第17話 .冷えた祝福と形式的な誓い
やがて馬車が石畳の道を進み、薄曇りの空の下に古めかしい礼拝堂が姿を現す。外観は苔むした石壁と重厚な扉が特徴的で、周囲に広がる樹々のせいで日差しも差し込まず、どこか薄暗い雰囲気を漂わせていた。雨が一段と強くなり、パタパタという音が車体を叩く。
礼拝堂の入口には、クロウフォード家の関係者らしき数名が集まっていた。神父らしき老人と、その助手と思しき若い男性、それにヴィクトルの秘書もいる。だが、そこには「派手な演出」や「華やかな飾り付け」は一切なく、静かにランタンの光が揺れるだけだ。
馬車が止まると、ルシアーナたちは侍女に助けられながら下車する。ドレスの裾が泥や雨で汚れないよう、気をつけなければならない。母フロランスもまた車椅子に乗り換え、足元を濡らさぬように配慮している。
雨音の中でささやかに挨拶を交わすと、神父が挙式の順番を簡潔に説明してくれた。「儀式は15分程度で終わります。古来より、クロウフォード家に伝わる簡素な式次第に則って執り行います」とのこと。ルシアーナはただ無言のまま、母と妹を見やり、それから礼拝堂の扉へと足を踏み入れる。
荘厳なはずの内装も、今日ばかりは閑散として見えた。祭壇の奥には薄暗いステンドグラスがはめ込まれているが、外が曇天のせいで色彩を失っており、かすかな光しか差し込まない。まるで夜明け前のような、重たい空気が漂っている。
その奥、説教台の近くに、ヴィクトル・クロウフォードの姿があった。彼はグレーのタキシードを身にまとい、背筋を伸ばして静かに待っている。いつものように冷ややかな瞳、端正な顔立ちにはまるで表情がない。ルシアーナと目が合ったが、彼は何の感情も示さず、すぐに視線を外す。
(やっぱり……何も変わらない、冷たいまま)
ルシアーナは胸の奥が少し痛んだ。この結婚に愛情を求めるつもりなどなかったはずだが、それでも“ゼロ以下”の冷たさを浴びせられるのは答えがたい。しかし、今さら逃げ出すことはできない。
神父が儀式を始めると宣言し、誰もいない礼拝堂に小さな鐘の音が響く。参列者はほぼ皆無と言っていいほど少なく、フロランス夫人とマリアナ、それにヴィクトルの秘書と使用人らしき数名が控えるだけだ。これが大貴族同士の婚礼だというのだから、異様な光景である。
乾いた声の神父が、聖書を朗読し、「新たな夫婦を祝福しよう」という形式的な言葉を述べ始める。それすらも、どこか無機質で、まるで“台本をなぞっているだけ”のようだった。
やがて、指輪の交換を促される。ヴィクトルはクロウフォード家の紋章入りの箱から、シンプルな銀色の指輪を取り出し、ルシアーナの指にはめようとする。その瞬間、彼女はわずかに肩を震わせた。愛の証というにはあまりにも無機質な銀の輪。だが、彼女は耐え、そっと左手の薬指を差し出す。
(……これが、“わたしの結婚”。白い契約結婚。偽りの愛。でも、ここで負けてなるものですか)
ヴィクトルは指輪をはめ終えても、ルシアーナを見ようとしない。その掌からは冷たい感触が伝わる。ルシアーナが自分の指に視線を落とすと、何の飾りもない指輪だけが寂しげに光っていた。
次はルシアーナの番だ。用意されていた男性用の指輪を持ち上げ、彼の薬指へはめる。しかし、このときヴィクトルの指先がわずかにピクリと震えたのを感じた。まるで、“動揺”とも言えそうな微妙な反応。それが何を意味するのか、ルシアーナには分からない。
「……これより、神の御前において、クロウフォード侯爵ヴィクトルと、フィオレット伯爵令嬢ルシアーナを夫婦として認め――」
神父の低い声が礼拝堂に響く。その背後で、母フロランスが小さく涙を流し、マリアナは姉の姿を切なげに見つめていた。
こうして、わずか15分ほどの儀式は終わる。拍手すらない。ただ、「誓約書」にサインをし、侯爵家と伯爵家の印を押すだけ。まるでビジネス契約の締結に過ぎない。
――それなのに、どうしてこんなに胸が痛むのだろう。ルシアーナは、苦しさを堪えるように唇を引き結んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます