第11話「領主と騎士の、新しい日常」
僕がこの辺境の地の領主として正式に任命されてから一か月が過ぎた。
僕たちの生活は以前とは比べ物にならないくらい変わった。
まず住む場所。
あの小さなログハウスは思い出の場所としてそのまま残し僕たちは村の近くに新しく建てられたささやかながらも立派な館で暮らすことになった。
王都から派遣されてきた職人たちが建ててくれたものだ。
僕には「領主の執務室」なんていう立派な部屋まで与えられた。
そこには周辺の村々から寄せられる陳情書や土地開発の計画書といった僕には少し難しすぎる書類が山積みになっている。
「うーん、この川の治水工事にはどれくらいの予算が必要なんだろう…」
僕がうんうん唸っていると隣で書類の整理をしていたカイがすっと地図を指さした。
「ここの流れを堰き止め水路をこちらに引けば最小限の人員でより広範囲の農地を潤すことができる。予算も当初の計画の半分以下で済むはずだ」
「本当だ!すごい、カイさん!」
僕が目を輝かせるとカイは「これくらい当然だ」とぶっきらぼうに答えながらもどこか誇らしげに見える。
カイは僕の専属騎士であり最高の補佐官でもあった。
騎士団長だった頃の経験を活かし領地の防衛計画から複雑な土木工事の指揮まで僕が苦手な分野を完璧にサポートしてくれる。
彼がいなければ僕なんてとっくに領主の仕事に押しつぶされていただろう。
館には何人かの使用人も雇われた。
穏やかで優しい侍女のアンナさん、料理長のマルコさん。
彼らは皆僕が領主になったことでこの土地に働き口ができたと喜んでくれている。
「領主様、本日のお茶菓子でございます。畑で採れたばかりの苺を使ったタルトですよ」
「わあ、美味しそう!ありがとう、アンナさん」
アンナさんが運んできてくれたタルトは甘酸っぱい苺の香りがして見ているだけで幸せな気分になる。
僕の生活は物理的にはとても豊かになった。
けれど一番大事なことは何も変わっていない。
僕の仕事の基本はやっぱり農業だ。
執務室の隣には僕の希望でガラス張りの大きな温室を作ってもらった。
そこでは王都から取り寄せたいろいろな種類の作物の種や僕が新しく品種改良した野菜たちがすくすくと育っている。
領主の仕事の合間を縫ってこの温室で土いじりをしている時が僕にとって一番心が安らぐ時間だった。
「ミナト、少し休憩したらどうだ」
いつの間にかカイが温室の入り口に立っていた。
彼は僕が土で汚れるのも構わずに作業に没頭しているのを見て呆れたように、でも優しく微笑んでいる。
「うん、もう少しだけ。この新しい品種のトマト、すごく甘いのができそうなんだ」
「そうか。だが無理はするな。お前が倒れたら元も子もない」
そう言ってカイは僕の隣にしゃがみ込むと僕の額の汗をそっと指でぬぐってくれた。
その自然な仕草に僕の心臓がドキリと跳ねる。
周りに人がいる日中は僕たちは「領主」と「騎士」として振る舞っている。
でもこうして二人きりになると僕たちはただのミナトとカイに戻るのだ。
「…カイさん」
「なんだ」
「なんだか夢みたいだなって。僕が領主様でカイさんが僕の騎士様なんて」
「夢じゃない。現実だ」
カイは僕の汚れた手を優しく包み込むように握った。
「俺は、お前を守るためにここにいる。それは騎士だからじゃない。俺がそうしたいからだ」
真っ直ぐな瞳でそう告げられる。
彼の言葉はいつも僕の心の真ん中にすとんと落ちてくる。
「ありがとう、カイさん」
僕も彼の手をぎゅっと握り返した。
その夜僕たちは久しぶりに二人きりで夕食をとっていた。
マルコさんが腕によりをかけて作ってくれた豪華なディナーも美味しいけれどやっぱり僕が一番好きなのはカイと二人で食べるシンプルな食事だ。
「今日のスープ、僕が作ったんだ。新しいカブ、すごく美味しくできたから」
「…ああ、うまい」
黙々とスープを口に運ぶカイ。
その食べっぷりを見ているだけで僕はお腹がいっぱいになってしまう。
食事が終わると僕たちは暖炉の前に置かれたソファに並んで座り揺れる炎を眺めていた。
僕の肩にはカイの頭がこてんと乗せられている。
クロも足元で気持ちよさそうに丸くなっていた。
「なあ、ミナト」
「ん?」
「これからも、ずっとこうしていられるだろうか」
ぽつりとカイがつぶやいた。
その声には少しだけ不安の色が滲んでいる。
領主と騎士。
その立場は僕たちに安定した生活をもたらしてくれたけれど同時に以前のような自由気ままな暮らしを少しだけ遠ざけてしまったのも事実だ。
僕はカイの頭を優しく撫でた。
「大丈夫だよ。僕たちが領主と騎士である前にミナトとカイであることは何も変わらないから。それに僕たちの家はあっちの小さな小屋だよ」
僕がそう言うとカイは安心したようにふっと息をついた。
「…そうだな」
彼は僕の肩に顔をうずめるようにしてぎゅっと抱きついてくる。
まるで大きな子供みたいだ。
「ミナトがいれば、俺はどこでもいい」
その言葉が何よりの答えだった。
領主になっても騎士になっても僕たちの本質は何も変わらない。
僕はこの豊かな大地を愛しカイはそんな僕を愛してくれる。
僕たちの新しい日常は少しだけ形を変えたけれどその中心にある温かい想いはこれからもずっと輝き続けるのだろう。
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