第25話 ざわめく心と、一瞬の火花



 その夜、ルシアーナは青の部屋で眠れぬ時間を過ごしていた。クロウフォード家に来て、まだ二日足らずだというのに、既に複数の不穏な出来事に直面している。夫となったヴィクトルは相変わらず冷たく、何も語ってはくれない。彼の秘書も、使用人たちも一様に口を閉ざし、彼女には何も教えようとしない。

 (わたしは一体、どうなるんだろう……)


 フィオレット家を守るためとはいえ、こんなにも危険を孕んだ家に嫁いでしまったのか。あの“黒髪の男”――リュシアンは容赦ない勢いで屋敷に押し入ってきた。もしヴィクトルと何らかの大きなトラブルがあるとしたら、自分も安閑としてはいられないのではないか。

 少し考えた末、ルシアーナは決意を固める。愛を求められない結婚であればこそ、自分の存在意義は「利用される」だけに留まるわけにはいかない。むしろ、この家の抱える闇を自分で明るみに引きずり出し、危機を回避できるよう動けないだろうか――そう思い始めていた。

 (勝手に動いて契約違反になったらどうしよう。でも、黙っているだけでは何も変わらない。……わたしが“ざまぁ”と笑う日は、きっと自分で掴みに行かなくちゃ)


 そのとき、部屋の外で足音が聞こえた。誰かが廊下を通り過ぎたらしい。時計を見れば、既に深夜に近い。こんな時間に……と不審に思い、ルシアーナはベッドを降りて、そっとドアに耳を当てる。

 すると、小声で囁きあう使用人の声が聞こえた。


 「……今夜は旦那様の機嫌が最悪だ……何か書斎で壊したらしいし、下手に触るなとアイザック様からも言われている」

 「やれやれ、やはりあの“黒狼”との一件がまずかったんだろう。リュシアンは昔から手段を選ばない。旦那様も……」

 声は遠ざかり、やがて消えていく。

 (やっぱり、ヴィクトルは相当ストレスを抱えているのね。……何を壊したんだろう。書斎で?)


 冷酷な侯爵が怒りに任せて何かを破壊する姿――ルシアーナは想像もしたくないが、それだけ彼も追い詰められているのだろうか。以前から心に閉じ込めていた闇と、“黒狼”という外部からの圧力で揺れ動いているのかもしれない。

 とはいえ、ルシアーナにできることは限られている。夜の廊下をうろつけば、監視の目に咎められる可能性が高い。深夜にうかつに書斎へ行けば、ヴィクトルの怒りに触れるかもしれない。

 結局、彼女はドアの鍵をかけ、ベッドに戻って布団を被った。けれど胸の中のざわめきはおさまらず、長い夜が延々と続いていく――。

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