第4ループ ― 鏡の中の自分
鐘の音が鳴り響く。
――まただ。
同じ寒さ、同じ道、同じ冬の霧。
ハルは息を呑んで目を開けた。
世界はまるで彼を嘲笑うかのように、すべてを繰り返していた。
一秒も違わず、まるで残酷な反響のように。
乾いた風が落ち葉を舞わせ、ショーウィンドウの微かな光が濡れたアスファルトに映り込む。
ハルは周囲を見回し、胸の奥が締めつけられるのを感じた。
この感覚――この忌まわしいデジャヴ。
「……またかよ……」
彼はかすれた声で呟いた。
その時、足音が近づいてきた。
ハルは振り向かなくても、誰なのか分かっていた。
「ハル!」
柔らかく、それでいて不安げな声。
レナだった。
彼女は息を切らせて走ってきた。
マフラーが風に揺れ、瞳には焦りと恐れが入り混じっていた。
「話を……話をさせて!」
彼女はハルの腕を掴んだ。
ハルの動きが止まる。
その手の温もりが、まるで焼けるように感じた。
――同じ触れ方。
――同じ繰り返し。
彼はゆっくりと顔を向けた。
虚ろな瞳で。
「……クソッ。」
ハルは低く吐き捨て、レナの手を振り払った。
「どうしてそんな態度をとるの?」
レナの声が震える。
「あなたに何が起きてるのか、知りたいだけなのに!」
「知りたい?」
ハルは乾いた笑いを漏らした。
「お前に分かるもんかよ。」
彼は背を向けて歩き出す。
だが、レナは再び前に回り込んで立ちはだかった。
「ハル、こっちを見て!」
「……どけ、レナ。」
「嫌よ! 教えて、何が起きてるの!?」
沈黙が落ちる。
周囲の人々は通り過ぎていく。
まるで世界そのものが、数え切れぬループを無視して進み続けるかのように。
ハルは疲れ切った溜息を吐いた。
「……説明しても無駄だ。誰にもな。」
彼はポケットに手を突っ込み、群衆の中へと消えていった。
レナはその背を見つめ続ける。
霧の中へ消えていく彼の姿を、涙に滲んだ視界のまま。
ハルは当てもなく歩いた。
街の灯りがガラスに歪んで映り、思考は渦を巻くように堂々巡りする。
「第4ループ……か。」
空き缶を蹴飛ばしながら呟いた。
その瞬間――空気が変わった。
時間が、息を止めた。
周りの人々は歩みを止め、風も止まる。
音が消え、世界そのものが静止した。
そして、現れた。
いつもの“それ”が。
黒いフード、影に覆われた顔。
その存在だけで、ハルの心臓が怒りと恐怖に震えた。
「……また始まったな。」
夢の中のような低い声が響く。
青白い光が空気を包み、背後に“第4ループ”の紋章が浮かび上がった――
淡く輝く光の輪。
ハルは拳を握りしめた。
歯を食いしばり、睨みつける。
「今度は……何の用だ。」
“それ”は答えない。
ただ、静かに見つめていた。
「答えろよ、クソッ!」
ハルは一歩踏み出し、怒鳴った。
「いつもそうだ……黙って見て、謎めいたことばかり言って……俺をこの地獄に何度も放り込んで! 何が目的だ!?」
沈黙。
「俺はやったんだ!」
ハルの叫びは掠れていた。
「正しいことをした! 人を殴り、傷つけていたあのクズを止めた! それのどこが悪い! それなのに、またループだと!? これがこの世界の“答え”かよ!?」
影が一歩前に出る。
その声は静かで、どこか人間的だった。
「……本当に、それが正しいと思うのか?」
ハルは眉をひそめた。
「……何だと?」
「お前のやり方だ。」
影は言った。
「それは本当に正しかったのか?」
「当たり前だ!」
ハルは叫んだ。
「アイツは人を痛めつけてた! 罰を受けて当然だ!」
長い沈黙。
そして、影は静かに口を開いた。
「暴力で解決すれば、暴力が返ってくる。
誰かに殴られたら、殴り返す。
世界は、その因果で回っている。
原因と結果――それが、倍になって返るだけだ。」
ハルは乾いた笑いを漏らした。
「じゃあ、俺はどうすりゃいい? 黙って見てろってか?」
「そうは言っていない。」
「だが、お前の“選択”が、この世界を形作るんだ。」
「……馬鹿げてる。」
ハルは顔を覆った。
「まるで世界が生きてるみたいな言い方だな。」
「……生きていないとでも思うか?」
影は静かに首を傾げた。
ハルは一歩下がった。
「お前……一体何者なんだ?」
沈黙。
「俺をこのループに閉じ込め、見張り、試してる……何者なんだよ!」
彼の叫びが、静止した世界に響いた。
影は静かに息を吐き、近づいた。
そして、低く言った。
「……俺は、お前だよ。ハル。」
世界が震えた。
ハルは瞬きをした。
「……は?」
「俺は“お前”。まだ辿り着いていない未来の“お前”だ。」
ハルは乾いた笑いを漏らした。
「冗談だろ……?」
影はゆっくりとフードを取った。
青白い光に照らされたその顔は――
ハル自身だった。
だが年老い、疲れ果て、瞳に光がなかった。
ハルは息を呑み、後ずさった。
「う、嘘だろ……そんな……!」
膝が崩れ落ち、震える手が地面を掴んだ。
「ありえない……!」
未来のハルは静かに彼を見下ろしていた。
「ありえないことなんて、ない。」
「俺は、お前の“選択”の果てに生まれた存在だ。」
「俺の……選択……?」
「暴力、憎しみ、逃避。
お前が選んだたびに、世界は反応した。
誰かを傷つけるたびに、お前自身の一部も死んでいった。
そして最後に残ったのが――俺だ。」
ハルの頬を涙が伝った。
「……なんで、こんなものを見せるんだ……?」
「まだ間に合うからだ。」
影の声は穏やかだった。
「変われる時間が、まだある。
違う道を選べる、最後のチャンスだ。」
ハルは唇を震わせた。
「……お前、死ぬのか?」
未来のハルは淡く笑った。
「もう死んでいるよ。
今ここにいるのは、ただの“残響”だ。
でも、消える前に一度だけ戻る機会を得た。
――お前に、伝えるためにな。」
彼はハルの前に膝をつき、静かに見つめた。
「これが第4ループ。
最後の機会だ。
この輪を断ち切れ。
さもなければ、命ごと飲み込まれる。」
光が広がり、世界を包み込む。
ハルは声を上げようとしたが、音が出なかった。
未来の自分が、最後に優しく言葉を残した。
「――お前は、まだ変われる。」
そして、光の中に溶けていった。
音が戻る。
人々が動き出す。
風が再び吹き抜ける。
ハルは通りの真ん中で膝をつき、虚ろな目で地面を見つめていた。
世界は動き続ける。
だが、彼の中では何かが確かに変わっていた。
久しぶりに――恐怖を感じていた。
それは、自分自身への恐怖だった。
「……俺は……何になってしまうんだ……?」
ハルはかすかに呟いた。
そして、ループは続いていく――。
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