ドアマットヒロインが頑固すぎて困っています

ful-fil

第1話

 二階の窓から庭を見下ろしているのは豪奢なドレスを身に着けた少女ダイアン。

 母親の再婚によりダックワース伯爵家の娘になった元平民である。


 見下ろす先にいるのは粗末なメイド服に身を包んだ美少女ホリー。

 ダイアンから見ると先妻の娘で義妹に当たる、ダックワース伯爵家の正当な後継者である。


 しかし装いの差が示している通り、二人の立場は逆転していた。

 ホリーは雑用をさせられる側、ダイアンは用事を言いつける側。

 ホリーがどれだけ働いてもダイアンは満足しない。

 メイド姿で庭掃除するホリーを見下ろすダイアンの脳内は『いかにしてあの子を虐めて追い出すか』でいっぱいだった。


「ホリー! 廊下が汚れているわよ! 綺麗にしなさい! 今すぐよ!」

「はーい」


 庭掃除をしていた義妹ホリーが返事をして、床掃除の道具を取りに行った。

 ダイアンは花瓶を抱えて曲がり角の手前に隠れた。

 花瓶に入っているのは1週間放置して萎れた花を抜いた後の腐れ水。

 鼻が曲がるほど臭い。

 これを出会い頭に顔面に浴びせてやれば……。


 しばらくすると、ホリーがモップとバケツを持ってやってきた。

 ダイアンは慎重にタイミングを計った。

 まだよ、まだよ、……今だわ!


「そおーれ!」


 掛け声と共に曲がり角から飛び出て花瓶の中の腐れ水をぶちまける。

 絶対に避けられない先制攻撃のはずだった。

 なのに。


「あらよっと」


 ホリーは出したバケツをクルリと返し、


「う、受け止めた!?」


 愕然とするダイアンの前で腐れ水を完璧にバケツに収めてみせたのだ。

 一滴も被ることなく。

 信じがたい現象を目の当たりにして、ダイアンの額に汗が流れた。


『こいつの身体能力どうなってるのよ!』


 ホリーは腐れ水を受け止めたバケツをブンブン振り回している。

 遠心力で水がこぼれないのだ。


「お姉様、廊下の汚れってどこっすかー。あ、もしかしてこれっすか?」


 ブンブン振り回すバケツをダイアンの顔に近づける。


「やめなさいよ馬鹿っ! 汚れはあっちよ!」


 ダイアンは臭い水から慌てて逃げて、床の一角を指し示す。

 花瓶から抜いた花ゴミをそこに投げておいたのだ。


「あー、あれっすねー」


 ホリーは花ゴミを片付けに向かう。

 ダイアンはその背中に向かって空っぽの花瓶を振り上げた。


『これを叩きつけてやるわ! 多少は怪我させるかもしれないけれど、大人しく水を被らなかったあなたが悪いのよ!』


 ダイアンが花瓶をホリーの後頭部に叩きつけようとしたその時、


「あっ、そうそう」


 ホリーがクルリと振り向いた。


「わっ」


 ダイアンの手から花瓶がスッポ抜けた。

 弧を描いて宙を飛び、花瓶はホリーに命中……………しなかった。

 ダイアンは己の目を疑った。


「モップの柄に乗っている…だと!?」


 ホリーの持つモップの柄の先端で花瓶がクルクル回っている。

 皿回しの皿のように。


「お姉様ー、花瓶の花は小まめに水替えないとダメっすよー。夏場は特にすぐ腐るっすよ」

「わ、わかっているわよ、それくらい!」

「わかってるならいいっすー」


 『よっ、ほっ』と掛け声付きでモップの先で花瓶を回しながら、ホリーは片付け作業に戻った。


 ダイアンはバクバクする心臓を抑え、その場から逃げるように自室に駆け込んだ。

 ドアを後ろ手に閉め、ズルズルとへたり込む。


「今日もダメだった……」


 ガックリと肩を落とす。

 義妹が強ぇえ。

 唇を噛み、顔を上げる。


 くじけてはダメよ、ダイアン。

 あの方に誓ったじゃないの。

 ホリーをこの家から追い出すって。

 それか自分から出ていくように仕向けるって。

 その時までは泣いたりしないわ。

 諦めないでダイアン、立ち上がるのよダイアン……。


 自分で自分を鼓舞しながら、ダイアンは『あの方』の事を思い返していた。







 『あの方』は天蓋付きのベッドに横たわっていた。

 華奢な手は痩せ細り、小さな白い顔はやつれていても美しく、天使のようだった。

 お側にいるのはダイアンとダイアンの母親サマンサ。

 『あの方』が心を許した腹心はこの二人だけだった。

 その二人でさえ、『あの方』の頼みには困惑を隠しきれなかった。


「お嬢様を追放せよと、そう仰せですか? いったい何故、どうしてそのような」

「サマンサ、あなたにもわかっているでしょう。あの子がどんな子か」

「大変活発なお嬢様でいらっしゃいますが」

「遠慮しなくていいわよ。あれは活発なんてものじゃないわ。野獣よ。令嬢にあるまじき野生児なのよ」


 『あの方』は綺麗に透き通った青い目をクワッと見開いた。


「あの子の父方、ダックワース家の先祖がどんなものか知っているでしょ?」

「英雄と呼ばれた王子殿下が王族から臣下に下られて伯爵家を開かれたとか」

「英雄と言えば聞こえはいいけどね。実際には持て余された暴れん坊よ。『オウガ』とあだ名された怪力の大男で、敵国との戦争ではあちらの将軍と一騎打ちして勝ったのよ。共に2メートル超えの怪物同士の一戦は『伝説のオウガバトル』と呼ばれて語り草になっているわ」

「最後は素手で格闘になって相手の腰骨を蹴り折ったのでしたね」

「その凶暴さを恐れられ、一度は島流しにされたのに、流された先の島を制圧し、付近の島々も制圧し、海賊王になって戻って来てしまって、困り果てた王家が当時一番の才色兼備だった令嬢を妻に充てがったのよ。それでやっと伯爵家当主として落ち着いたのよ」

「賢く美しい方だったそうですね、初代伯爵夫人は」

「歴代の夫人は皆そうよ。美貌と知恵で当主をコントロールするのよ。猛獣使いが頑張って猛獣を抑えてきたのよ、この家は」

「はあ」

「だけどそれも私の代でおしまいよ。ホリーだけしか生まれなかった。あの子は猛獣よ。先祖の血を色濃く受け継いでしまっているのよ。あれが当主になったら大変なことになるわ」

「はあ、今までと同じように配偶者が手綱を握ればよろしいのでは?」

「歴代の当主は男だったから女の手管が通用したのよ。ホリーにそれは通用しない。あの子を手のひらで転がせる男なんているわけないわ」

「はあ、そうですか?」

「いまいちピンと来てないようね。あの子の3歳の誕生日を覚えているかしら」

「盛大なパーティーでしたわ。近隣の貴族家からも大勢がお見えになって」

「侯爵家のいたずら小僧がプレゼントの箱に生きた蛇を入れてあの子に渡したのよ。あの子はそれを開けると中から蛇を掴み出し、笑いながらブンブン振り回したわ。逃げ惑ういたずら小僧を追いかけて敷地内を駆け回り、蛇は死んで、いたずら小僧は恐怖のあまり気絶する騒ぎよ」

「それは……お気の毒と申しますか……」

「私だってね、あの子を真っ当に育てようとしたのよ。令嬢らしく振る舞えるように、野獣の本能を矯正しようと努力はしたのよ。だけど夫がレジャーと称して連れて行くのよ、海に山にダンジョンに!」

「ダンジョン……」

「所詮あいつら似た者同士、気の合う親子なのよ。私がいくら矯正しても野獣の本能はどうにもならないのよ。今ではすっかりいっぱしの冒険者気取りよ。見た目は砂糖菓子のように可愛らしいのに、いつの間にか冒険者ギルドで登録済ませて、今ではAランクですって。12歳の伯爵令嬢が、Aランク冒険者! 泣きたいわ!」

「奥様、どうかお気を確かに」

「あの子は社交界に出してはいけないわ。脳筋なのよ。単純なの。きっと揉めるわ。足元をすくおうとする女同士の闘いに、野獣のルールで応戦して社交界を血の海に変えてしまう。目に浮かぶわ」

「考えすぎです、奥様」

「いいえ。私にはわかるの。夫がそうですもの。悪気はないけど粗暴なの。暴力での解決にためらいがないのよ。解けない結び目は一刀両断する人なのよ」

「あ〜、まあ、そうですねえ」

「私は今まで努力してきたわ。ダックワース伯爵家の猛獣を暴れさせないように、国に牙をむかないように、心血注いできたわ。でももう頑張れない。長くないって自分でわかるの」

「奥様、そんなことおっしゃらないでください」

「いいえ、私の命は残り僅かよ。元々丈夫ではないもの。早死にする覚悟は出来てるわ。不幸だったとは思わない。充実してたし、家族のことも愛してる。私なりにね。ホリーは可愛いわ。でも貴族社会には向いていないの。あの子は家を出た方がいいのよ。冒険者でも、海賊でも、傭兵でもいいわ。剣の腕一本でやっていく方があの子は幸せになれるのよ」


 否定できなかった。

 『あの方』の眼差しはいつしか柔らかいものになっていた。


「なのにあの子ったら家を継がないといけないと思い込んでるの。私がそう教育したからよね。後悔してるわ。自分に向いた生き方をしなさいって、そう教えればよかった。死期を悟ってから何度もそう言ったのに、あの子は耳を貸さないの。頑固ね。昔の言いつけを守って良い子にしてれば私の病気が治ると思い込んでいるのよ。本当に、馬鹿な子……」


 『あの方』の目が潤んでいた。


「頑なになってるあの子に私の言葉は届かない。私が死んだ後も私が敷いたレールの上を愚直に歩こうとするでしょう。それをやめさせて欲しいの。こんな家なんか捨てて、自由に生きるように仕向けて欲しいの。お願い、サマンサ、ダイアン。あなたたちにしか頼めないの」

「奥様……」

「夫にはあなたと再婚するように言い含めておくわ。何故そうするのか理解できなくても、あの人は私の言うことは聞くわ。だからお願い、ホリーの凝り固まった心をへし折って、貴族としての未来をぶち壊してやって。外へ放り出して、自由に羽ばたかせてやって。そのためならどれだけ嫌がらせしたって構わないわ。使用人にもあなたたちに逆らわないように命じておく。お願い、あの子を縛る鎖を断ち切って」







「……そうよ、私はあの方と約束したの。絶対にホリーを伯爵家から追い出して自由にするって。泣いてなんかいられないわ。次の手を考えるのよ!」


 ダイアンは拳を握りしめ、立ち上がった。


 とはいえ事態は楽観視できるものではなかった。

 ホリーが12歳の時に実母である伯爵夫人は身罷られた。

 後妻としてサマンサが、その連れ子としてダイアンがダックワース伯爵家に乗り込んだ。

 最初は言葉を尽くして説得しようとした。

 亡き伯爵夫人の最後の願いだと言い聞かせようとした。

 だがホリーはてこでも動こうとしなかった。


「あたしは出ていかないっす。ベンキョーして家を継ぐっす」


 そう言って机に向かおうとする。

 教科書を読もうとすると眠くなって寝てしまうくせに。


「お母様みたいなレディーになるんす」


 と言って刺繍を刺そうとする。

 指の力が強すぎて、途中で必ず針を折ってしまうのに。


「子どもの遊びは卒業するっす」


 と言って冒険者ギルドに行かなくなった。

 Aランク冒険者として復帰を待ち望まれているのに。

 適性と真逆の方向に無駄な努力を続けるホリー。


 仕方なくサマンサとダイアンは強硬手段に出た。

 家庭教師を解雇して学習できないようにした。

 刺繍の道具を取り上げた。

 子ども同士の社交の真似事にも参加出来ないように、ドレスや宝飾品も取り上げた。


「このドレス欲しいわ。ちょうだい。あとこれも。そっちのも」


 と片っ端から取り上げたら、ホリーはなんだか嬉しそうに、


「いいっすよ! 良かったらこれもどうっすか? あたしが初めて仕留めたクマの手のひらなんすけど」


 と獣の前脚らしき物体を差し出そうとしたので、ダイアンは思わず悲鳴を上げた。


「要らないわよ、そんな物!」

「これ、あたしの宝物なんすけど……」


 ホリーが悲しげな顔をしたのは後にも先にもその時だけだった。

 それでもホリーは前向きで、何事も諦めようとはしなかった。


「あたしは跡継ぎだから、家の仕事するっす」


 と言って執務室で書類を読もうとする。

 5分で寝てしまったが。

 ホリーには難しいから執務は家令に任せろ、と何度言っても聞かない。

 諦めずに何度もチャレンジしようとするので、仕方なく『家の仕事よ』と掃除を命じた。

 そしたら嬉々としてやっている。

 ドレスがないのでメイド服を着て。

 わかってない、跡継ぎとしてそれはおかしいとわかってない。

 脱力しそうになるダイアンだった。


 こうなったら徹底的にいびるしかない、とダイアンは嫌がらせに着手した。

 こういう事には詳しくないが、一般的な姑の嫁いびりを参考にして、あの手この手でホリーを虐めた。

 食事を生ゴミ同然の物にしてみた。

 スープを作った後の骨をお皿に乗せて出してやったら、ホリーはそれをバリバリ噛み砕いて言った。


「野営の時によく食べたっす。骨は関節部分の軟骨と、中の髄がウマいんすよねー」


 違う、そうじゃない、とダイアンは思った。

 伯爵令嬢として以前に、人として間違った食生活である。


 早く出ていきたくなるように家の中の居心地を悪くした。

 日当たりの良い広い部屋から狭い半地下へ追いやった。

 だがホリーは豪快に笑った。


「人間、立って半畳寝て一畳っす!」


 意味がわからなかった。


 サマンサも頑張ってホリーに辛く当たろうとした。

 この家は継がせない、早く出て行けとキツい言い方で言った。


「おまえが女伯爵になどなれるものですか、この出来損ない!」


 罵詈雑言を浴びせる度に胃痛に悩まされ、胃薬が手放せなくなった。

 それでもホリーはへこたれない。


「あたし、もっともっとベンキョー頑張るっす!」


 独学出来ないように教科書を破っても、ホリーはジグソーパズルのように繋ぎ合わせて読もうとした。

 5分で寝てしまったが。


 嫌味や嫌がらせでは追い出せない。


「……暴力を振るうわ」


 サマンサは決死の覚悟でホリーに鞭を振るおうとした。

 だが一回振り上げただけで、その手が止まってしまった。


「叩かないっすか?」 


 ホリーが叩かれるために両手を差し出したまま、首を傾げた。


「あたし平気っすよ?」


 その夜、サマンサはダイアンの前で泣いた。


「奥様とそっくりの透き通った青い綺麗な目で私を見ていたの。叩けなかった。ごめんなさい、ダイアン、ごめんなさい」

「いいのよ母さん。私がやるわ」


 ホリーの心を折る前にサマンサの心が折れてしまった。

 ダイアン一人でやるしかない。

 ダイアンは頑張った。

 ホリーに小枝を投げてみたり、小石を投げてみたり、扇を投げつけてみたりした。

 だがどれもホリーの優れた反射神経で避けられたり、弾き返されたり、当たっても気に留めなかったりされた。

 とにかくホリーの身体能力が高すぎるのだ。

 ダイアンがホリーに勝てるのは、頭を使うこと以外ではジャンケンくらいしかなかった。

 目立った成果を挙げられないまま、月日だけが流れていった。







 そしてホリーは今15歳。

 3年間、ダイアンは粉骨砕身の努力をしたが、ホリーは家出しないし、後継者教育を放棄しようともしない。

 ひたすら屋敷を清掃し、愚直に書類に向き合っては5分で沈没している。

 居心地悪いはずなのに。

 冒険者ギルドの方が絶対に性に合ってるのに。


 状況を察しているのかいないのか、伯爵当人は家に戻って来なかった。

 まる三年も。

 遠征だかなんだか知らないが、いると面倒だからいなくていいわ、とダイアンは思っていた。


 貴族令嬢は16歳になったらデビュタントだ。

 このままでは貴族としてお披露目されて、正式に次期伯爵として認められてしまう。

 そうなる前に出て行かせなくては。

 手段を選んではいられない。

 更なる強硬手段に出るしかない。







「というわけで強権発動してもらいに来ました。時間がないのでチャッチャとやってください」

「君って遠慮がないよね。僕がホリーの婚約者で、この国の王子だってわかって言ってる?」

「王子だけど継承権が12番目で末席に近くて、誰からも期待されてなくて、権力も人望もろくに無いとわかった上で言ってます」

「言ってくれるね。仕方ないんだよね。王族多すぎなんだよ、この国は」


 ルーサーは生まれ順でも母親の身分でも王位継承ランキング下位に位置する王子である。

 特別な才能もなく、取り柄が顔くらいしかない。

 年齢が近いため、ホリーの婿にどうかと王家から打診され、ホリーの父親である伯爵家当主は深く考えずに婚約を結んだ。

 猛獣ホリーに無能殿下。

 酷い組み合わせだとダイアンは思う。

 王家は伯爵家を潰したいのだろうか。


「権力がないと言っても王族は王族なので、殿下が言い出せば婚約破棄できます。ついでに王都追放もセットで申し付けちゃってください。お願いします」

「気軽にお願いしてくれるけどさ。それって王命に逆らった廉で僕が叱られるパターンじゃない? 困るよそういうの。こういう話になると皆頭に血がのぼるのか、やたら重い刑罰を下したがるんだから。断種したり、幽閉したり、強制労働させたり、そっと毒杯を飲ませたり」


 ルーサーが指を折って数えるのは、過去にやらかした王族が食らった処分の数々である。

 この王家、婚約破棄犯罪者を輩出し過ぎではなかろうか。


「だったら婚約者の入れ替えで。私とホリーを入れ替えます。殿下はホリーに『用済みだ、出ていけ』って言うだけでいいです」

「君、伯爵の実子じゃないでしょ。次期伯爵じゃなければ僕が婿入りできないよね」

「養子でも後継者にはなれます。前伯爵夫人の推薦書があります。伯爵ご本人からも後継者指名書類にサインをいただいてます、3年前に」

「完璧だね。そこまでお膳立て出来てるのに、なんで追い出せないのさ?」

「ホリーが頑として言うこと聞かないんです。あの石頭を叩き割るようなインパクトのある演出が必要なんです」

「それが婚約破棄? 面倒くさい。はあ〜、やだやだ。うんざりだ」


 ルーサーはこれ見よがしにため息をついて見せた。


「ホリーの無駄な淑女修行も、君がホリーを虐めようと頑張る無駄な努力も、ずっと面白おかしく見てきた上で言うけどさ。僕はホリーのことさほど嫌いじゃないんだよ。バカ犬みたいな可愛さがあると思ってる」

「見てるだけなら可愛いでしょう。でも夫婦として家をもり立てていけますか? あの子領地経営も社交もできませんよ。やらせたら破綻します。殿下が二人分働く、いえ、ホリーの尻ぬぐいも合わせてそれ以上に働く羽目になりますよ」

「それは嫌だ」


 ルーサーは怠け者である。

 できることなら働きたくない。

 婿入り先で養われてのんびりと遊んでいたい。

 二倍以上も働かされるなど、もってのほかである。


「わかった。君の提案を受け入れよう」

「ありがとうございます」

「婚前契約書を作ろうじゃないか。領地経営も社交も君が頑張って僕を養うということで」

「……それは無事ホリーを追放できてからにしましょう」 


 あの方との約束を果たせるのなら、ダメ男を一人背負い込むくらい屁でもない、とダイアンは思った。

 だがそれはホリーを解放してからの話だ。


「しっかりやってください、殿下」

「まかせろ」







「ということでホリー・ダックワース、お前との婚約を破棄する。代わりにダイアン・ダックワースとの婚約を結ぶ。ついでにホリー、お前は次期伯爵として不適切だ。後継者はダイアンとする。これは当主も認めている。よって伯爵家にお前の居場所はない。早々に立ち去るように」


 ルーサーはペラペラっと要点を伝えた。

 伯爵家の応接室でお茶を飲みながら。

 卒業式とか学園の食堂とかの衆人環視の中でないのは、ホリーの学力が低すぎて、学園に入学できなかったからである。


 ホリーは黙って紅茶の湯気を見つめている。

 サラリと長文を聞かされたので、脳ミソに浸透するのに時間がかかっているのだろう。

 しばらくして。


「えっと、まず、あたしが殿下の婚約者じゃなくなるってことでいいっすか?」

「そうだよ」

「OKっす。それでお姉様が殿下の婚約者に新しくなるってことっすか?」

「そうだよ」

「OKっす。それで何だっけ、あたしが次期伯爵辞めさせられて、お姉様がなるんだったっすか?」

「そうだよ」

「それはダメっす」

「なんでだよ」

「あたしはお母様の言いつけを守らなきゃならないんす。殿下の婚約者はお母様の言いつけに無かったっすから辞めてもいいっす。でも次期伯爵はお母様の言いつけっすから、あたしがなるんす。辞めるわけにはいかないっす」

「君にとって母上の言いつけがいかに重いか、僕の存在がいかに軽いか、よくわかったよ。でもねホリー、母上の言いつけはそれ一つだけじゃないだろう?」

「たくさんあるんすけど、主に素敵なレディーになることっす」

「うん、それが最優先なんだよね。でね、素敵なレディーには大事な決まりがあったよね」


 ホリーは眉を寄せた。

 素敵なレディーの条件を思い出そうとしているのだろう。

 ルーサーはサラッと続けた。


「自分より身分の高い者、特に王族の命令には逆らってはいけない。『かしこまりました』と言って従うこと……だよね?」

「………そうっす」

「僕は王族だからね。これは君への命令だよ。大人しく次期伯爵をダイアンに交替しなさい」

「………かしこまりましたっす。次期伯爵をお姉様に交替するっす」

「では僕に逆らったことを謝罪して、荷物をまとめてこの家から出ていきたまえ」


 ホリーはすっくと立ち上がり、カーテシーと力強い謝罪をした。


「さーせんしたっ!」

「行っていいよ」

「あざーす!」


 部屋を出ていくホリー。

 すべてを黙って見ていたダイアンはルーサーに深々と頭を下げた。


「殿下、嫌な役目をお願いしました。申し訳ございません。そしてありがとうございます」

「べつに。憎まれ役には慣れてるし。それよりあの子、放っといていいの? 今頃泣いてるんじゃないの?」

「……では失礼して御前を下がらせていただきます」

「どうぞ、どうぞ。僕はもう少しお茶飲んだら帰るから。見送りはいらないよ」

「ご配慮に感謝いたします」


 早く行けと追い払うように手を振るルーサーにダイアンは一礼し、退出する。

 恭しくドアを出たダイアンはドレスの裾をからげて猛然と走り出した。







 駆けつけたホリーの部屋では。


「うおっ、おっおっ、おおお〜ん!」


 慟哭していた。

 悔し涙だろうか。

 獣の咆哮のような声で泣きながら、少ない着替えを布袋に詰め込んでいるホリーがいた。


『この子が泣くの初めて見たかも』


「……何泣いてるのよ」

「うえっ、えっ、だって、お母様の言いつけ、守れなかったから」

「言いつけって、小さい頃のでしょ! 大きくなってからは『自由に生きなさい』って言われたでしょ!」

「うっく、グスン、それはダメなことなんす」

「なんでよ! 冒険者にでも海賊にでも、なりたいものになればいいじゃない。できるでしょ、あなた強いんだから!」

「冒険は遊びだから、ダメなんすよ」


 ホリーは涙を手の甲でぐいとぬぐった。


「あたしが遊んでばかりいたから、バチが当たったっす。ベンキョーしなかったから、サボってばかりいたから、だからお母様が」

「神様はそんなことでバチを当てたりなんかしない!」

「だったらなんで病気になったっすか! なんで死んじゃったっすか!」

「生まれつき病弱だったのよ! 誰のせいでもない!」

「そんなわけないっす! 真面目に生きてる人にはいいことがあって、悪いことしたりサボってるとバチが当たる、それが世の中の決まりっしょ! お母様は完璧なレディーだったんす。お母様に悪いことが起きる理由なんかない。あたしが悪い子だったからなんす。あたしのせいなんすよ!」

「…この、馬鹿っ!」

「どうせあたしはバカっすよ! 敬語しゃべれねーし!」


 確かに喋れていない。


「本読めねーし! 刺繍できねーし! ベンチプレスは90キロしか上げらんねーし!」

「いえ、それは逆に凄いわよ?」


 15歳の女の子がベンチプレスで90キロて。


「あたしが悪い子だから、お母様の病気治らなかったんすよ! あたしのせいでお母様死んだから、あたし反省して頑張らないといけないんすよ! なのにもう頑張れない! 言いつけ守れなくて、あたしもう一生いい子になれないんす!」

「ホリー、あなたって子は……」


 贖罪か。


 自責の念からくる贖罪で、次期伯爵になろうとしてたのか。

 自分に合わない、上手くやれない、辛いだけの人生を、母への贖罪のために歩もうとしたのか。

 その道を閉ざされたら、絶望して泣くのか。


 この……この……大馬鹿娘〜〜〜!!!!


 ダイアンは憤激で頭が沸騰しそうだった。


 奥様、あなたは正しかった。

 この石頭の頑固娘を転がせる男なんて、いない。

 きっと頭の良い男であればあるほど、ホリーの頑固さに耐えられず憤死する。

 この子、自分がいい子になれば神様が母の病気を治してくれると思って、治らなかったから自分が悪い子だったからだと固く、本当に固く、岩より固く思い込んで……そこで思考停止したんだ!

 三年間、ずっとそこで止まったきり、考えを1ミリも改めようとしなかった!

 こいつの石頭をかち割るのに王子の権力を借りたけど、足りない。

 家を出ていくだけでは『自分のせいだ』という思い込みは消えない。

 自由になれない。

 心を縛る自責の念をどうにかしないと。

 石頭に入った一筋の亀裂、それをもっと広げるには。

 もう一撃、打ち込むしかない。


 迷妄を木っ端微塵に打ち砕く、トドメの一撃を!


 ダイアンは拳を握りしめた。


「ホリー!」

「はい?」

「最初はグー!」

「へ?」


 ホリーは鳩が豆鉄砲食らったような顔をした。


「ジャンケンポン!」


 ホリーはダイアンの勢いに釣られて思わずパーを出した。

 ダイアンの手はチョキだった。


「よし、私の勝ちよ! あなた負けたんだから、私の言うこと聞くのよ!」

「へ? なんすか?」


 鳩に豆鉄砲再び。


「あなたが勉強できなかったのは私が邪魔したからよ!」

「何のことっすか?」

「家庭教師が来なくなったり、教科書が破られたりしたでしょ! 全て私の仕業だったのよ!」

「はあ、そっすか」

「あなたが刺繍できないのも私が道具を取り上げたから! お嬢様らしくないのも私がドレスを取り上げたからよ!」

「あ? えー、うん、でも」

「黙って聞きなさい! あなたが本を読めないのも、敬語が喋れないのも、マナーが身についてないのも、全て私がそうなるように仕組んだからなの。わかるわね?」


 わかれよ!


 ダイアンは念を込めた。

 ホリーはとりあえず黙って聞いている。

 情報が頭に染み込むのに時間がかかっているのかもしれない。


「あなたがサボったんじゃないの。私が邪魔してたの。邪魔されて出来なかったんだから、あなたは悪くない。あなたは悪い子ではなくて、えーと、そうね、邪魔されたのだから出来なくてもしょうがなかった、『しょうがない子』なのよ!」


 言い切ったぞ!

 ドヤ!


 ……。


 長い沈黙があった。


 ……。


 やがてダイアンが気まずく感じ始めた頃、ホリーが口を開いた。


「お姉様、あたし……しょうがない子っすか?」

「そうよ!」

「しょうがない子と悪い子は別っすか?」

「もちろんそうよ!」


 どこが違うか?

 ニュアンスが違う。

 しょうがない子はおバカ可愛いのだ。


「みんなそう思ってるんすかね?」

「まあ割とね!」


 少なくともルーサーはホリーを『バカ犬のようで可愛い』と言っていたので、大体近いことを思っているはずだ。


「お母様も、そう思ってたんすかね? その、あたしのこと、しょうがない子だって……」

「そりゃあ思ってたわよ! 間違いなく、100%そう思ってたわ!」


 ダイアンは力強く頷いた。

 ここは全力で肯定すべき所だ。


「奥様はあなたのこと『しょうがない子だなぁ、でも可愛いからしょうがないなぁ』って、そう思ってらしたわ!」


 これは真実だ。

 掛け値無しの真実なのだ。


「そう……っすか……」


 ホリーは小さく微笑んだ後、真面目な顔になった。


「お姉様、負けた者は勝った者に従う、これは世の中の決まりっす。あたしは負けたから勝ったお姉様に従うっす。お姉様、あたしに何やらせたいっすか?」

「そうね、とりあえず冒険者に復帰することね。ブランクがあるから苦労も多いでしょうけど。ダックワースの名に恥じないよう精進しなさい」

「わかったっす」


 ホリーは晴れやかに笑った。







 そして三日後。


「持ってくのはこれだけでいいんすよ」


 ホリーはダイアンが用意した餞別を受け取らなかった。


「お金も宝石も要らないっす」

「でも鎧とか買い替えないと昔のは小さくて着られないでしょ?」

「自分で稼いで買うっすよ。体一つあれば何とでもなるっす。あと、これがあれば」


 ホリーは古ぼけた獣の脚を見せた。


「クマの手のひら。あたしのお守りっす」

「そ、そお?」


 ウサギの脚ならともかく、クマの手のひらって……。

 若干引き気味なダイアンであった。


「じゃあ行ってくるっす。お父様帰ってきたらよろしく」

「いってらっしゃい」

「体に気をつけるのよ。たまには帰ってくるのよ。手紙も書くのよ。契約書はサインする前にちゃんとよく内容を理解するのよ。よくわからない書類にサインしちゃダメよ。それから、それから」


 サマンサも見送りに出てきた。

 ハンカチを握りしめ涙をこらえている。

 家令もその他の使用人たちも、手が空いている者は皆見送りに来た。

 ホリーは皆に大きく手振って、荷物を肩にかけて歩き出した。


「あざーしたっ!」


 後ろを振り向くことなく。

 何物にも縛られることなく。

 自由に輝く未来に向かって。








<完>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ドアマットヒロインが頑固すぎて困っています ful-fil @ful-fil

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ