第6話 冷たい契約に揺れる家族

クロウフォード侯爵家との「白い結婚」が正式に決まり、挙式まであと6日。ルシアーナ・フィオレットにとって、その6日間はあまりにも短く、それでいて濃密な時間であった。

 まずはじめに、母フロランスや妹マリアナ、屋敷の使用人たちへ現状を共有し、フィオレット家の今後をどうすべきかを話し合う必要があった。父を失い、名門伯爵家の経済が崩壊しかけている今、かろうじて伯爵の位を保ってはいるものの、その内実はスカスカだ。ましてや、この結婚がなければ、近いうちに屋敷を手放すことになる可能性も高い。いや、もしかすると既定路線だったのかもしれない。


 とはいえ、クロウフォード家の財政支援が入るというのは事実であり、実際、数日以内に大口の援助金が振り込まれることになっている。それだけで、今までの滞納分を一気に返済し、伯爵家としての最低限の体裁を取り戻すことができるだろう。ルシアーナにとっては、その点が唯一の救いであり、この「冷たい契約」を引き受けた大きな理由でもある。


 もっとも、その代償は決して小さくない。――愛のない結婚、離縁があれば家を取り上げられる可能性、そして冷酷無比と噂される旦那となる男の気配。ヴィクトル・クロウフォードが見せる表情には、相手を寄せ付けない一種の迫力があるように思われた。まるで何か大切なものを心の奥底に隠し、外部に対しては酷薄な仮面をかぶっているかのようだ。


 「……しかし、どんな男だろうと、わたしは家のために、そして自分自身のために負けるつもりはない」


 寝室の鏡に向かい、ルシアーナは自分を奮い立たせるようにそう呟いた。朝の薄暗い光が窓から差し込み、彼女の長い黒髪と白い肌を浮かび上がらせる。やがて明けきっていく空とともに、屋敷の中にも少しずつ人の気配が増えていった。



--- 朝食の席では、久方ぶりに母フロランスと妹マリアナがそろっていた。母フロランスは体調の波が激しく、たいていは部屋にこもって過ごすことが多い。しかし今日ばかりは、娘の大事な報告を聞くために体を起こして来たようだった。まだ顔色は思わしくなく、皿に並ぶ食事もほんの少ししか口にしない。それでも、母は弱々しいながらも毅然とした表情を作っている。


 「ルシアーナ、あなたがこの家を守るために決断してくれたことは、母としては感謝の念に堪えません。でも……娘をそんな形で嫁がせることになろうとは、夢にも思わなかったわ」


 ぽつりぽつりと語る母の声には、やはり悲しみがにじんでいる。マリアナはまだ十代半ばという年頃で、状況を理解しきれていない様子だったが、それでも姉が何か大変な役割を背負っていることだけは感じ取っているのだろう。心配げに目を伏せていた。


 「……お姉さま、本当に行ってしまうの? わたし、どうしても信じられなくて。伯爵家が大変なのは分かってるけど……冷たい結婚なんて、あまりにもひどいよ」


 か細い声で訴えてくる妹の姿に、ルシアーナも胸が痛む。マリアナはまだ現実を受け止めきれずにいる。だが、すでに契約は結ばれ、挙式の日取りも決まっている以上、引き返すことはできない。ルシアーナは唇を引き結び、静かに、けれど力強く宣言した。


 「マリアナ、わたしはこれで終わりじゃない。むしろ、これからが始まりだと思ってるの。クロウフォード侯爵家へ行ったとしても、ただ耐え忍ぶだけの花嫁にはならないわ。……あの侯爵がどんなに冷たかろうと、わたしもフィオレットの名に誇りを持っているもの」


 マリアナは納得がいかないような表情を浮かべながらも、姉の真摯な目を見て何かを感じ取ったらしく、黙りこんでしまった。母フロランスは、そんな娘たちのやり取りを見守りながら、震える声で言う。


 「ルシアーナ……どうか、あなたの人生が不幸にならないように。クロウフォード家でどんな仕打ちを受けることがあっても、あなた自身の尊厳を忘れないで。わたしにはそれしか言えないわ」


 その言葉に、ルシアーナは大きく頷いた。親としては、娘の幸せを願うのが当然だ。たとえ形だけの結婚であろうと、どこかで望みを捨てずにいてほしいと思う気持ちもあるだろう。ルシアーナは決意を新たにし、その日の朝食を終えた。


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