第三章 第二話
重い足取りで面接会場のビルに入り、受付で名前を言う。今日の面接は、これで二十社目になる。
九月から就職活動を始めて三ヶ月くらいたっている。あの時、十社目の不採用で絶望しかけたのに、気づけばわたしは、さらに十回も同じ絶望を味わい続けていた。クラスメイトのほとんどが内定を決め、もう卒業後の話題で盛り上がっている教室で、わたしだけが取り残された幽霊のようだ。
この二十社目は、もう小さな会社だ。
大きな企業なんて、もう書類選考の段階で弾かれてしまう。
小さな事務職で、募集人数も少ない。それでも、わたしにとっては、最後の砦のような気がしていた。
控え室で待っている間、手のひらに汗が滲み、心臓が不規則で激しいリズムを刻んでいる。どうしてこんなに緊張するのだろう。
もう二十回も経験したはずなのに、その度に、初めての面接のように全身がこわばる。
名前を呼ばれ、立ち上がる足が棒のように硬い。
「失礼します」
なんとか絞り出した声は、自分でもわかるほど震えていた。
面接室に入ると、部屋の中央に置かれた長机の向こうに、三人の中年男性が座っていた。彼らの視線が、まるで鋭いレーザー光線のようにわたしに突き刺さる。
いつものように、深く頭を下げ、指示された椅子に浅く座った。
志望動機や自己PRなど、定型的な質問には、事前に用意した答えを、途中でどもらないように必死で紡いだ。頭の中では「間違えるな」「完璧にやれ」という声が響き、言葉を出すたびに喉が渇く。
順調に進んでいる、と一瞬思った。過去の面接と比べて、今回は少しは落ち着いて話せているかもしれない。
しかし、その油断が、次の瞬間、粉々に打ち砕かれた。
一番左に座っていた、少し頬がこけた面接官が、わたしの履歴書をぺらりとめくり、突然、鋭い声で尋ねた。
「山吹さん。なんで今まで落ちたんですか」
その言葉は、まるで氷の刃物のようだった。
一瞬、何を言われているのか分からなかった。「なんで落ちたのか」と、こんなにも直接的で、非難めいた言葉で突きつけられたのは初めてだ。わたしは頭が真っ白になって視界がぐわんとゆがみ、もだった時には3人がわたしを睨みつけていた。
「えっ……それは……」
わたしは言葉に詰まった。
「二十社目ですよね。ここに書いてある企業名を見る限り、どこも特別倍率が高いわけではないみたいです。落ち続けるには、何か決定的な理由があるはずですよね。採用する側として、そこは正直に聞きたいです」
真ん中の面接官が、腕を組みながら冷淡な声で追い打ちをかける。
わたしは、どう答えるべきか分からなかった。
「自分で分かっているんでしょう。ごまかさないでください。あなたが今まで落ちたのは、面接官に何を見抜かれたからだと考えていますか」
言葉が出ない。
わたしは、心の中で何度も自問してきた。なぜ、わたしは受からないのだろう。
暗いからか。自信がないからか。過去のトラウマのせいで、目つきが常に怯えているからか。そのどれもが真実のような気がして、どれもこれも面接で正直に話せるわけがない。
「わ……わたしにも、正直、どうしてなのか……分かりません……」
絞り出した声は、情けなく細い。わたしは震える声で、ただそう答えることしかできなかった。それだけは、嘘偽りのない本音だった。本当に、分からないのだ。努力しても、努力しても、なぜこの「普通」の門をくぐることができないのかが。
左の面接官が、鼻で笑うような息を吐いた。
「分からない?それでよく、うちを受けに来たもんだ。自己分析が足りない、としか思えませんね」
「じ……自己分析は、何度も……」
「自己分析をやっている人間が、二十社も落ちて、その理由も分からない、なんて言いますかー?」
冷たい言葉が、次々にわたしの心をえぐってゆく。わたしの胸の奥にある、最も触れられたくない、暗い部分を容赦なく突かれている。
わたしは、追い詰められたように、椅子の上で身を縮めた。顔が熱くなり、目の奥がツン、と痛む。この状況は、前にいじめの時に味わった感覚とそっくりだ。大勢の前で、自分の存在を否定され、笑い者にされる時の恐怖と絶望を思い出して冷や汗が出る。
「自己分析は?自己分析は?」
面接官の言葉が、部屋の中に反響して、耳鳴りのように響く。もう何を言えばいいのか、どう振る舞えば彼らの追及が終わるのか、全く見当がつかない。
「面接受ける資格無ーし!」
突然、左の面接官が大きな声を上げた。その言葉と同時に、彼はテーブルの上にあったわたしの履歴書を、両手で思いきり引き裂いたのだ。
ビリッ、ビリビリッ!
という、耳障りで乾いた破裂音が、静まりかえった部屋に響き渡る。
目の前で起こったことに、わたしは息を呑んだ。履歴書。わたしの写真が貼られ、わたしが過去の自分を必死で取り繕って書いた、あの履歴書が、無残にも二つ、三つと引き裂かれ、紙切れになってゆく。
わたしの存在、わたしの努力、わたしの未来への願い。そのすべてを目の前で否定され、ゴミとして扱われている。
「おい、山吹さん。もういいよ。時間がない。次の方を呼ぶ」
真ん中の面接官が、時計を見ながら冷たく言った。
悲しみ、怒り、どうしようもない絶望。
わたしは、目の前で引き裂かれた紙切れと、それを淡々と片付けようとする面接官たちを見つめることしかできなかった。
体が、鉛のように重い。立ち上がれない。喉の奥に、鉄の味が広がる。
瞬間、わたしの心の中の何かが、音を立てて崩れ落ちたきがした。
「普通」になりたい、という願い。それは、わたしには決して手の届かない、遠くの光だったのかもしれない。わたしは、やっぱり、あの頃の、暗くて、弱くて、誰からも必要とされない、「いじめられて当然」のわたしのままだ。どんなに着飾っても、取り繕っても、わたしの本質的な暗さや、過去の恐怖は、面接官にはすぐに見抜かれてしまうのだ。
目から、熱いものが溢れそうになる。それは、二十社も落ち続けた悔しさではなく、自分の存在すべてを否定された絶望だと思った。
泣いてはいけない。ここで泣いたら、本当に終わりだ。泣いたら、彼らの目に映るわたしは、「やっぱりだめな子だ」という烙印を押されてしまう。
わたしは、力を振り絞って立ち上がった。視界は涙でぼやけているけれど、面接官の顔は見たくなかった。彼らの軽蔑の視線に、もう一度耐える自信がなかった。
「し……失礼いたしました……」
震える声で告げ、背筋を丸めて、逃げるように面接室を後にした。
廊下に出た瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出す。声を出さないように、口元を強く抑え、わたしは誰もいない非常階段を駆け下りた。
非常階段の踊り場で、膝から崩れ落ちる。
「なんで……なんでわたしは……」
涙が止まらない。しゃくりあげながら、自分の無力さを呪った。二十社。二十回の希望と、二十回の絶望。
「もう……終わりかな……」
普通の生活。普通の仕事。普通の笑顔。
わたしと「普通」との間に、見えない、けれど決して超えられない、巨大な断崖絶壁があるように感じられた。わたしは今、その崖の下に、泥まみれで倒れ込んでいる。
もう、立ち上がる力なんて、どこにも残っていない。
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