第29話 手がかりを探して



 翌朝、早い時間にヴィクトルは屋敷を出て行った。秘書と数名の従者を連れ、馬車で外へ。執事のアイザックや主要な使用人たちも総出で見送りをする中、ルシアーナは距離を置いてその光景を眺めるにとどまった。

 やがて、門が閉じられ、別邸は静寂に包まれる。ヴィクトルという主の不在は、屋敷内の雰囲気をいくらか緩めたように感じられた。使用人たちも重苦しさから少し解放されたのか、言葉こそ少ないままでも、微妙に足取りが軽やかだ。


 (さて……今がチャンスよね)


 ルシアーナはさっそく行動を起こすことにした。表立って屋敷を探り回ると怪しまれるため、まずは人目につきにくい時間帯や場所を選びながら、少しずつ書斎や倉庫、物置部屋を覗いてみるのだ。かつてフィオレット家でも、父の部屋を借りて書類を読み込み、家計や商談を学んだ経験がある彼女にとって、書類をざっと読み解く程度の素養は備わっている。


書斎の引き出し


 昼下がり、執務室ほど厳重ではない「副書斎」に目をつけたルシアーナは、そっとドアを開けて中に入った。ここは使用人が日誌を付けたり、館の簡易帳簿を管理したりする場所で、以前ちらりと覗いたことがある。

 棚には古いファイルや書類が積まれ、埃が薄く積もっている。ルシアーナは袖で埃を払いながら、目を凝らしてみる。クロウフォード家の歴代当主の記録、納品書、各種証明書――そういったものが多く並ぶ中、とある引き出しに鍵がかかっているのを見つけた。


 (鍵……さすがにこれは勝手に壊すわけにはいかないわね。でも、開けてみたい)


 彼女は道具箱を物色し、細い針金のようなものを見つけた。さすがに錠前を破るのは容易ではないが、フィオレット家にいた頃、使用人からちょっとしたコツを教わったことがあった。幼い頃には、閉じ込められた倉庫から脱出するために鍵をいじったこともある――そういう小さな経験が、いま活きるとは思わなかった。

 無理やり針金を差し込み、カチリ……と微かな音を立てる。何度かトライするうちに、運よく錠が外れた。心臓が高鳴るが、それを抑えながら引き出しをそっと開ける。


 そこにはいくつかの封筒が並び、表書きには“B.W.”という謎のイニシャルが記されている。

 (B.W.――ブラックウルフ? まさか、黒狼の略……?)


 息を呑む。封筒を開くと、中に手紙やメモが何枚か入っていた。読み進めると、黒狼のリュシアンがヴィクトルに宛てたと思しき文言が羅列されている。

 「我らの協定を遵守せよ」「このまま破棄するなら、クロウフォード家もろとも崩壊させる」――脅迫とも取れる言葉が並ぶ一方で、「共同事業の失敗を挽回する手段を示せ」「利潤の分配が変わるなら、話し合いの余地はある」など、ビジネスライクな要素も感じられた。


 (やっぱり、クロウフォード家は一時期、黒狼と手を組んでいたのね。何か大きな商売か事業か……それがうまくいかず、今は対立状態にあると)


 この文面から察するに、両者は元々“ある目的”のために互いに利用し合っていた関係らしい。ところが、何らかの理由で決裂した。その挙句、リュシアンは強硬な手段を取り始めている――その事実がうかがえる。

 さらに、束の奥には、ヴィクトルが黒狼に宛てて出した下書きらしき手紙も見つかった。そこには「こちらも譲歩するつもりはない。もしこれ以上の干渉があれば、全力で叩き潰す」といった強気の言葉が並んでおり、激しい衝突の予感を孕んでいた。


 (両者とも一筋縄ではいかないわね……。ここにわたしが巻き込まれると考えると、正直気が重いけど――逃げるわけにはいかない)


 ひととおり目を通し、ルシアーナは手紙を元通りに封筒へ戻して引き出しを閉めた。

 (黒狼のリュシアンは単なる荒くれ者の集団というわけではなく、裏で大きなビジネスを牛耳る組織かもしれない。ヴィクトルも、その力を当てにしていた時期があったのか)


 これで、ただちに事態を打開できるわけではないが、ルシアーナにとっては“大きな一歩”だった。ヴィクトルが何を守ろうとしているか、あるいはどうしてそんな危険な橋を渡っていたのか――今後の行動の指針になるからだ。

 もしヴィクトルがこのまま強硬に対立を続けるなら、フィオレット家の行く末も安泰ではいられない。逆に言えば、何らかの形で両者の衝突を回避できれば、ルシアーナにも“活躍”の場が生まれるのではないか。そんな予感が、彼女の胸をかすかに躍らせた。



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