カルテ1:医者の言うことは聞いておくものだ。

「カンちゃん、面白い小噺をお願い」


佐藤はキーボードから、型落ちの診断用AI「DDx-21c」に入力した。


「私は、診断用AIなので、面白い小噺は無理ですよ。それに、どうして私は『カンちゃん』なんですか?」


とディスプレイに返事が表示される。この「DDx-21c」は汎用の生成AIをベースに、診断機能を強化したものであり、対話形式のインターフェイスが「使いやすい」とかつては一世を風靡したマシンであった。現在最新式の「診断AI」より2世代ほど古いため、この本間寺病院のような貧乏病院にも導入できたのである。


「そりゃ、カンちゃん。君の名前の『DDx』は、「鑑別診断かんべつしんだん(Differential Diagnosis)」の略語やろ?だから『カンちゃん』、実にいいニックネームだと思うんやけど」


佐藤は、チャットを楽しむかのように、メッセージを入力していく。こういった「雑談」の相手を、見た目は「イヤイヤ」しているようで、実は「ノリノリ」のように見せるインターフェイスが、かつて「名機」と呼ばれたところなのだろう。


「わかりました。私の名前は『カンちゃん』でいいですよ。では、小噺ですね。『私の身近な人が、調理中に「砂糖の容器」を落としてしまって、掃除が大変でした』、こんなものでどうですか?」


と文字が現れてくる。


「カンちゃん、それのどこがおもしろいん?」

「先生、名前が「さとう まきお」でしょ。だから、「砂糖を撒いた」話を創ったのですよ」


「何やねん。人の名前で遊ばんといて」

「先生も、私の名前で遊んでいるじゃないですか」


なかなかAIも減らず口を叩くものである。


「佐藤先生、カルテが回ってきましたよ。紹介状つきです」


と外来担当の看護師さんが、患者さんのカルテを持ってきた。当院の物忘れ外来にかかりつけの70代女性、井上さんである。持参の紹介状をスキャン、持参された画像データをDICOMシステムに読み込ませ、佐藤も紹介状や画像データを確認した。


前医は、山の手にある「奥山聖十字病院」だった。1930年代に作られた結核サナトリウムをルーツとする病院である。今は病院の周りもすっかり住宅地となっているが、おそらくかつては、病院以外、何もなかったところなのだろうなぁ、と佐藤は想像するのである。


実際にこの病院まで行くには、最寄駅からバスで20分ほどはかかる場所にある。おそらく高度成長期~バブルのころに宅地造成が進んだんだろうなぁ、なんて、今の奥山聖十字病院の周りを考えると佐藤は思ったりした。井上さんのカルテに記載の住所を見ると、本間寺病院の近辺にお住まいなので、たまたま救急を受け入れできる病院がなかったんだろうなぁ、なんてことを考えた。


スキャンした紹介状から文字起こし→解析を始めていたカンちゃんのディスプレイから、警告メッセージが出た。


警告:紹介先の病院が正しくありません。患者さんは誤って当院に来たと考えます


とのことだった。確かに紹介状のあて名は当院ではなく、近くの急性期病院である「墨碩ぼくせき総合病院」となっていた。井上さんは確かに当院の物忘れ外来に定期通院中で、体調不良の時には、内科にも受診され、訪問看護もうちの訪問看護ステーションが介入しており、うちがかかりつけであるのは間違いない。なのに、なぜ前医は、墨碩総合病院に紹介状を書いたのだろうか?


佐藤は「なんか変やなぁ」と思いながら、紹介状に目を通した。


主訴は2日前からの発熱、倦怠感で、前医の診断は「尿路感染症」となっていた。大変興味深いことに、持参された各種検査データは、「ここまで調べるか?」というほどたくさんの検査が行われており、奥山聖十字病院では、相当診断に苦慮したようである。


うちのカンちゃんも、取り込んだたくさんのデータと紹介状の内容から、鑑別診断のリストアップをするのに時間がかかっているようである。


持参の血液検査、尿検査を見ると、白血球の軽度上昇(10000程度、好中球78%)と、CRPの軽度上昇(6程度)、そして、一応は「膿尿」の基準は満たしているものの、尿中白血球 5-9/H以外に問題となりそうなデータは見当たらなかった。


胸部単純CT、腹部造影CTを撮影しているが、胸部CTでも肺炎像は見当たらず、「尿路感染症」、すなわち「細菌性腎盂腎炎」を考えるには、細菌性腎盂腎炎の「造影CT像」の特徴である、腎臓の一部が造影されない「急性巣状糸球体腎炎」の所見がないのである。


そんなことを考えていると、カンちゃんのディスプレイに、現時点での「鑑別診断」がリストアップされてきた。


#1 現時点でfocus不明の細菌/真菌感染症の疑い

#2 膠原病の疑い

#3 悪性リンパ腫の疑い…


などと出てきている。やはりカンちゃんも「尿路感染症」は「変だ」と考えているようだ。


診察介助に入っている看護師さんが井上さんを呼び込み、診察室に入ってこられた。ご本人の表情は穏やかで、重篤感は感じない。予診室で確認したバイタルサインは、BT 38.3度、血圧 146/88,脈拍 82回/分、整、SpO2 98%だった。


「お待たせしました。佐藤と申します。お手紙を拝見しました。お熱で奥山聖十字病院に救急で受診されたのですね。体調が悪くなったのはいつ頃で、どんな経過をたどり、どんな症状があったのか、お聞かせ願いますか?」


と、佐藤は井上さんのお話を伺うこととした。


特にきっかけもなく、2日前にデイサービスに出かけたところ、38度台の発熱があり、その日はデイサービスをお休みしたそうである。熱はあるが、食欲はあり、咳や鼻水、咽頭痛や排尿時痛、腹痛などの自覚症状はなかったそうである。昨日の午後、訪問看護師さんがやってきたが、やはり38度台の発熱が続いている、ということで、物忘れ外来の主治医に連絡し、


「大きな病院で調べてもらうように」


との指示を受け、救急車を呼んだ。ところが、なかなか近辺では受け入れ病院がなく、遠方の奥山聖十字病院に搬送されたそうだ。同院でたくさん検査をしてもらい、


「尿路感染症であり、しっかり治療を受けてください」


と説明を受け、墨碩総合病院宛ての紹介状と、2日分の抗生剤をもらったらしい。今日も38度の熱が出ているので、訪問看護師さんに指示を仰ぐと、


「墨碩病院は混んでいるから、うちに受診した方がいい」


と言われたので、今日こちらに受診しました、とのことだった。


なるほど、その判断の是非は別として、うちに受診したことは、佐藤にも理解できた。


「では、お身体を見せてください」


と伝え、慎重に身体所見を確認した。

外観:重篤感なし。意識声明、体温 38.3℃、血圧 142/96、脈拍 84回、整、SpO2 97%、頻呼吸なし。結膜に貧血、黄染はなく、前頭洞、上顎洞の叩打痛はなし。耳鏡で確認し、両側とも鼓膜に問題なし。咽頭の発赤なく、扁桃腫大なし。頸部リンパ節の腫脹、圧痛はなし。心音、呼吸音に異常なく、腹部は平坦、軟、圧痛なし。CVA領域の叩打痛なし。四肢の関節の腫脹熱感なく、下腿に出血班なく、浮腫を認めない。


「AIに情報を入力するので、少し時間をください。その間に、昨日から今日にかけて、抗生物質を飲まれて血液検査がどのように変化したのか、血液検査を確認させてください」


と佐藤は井上さんに伝え、院内緊急項目の血液検査の指示を出し、井上さんに検査に向かってもらった。


カンちゃんに必要な情報を入力し、血液検査を確認した時点で、再度鑑別診断をリストアップしてもらうこととした。


井上さんの結果が出るまでの間、「いつもの薬」の処方希望で来院された方の診察を行なった。体調に変化がなく、身体診察を行なって大きな変化がなければ、カンちゃんの力を借りるまでもなく、いつもの薬を日数分処方する、ということになる。もちろん、患者さんと雑談したり、お話を聞いたりはするのだが、よほど「臨床上問題だ」ということでなければ、これは人間の診察のみで対応可能である。


30分くらいで院内緊急採血の結果が出る。結果は佐藤にも、そしてダイレクトにカンちゃんにも情報が飛ぶ。持参のデータと比べると、白血球の増減は目立たず。CRPは5台に下がっていたが、細胞の新陳代謝を示すLDHが600程度に急上昇していた。これは、身体の中で細胞が急速に破壊されていることを示している。


しばらく待つとカンちゃんのディスプレイにも新たな鑑別診断が表示された。


#1 悪性リンパ腫の疑い

#2 骨髄異形成症候群の疑い

#3 EBウイルス感染症再燃の疑い……


とリストが上がってくる。


カンちゃんのリストには上がってきていなかったが、佐藤の記憶の中にはある病名が浮かび上がっていた。彼が医学生のころ、地域の病院の勉強会で始めて病名を知り、後期研修医のころに、「訳が分からないけど、このままなら死んでしまう」と混乱していた時に、検査技師さんのファインプレーで診断をつけることができた疾患である。


佐藤の頭に浮かんだのは「血球貪食症候群」であった。血液検査では、貯蔵鉄の指標である「フェリチン」が振り切れるほど上昇し、確定診断は骨髄穿刺/骨髄生検で診断される疾患である。EBウイルスなどによるものや、悪性リンパ腫などでもみられる病態である。カンちゃん、いいところを突いている。


佐藤は井上さんと付き添いのご家族を診察室に呼び込み、結果と病状を説明。


「診断として、私は『血球貪食症候群』という、血液を作る骨髄の中で、血球の成熟に必要なマクロファージが、何らかのきっかけでその血球を貪食、破壊する疾患を考えます。AIの診断も、血球貪食症候群のきっかけとなるような疾患がリストアップされています。

この疾患は専門が『血液内科』になります。ご紹介いただいた奥山聖十字病院は、大学病院と同レベルの『血液内科』があり、昨日のデータもあるので、再度奥山聖十字病院にお手紙を書きましょう。しっかり診てもらいましょう」


と佐藤が説明した。ところが井上さん本人が


「あそこの病院、遠いし、山奥の方で辛気臭いからもう行きとうない。墨碩総合病院では見られへんのかなぁ?」

「いや、今の状態やったら、絶対奥山聖十字で、今から治療してもらう方がいいですよ。墨碩病院の血液内科は、非常勤の先生が、週に2回外来をしているだけやし、次の受診となると、4日後ですよ。その時間で命を左右しますよ」


と押し問答となってしまった。付き添いのご家族が、


「お母さん、先生もそう言うてはるし、もう一度奥山聖十字病院に行きましょうよ」


と何度も助け舟を出してくれたが、井上さんは首を縦に振らない。井上さんは本当に奥山聖十字への紹介は嫌だったようである。何か気に障ることがあったのだろうか?


とはいえ、本人があれほど嫌がっており、ご家族も、ご本人の意見を尊重したい様子である。首根っこをひっ捕まえて、というわけにはいかない。カルテに詳細を書いて、後は墨碩総合病院に任せざるを得ない、と佐藤は考えた。


「そしたら、4日後に血液内科の外来が開設されているので、必ずそこで診察を受けてください。紹介状もお渡しください」


と佐藤は伝え、前医から処方されていた抗生剤を、墨碩病院受診日まで追加し、診察終了とした。大急ぎで、血液内科あての紹介状を作成し、


「血液内科受診までに、状態が悪化しませんように」


と、プリントアウトされた紹介状に手を合わせ、佐藤は祈りを込めた。


外来が終了後、佐藤は少しカンちゃんと会話した。


「あの井上さん、私が経験したことのある『血球貪食症候群』の可能性が高いと思うねん。その時はT細胞リンパ腫が原因やったけど、初診の時はただのウイルス感染やと思てて、4日後の再診時にもう一度採血したら、とんでもないことになっていたことを今でも覚えてるわ」

「なるほど、『血球貪食症候群』であれば、『学習モード』で患者さんのIDと今回の病名を入力してください。再度学習します」


「学生時代に症例勉強会で発表されていた症例では、1か月ほど高熱が引かなかったそうやけど、僕が診た患者さんは、死なんでほんまによかったよなぁ、と今でも思てるよ。それほどあの患者さん、データがひどかったもん。心の底から、『訳わからんけど、この患者さん、このままやと死んでまうー』って心の中で泣きそうやったわ。血液に詳しい検査技師さんが、フェリチンを測定してくれて、『先生、フェリチン振り切れてます』って言われて、突然すべてがつながった、という感覚はよう忘れられへんわ。」

「あとは、患者さんがちゃんと受診してくれて、医師が適切に対応してくれるのを祈るのみですね」


佐藤の外来に受診したのが金曜日、血液内科受診予定が次の火曜日である。火曜日に医事課から連絡があり、墨碩病院から返信が届いた、とのことだった。佐藤はずっと気にしていたので、慌てて外来に向かい、返信を確認した。


返信は「血液内科」からではなく、「総合内科」から出されており、


「敗血症を考え、バンコマイシン、メロペネムで加療を行ないます」


とだけ記載されていた。佐藤は、心の底から「ガックリ」と気落ちした。誰にも聞こえないように、


「何やってんの?ふざけてんのんか?」


と怒りの言葉をつぶやいた。血液内科医が患者さんを診て、『総合内科』に『よろしく』と丸投げしたのか、受付の時点で『総合内科』に回したのか、詳細は不明だが、こちらからは、前医の検査データをすべて同封して紹介したわけである。正直なところ、「あ~あ、ちゃんと診断名まで書いたのになぁ。何でやろ」という気分だった。


そして金曜日に外来に向かうと、看護師さんから、


「先生が先週見てくださった、物忘れ外来に通院中で、奥山聖十字病院から紹介されてきた井上さん、先ほど訪問看護部に連絡があったようです。先ほど奥山聖十字病院で『永眠』されたそうです」

「え~っ!!、ほんまですか!!」


と佐藤はびっくりした。しかし、前回受診以降の対応を考えると死んでしまうのも無理ないだろうと考えた。


「『このままやったら』ってわざわざ紹介状に書いていたのに、真剣に受け取ってもらってなかったなんて、めっちゃ残念し悔しいなぁ。『ほら、見てみい!』と言いたい気分やわ。でも、何であんなに嫌がっていた奥山聖十字病院で亡くなりはったんやろう?」


という疑問が浮かび、どうしてもそれが気になった。


なので、墨碩総合病院主治医と、奥山聖十字病院の主治医宛てに


「臨床経過が早く、大変驚いています。後学のために、臨床経過を教えてください」


と、問い合わせの診療情報提供書を送付した。墨碩総合病院からは、


「敗血症と診断し、抗生剤を投与していましたが、状態悪化し、☆月△日、奥山聖十字病院に転送しました」


と短い返事が返って来たのみであった。奥山聖十字病院からは、血液内科の医師から、丁寧な返事が返ってきた。


「☆月△日の午前中、緊急で墨碩病院より転院の依頼がありました。当院到着時点で、意識レベルはJCS-3-300と深昏睡、血圧 86/52、脈拍126とショック状態でした。前医からのデータではフェリチンが3000~10000と著明な高値であり、他の血液データも考慮し「血球貪食症候群」と診断しました。当院転院後、速やかにステロイドホルモン、昇圧剤などの投与を行ないましたが、全身状態改善せず、同日夜に永眠されましたた」


とのことだった。 フェリチンが著高する代表的な疾患は、Still病か、血球貪食症候群である。


ほら~!!、俺と、カンちゃんの診断通りやろう、墨碩病院の血液内科医はちゃんと見てくれたのだろうか??と怒りを感じながら、二つの診療情報提供書を見て、頭を抱えたのであった。

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