第11話 偽りの笑顔



 契約内容の確認と挙式の予定、それから今後の生活面について、ヴィクトルと秘書は立て続けに話を進めていく。ほとんどが事前の書類通りだったが、ところどころ細かい変更や追加事項があり、ルシアーナは頭を使わなければならなかった。例えば、式後の滞在先はクロウフォード家の広大な本邸ではなく、市街地にある別邸になるらしい。ヴィクトルも仕事柄、都心部に近いほうが好都合だということで、そちらを拠点にするのだという。


 「何か質問は?」


 最後にヴィクトルがそう尋ねる。ルシアーナは頭の中を整理しながら、先ほどから微妙に気になっていたことを切り出した。


 「……ひとつだけ。婚礼の準備とは別件なのですが、最近、町の裏通りで妙な人物を見かけました。馬車に金の紋章があって、黒い髪の男性が人目を避けるように移動していて……もしかしてクロウフォード家の関係者かと思ったのですが、ご存じありませんか?」


 ヴィクトルは意外そうに目を細める。クロウフォード家は貴族社会の頂点に近い地位にある分、敵も多い。もしかすると、あれは競合する相手や商売敵の一派かもしれない。ルシアーナには、そんな予感があった。


 「金の紋章、黒髪の男……特に思い当たらないが。何か問題があるのか?」


 「いえ、ただ妙に気になっただけです。……もし、クロウフォード家に仇なすような輩なら、挙式にも悪影響があるかもしれないと思って」


 ヴィクトルは鼻で息をつく。まるで「余計な詮索をするな」と言わんばかりだが、その一方で少しだけ考え込み、秘書に目線を送った。秘書も首を横に振り、


 「こちらでは、そのような馬車の情報は掴んでいません。ですが、侯爵家の商売敵か、あるいは裏社会の大物か……警戒しておいたほうが良いかもしれませんね。いずれにしても、今の段階では確証がありませんので、しばらくは静観といたしましょう」


 そう淡々と言い、再びテーブル上の資料をかばんに収め始めた。ルシアーナはやはり腑に落ちない思いを抱えつつも、深入りはすまいと言葉を引っ込める。ヴィクトルと秘書が何らかの警戒を示しているなら、それで十分だ。

 一方、ヴィクトルの表情は、どこか刺々しさが増しているように見えた。彼は急に立ち上がり、椅子を乱暴に引いて言う。


 「この件は以上だ。挙式まで、あなたは余計な行動をするな。今さらスキャンダルが起きたら面倒だ」


 「分かりました。でも、わたしは別に何も――」


 「いいから黙っていろ」


 ヴィクトルの冷たい声音に、ルシアーナは言葉を失った。それ以上何かを言えば、また契約を持ち出されるかもしれない。相手に媚びるつもりはないが、今は耐えるしかない。彼が踵を返すように客間を出て行くのを、ルシアーナはただ見送ることしかできなかった。

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