。それくらい好きなの。だからお願い」

 広香はしばらく口を閉ざし、腕組みをして自分の部屋の方を見上げていた。そして意を決したようにみなもに向き直り、

「わかった」

 と端的に、ただどこか煮え切らない様子で答えた。


「無理してない?」

 みなもは心配そうに広香を覗き込む。

「そういうわけじゃないんだ。ずっと持っていきたいとは思ってたよ。ただ少し」

 そこまで言うと広香は言葉を切った。一度足元に視線を落としたけれど、すぐに顔を上げて

「でも気にするほどのことじゃないから大丈夫」

 と犬歯をちらりと見せて笑った。


「そう……?」

 広香の歯切れの悪い物言いに引っかかる。みなもは戸惑ったが、無理に聞き出すことはしなかった。

「ちょっと待ってて。ギター持ってくるから」

 広香は部屋に上がり、ケースにギターを押し込んで、それを背負って階段を降りる。


 昨晩ベッドでみなもが口にした言葉が、綿雲に包まれた月のように頭に浮かんだ。

『みなもって呼んで』

 暗闇の中で、微かに艶めく眼の光。青白く清らかな頬。端正な唇。

 それら全てが視界に焼き付いていて、「みなも」と呼ぼうとする度に残像が蘇る。同時にそれは喉に鍵をかけてしまった。


「百瀬さん、お待たせ。行こうか」

 広香はそう声をかけ、二人並んで学校へ向かった。ギターを背負って外を歩くのは、楽器屋でギターを買った日の帰り以来だった。

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