カルテ2:カンちゃんの面目躍如

これは、「カンちゃん」が導入されたばかりの頃の話。


病診連携室を通して、佐藤のもとに、緊急の入院依頼が届いた。近くの急性期病院である「白梅病院」のERから、「満床のため、こちらで入院をお願いしたい」とのことであった。病院の方針として、他院からの入院依頼であれば、明らかに診療科が異なる場合(例えば、「植皮が必要な熱傷患者」(形成外科)みたいなもの)以外は「受け入れること」となっている。


白梅病院からの紹介状には、


「漢方薬の不適切使用に伴う低カリウム血症、全身の筋力低下」


とあった。佐藤は導入して間もない「カンちゃん」に、紹介状を取り込んだ。そして、患者さんが来るまでは、「雑談モード」でチャットを行なっていた。


「カンちゃん、漢方薬で電解質異常を起こすことは多いの?」

「現在の医療用漢方薬はすべて、ターゲットとする症状に応じて複数の生薬が混合された、『レディーメイド』となっています。頻用される「桂皮」や「甘草」などは多数の漢方薬に含まれているので、複数の漢方薬を内服している人には、『過剰投与』となることがあります。『甘草』はアルドステロン類似作用があるので、電解質異常があってもおかしくはないと思いますが、アルドステロン様作用が強くなれば、『高カリウム血症』となる可能性が高く、『低カリウム血症』とはつじつまが合わないでしょう」


「なるほどなぁ…。でも、紹介状にはあまり詳しい情報が書いてへんから、患者さんが来られて、診察をしてから詳しい病歴と身体所見、検査データ、また入力するわ」

「わかりました。先生の診断をサポートするよう、頑張りますよ」


と言葉を交わす。相手が「生成AI」とはいえ、「サポートするよう、頑張ります」と言ってもらえると、なんとなく心強い。


小一時間ほどで、白梅病院からストレッチャー式の介護タクシーで、患者さんである山本さんと奥さんが来院された。全身の筋肉に力が入らない、ということで車いすにも安定して乗れないそうだ。介護タクシーのストレッチャーから、処置室のストレッチャーに、佐藤と看護師さんたちで身体を持ち上げ、乗り換えてもらった。


「初めまして。内科の佐藤と言います。白梅病院からの紹介状は届いていますが、詳しい話を聞かせてくださいますか?何度も同じことを聞かれているかと思いますが、申し訳ありません」


と言って、山本さんのお話を伺った。その間に「カンちゃん」に、前医で撮影した胸部レントゲンと、血液検査結果を読み込んでもらう。


山本さんは60代後半の男性。奥様と二人暮らし。昨年仕事を退職したそうで、仕事は事務職だったそうだ。見た目はずいぶん痩せているように見えるが、ご本人も奥様も、


「若いころからやせ型だったのですよ」


とおっしゃられるので、病的に痩せているのか、もともとの体格なのかは分からなかった。既往歴は、若いころに十二指腸潰瘍と言われたことがあるくらい、とのことだった。


「いやぁ、自分でいうのもはばかられますが、私も妻も『健康食品』オタク、とでもいうのでしょうか、週に一度は健康食品のお店を回っているんですよ」


とおっしゃられ、それが「趣味」だそうだ。お酒も飲まず、タバコも吸わない、とのことだった。


1カ月半ほど前に、行きつけの健康食品店で、「身体の水毒を出す」という触れ込みで、タンポポの根っこを煎じて飲む「タンポポ茶」を店員さんに勧められ、それを飲み始めたそうだ。薬効はあらたかで、尿がたくさん出るようになったが、口の中が粘っこく感じるようになり、ひどく喉が渇くようになったそうである。そのころから、何となく体のだるさや力の入りにくさを自覚するようになった。なので、その健康食品店に相談したところ、


「それは、身体が健康になる前に、一時的に体調が崩れる『好転反応』と呼ばれるものです。心配せずに、飲み続けてください」


と言われたので、飲み続けたそうだ。そうこうしているうちに食欲は落ちてきて、便秘もするようになり、身体の「芯」に力が入らないような感じがするようになったそうである。今朝から、手足に力が入らず、身体も起こせず、這うこともできなくなったため、救急車を呼んで白梅病院に行った、とのことであった。


身体診察を行う。

意識は清明。外観は、重篤感はなさそう。体温 36.2℃、血圧 112/76mmHg、脈拍 68回/分、整、SpO2 98%、頻呼吸は認めない。外観は痩せて、消耗しているような印象。意識は清明。結膜に貧血、黄染なし。咽頭に発赤なく扁桃腫大なし。頸部リンパ節を触れず、明らかな甲状腺腫を認めない。

心音、呼吸音に異常を認めない。腹部はやや陥凹、軟、明らかな圧痛を認めない。明らかな腫瘤を触れない。下腿浮腫を認めない。皮膚のツルゴールは低下(ツルゴール:簡単に言えば、皮膚の「張り」のこと、正常なら手の甲の皮膚をつまんでもすぐに戻る(ツルゴール正常)が、脱水などがあると、つまんだ皮膚がすぐには戻らない(ツルゴール低下))、

徒手筋力テスト(MMT)(右/左)、握力 (4/4)、肘の屈曲、2~3/2~3,肘の進展 2/2、膝の屈曲 2/2、膝の伸展 2/2

(徒手筋力テストは、検者(医師など)の筋力を基準に評価を行なう。5点満点で、全く動かせなければ0点、重力に負けないで運動ができれば3点、健常者と変わらない筋力なら5点と考えると分かりやすい)


持参の胸部レントゲン写真、頭部CTでは明らかな異常を認めない。さっと心電図に目を通すが、問題のあるような心電図には見えなかった。持参の血液検査データでは、動脈血液ガス検査で、pH 7.385,PO2 75mmHg、PCO2 42mmHg、HCO3 25mmol/Lと酸塩基平衡に異常なく、呼吸抑制も起きていないようである。一般採血では、Na 141、K 1.8、Cl 110と著明な低カリウム血症がある以外に、目立った以上はなさそうであった。


診察で得た病歴や身体所見などを入力し、前医から持参のデータと統合して、カンちゃんの判断を少し待つ。15秒ほどの時間を置いて、鑑別診断のリストがディスプレイに表示された。


表示されたリストを見て、佐藤は少し当惑した。リストの1番には、予想していなかった病名が表示されていたからだった。


#1 腫瘍随伴症候群の疑い

#2 漢方薬による偽性Bartter症候群の疑い

#3 甲状腺機能異常に伴う周期性四肢麻痺の疑い…


「えっ、鑑別の一番に腫瘍随伴症候群??何やろ??まぁとりあえず、入院後の血液検査で、PTHrPや甲状腺機能、外注項目となるMgやCaなども提出しておこう」


と佐藤は考えた。山本さんには、「医療AIでは悪性腫瘍に関連する疾患が一番に上がってきた」ということは現時点では伝えず、


「では、白梅病院からの情報に沿って、点滴でカリウムの補充と脱水の補正を行ないます。日曜日を挟むので、今こちらで取った血液検査の結果は火曜日に帰ってきます。その結果と、筋力の回復具合を見て、随時検査や点滴の調整を行なっていきますね」


と説明し、入院してもらった。


入院翌日の土曜日には、四肢とも抗重力運動が可能となり、MMTは改善していた。


「先生、点滴のおかげか、昨日のような脱力感はなくなってきています」


と山本さんは喜ばれていた。週明けの月曜日には、院内の緊急血液検査でK 2.4mEq/Lまで改善しており、ご自身でトイレまで歩いていけるようになっていた。


「先生、脱力感はほとんどなくなりました。口のネバネバもなくなりましたが、やはり食欲は全然ありません」


と困惑しておられた。良くなったものもあれば、変わらず残る症状もある、となればやはり心配なのだろう。


佐藤は、ルーティーンの身体診察とMMTで筋力の評価を行ない、


「なるほど、食欲不振は続いているんですね。特殊な検査は明日に結果が届くので、そこで判断しましょう」


と伝えた。


そして火曜日、外注結果が届いて、佐藤はびっくりした。血清カルシウム値が、16.2と著明な高値を呈していたからである。慌てて、学生時代の教科書を引っ張り出し、高カルシウム血症の項目を読み返す。


「軽症のものは、PTHなどのホルモン異常が原因となり、重症のものは、悪性腫瘍の骨転移や、悪性腫瘍の分泌するサイトカインが起因となる。症状は脱水、悪心、食欲不振、便秘、頻尿、低カリウム血症…」


内科診断学では、「問診で60~70%の疾患は診断がつく」とされている。佐藤もそのことを念頭において、病歴聴取をしたつもりであった。しかし、あまりにも「タンポポ茶」の飲みはじめと症状出現がリンクしているように見えたこと、「タンポポ茶」に「利尿作用がある」ということで、利尿剤と同様に低カリウム血症をきたす、と思ってしまったことが、診断の目を曇らせてしまったのだと気づいた。


山本さんは正直に高カルシウム血症の症状をおっしゃっていた。脱水、頻尿、悪心、食欲低下、便秘、そして臨床症状として「低カリウム血症」を呈していたわけである。


佐藤は自分の勉強不足を恥じた。と同時に、「AI」は高カルシウム血症の症状を見逃さず、「腫瘍随伴症候群」を1番の鑑別診断に挙げたのである。


「これはカンちゃんに一本やね。さすがAI。いい仕事をすんなぁ」


と佐藤は感心した。


患者さんは「悪性腫瘍に起因すると思われる高カルシウム血症」の診断で、白梅病院に転院することが決まった。


佐藤はチャットモードでカンちゃんを立ち上げる。


「さすが、AIの力やね。患者さん、確かに痩せていたけど、ご本人も奥さんも『昔からこんなもんです』とおっしゃってたからスルーしてたわ」

「佐藤先生、教科書を見られたと思いますが、高カルシウム血症の症状、山本さんはほぼそろっていたでしょ。おそらくそこがAIの鑑別順位を上げたのかもしれませんね」


「カンちゃんは、自分で出した診断やのに、どうやって診断を出したのか、わからへんの?」

「佐藤先生、臨床医には今のところ、必要ない技術かもしれませんが、『ディープ・ラーニング』、システムの発想は、大脳や網膜の神経細胞の層構造にヒントを得ているのですよ。どこかで調べておいてくださいね」


「はーい」


と佐藤は軽く返事をした。自分の中の処理が自分で分からない、でも人間もそうかもしれない。「これだ!」と思ったときに、どうして「これだ!」と思ったのか、自分で説明できないことは確かに人間でも多いよな、と少し佐藤はわかった気がした。


数か月後に白梅病院から返信が届いた。


「ご紹介の山本様ですが、来院時の胸部CTで、右上葉にφ1cm大の腫瘍性病変と思われるものを認めました。気管支内視鏡やCTガイド下針生検などを考慮しましたが、部位的に困難と判断し、VATS(胸腔鏡補助下胸腔手術)での区域切除術を予定しました。予定手術の3日前に、腫脹熱感はないものの、圧痛のある硬い皮下腫瘤を触れたため、皮膚科にて生検を行い、VATSを延期しました。その後、皮膚の生検組織について「転移性腺がん」と診断されたため、VATS手術を中止。遠隔転移を伴う肺腺癌と診断しました。衰弱も著しくBSCとしましたが、〇月×日、永眠されました。ご紹介ありがとうございました」


とのことであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る