第17話 演劇部の選抜会
放課後の光は、少しだけ黄金色を帯びていた。
窓から射し込むその光が、舞い散るチョークの粉を照らして、
まるでステージのスポットライトのように見える。
演劇部の部室――今日ここで、文化祭公演の主演が決まる。
「えっと、それでは……主演発表します!」
部長の声が響いた瞬間、空気が一気に張りつめる。
息を呑む音、緊張で鳴る椅子のきしみ。
全員の視線が、一人の少女へと集まった。
「主演、白薔薇の姫・ヒロイン役は――」
部長が封筒から紙を抜き取る。
その手が、わずかに震えていた。
「朝霧玲奈!」
部室が一瞬、静まり返る。
そして、ぱっと拍手が広がった。
「おめでとう、玲奈!」
「やっぱり玲奈先輩しかいないっすよ!」
みんなが祝福の声をあげる中、
玲奈はゆっくりと立ち上がった。
髪が、窓の光に透けて揺れる。
彼女は少し照れくさそうに笑って、頭を下げた。
「ありがとうございます。……全力で、演じます」
その瞬間、光が彼女に集まるように見えた。
まるで舞台の上のヒロインが、そこに降りてきたみたいに。
玲奈は少しだけ肩を竦めて、照れたように微笑んだ。
その笑顔に、部員たちの視線が釘づけになる。
俺――日向勇気は、教室の隅で腕を組んでその光景をただ、見つめていた。
隣で拍手しながらも、心の奥で何かが静かにざわついていた。
(やれやれ……結局こうなるのか)
ため息をついた。
“朝霧玲奈”。二年B組のアイドル的存在で、俺の“恋人”だ。
――もっとも、恋人らしいことなんて、ほとんどしてないけどな。
そんなことを考えていると、玲奈がこちらを向いた。
「勇気くん」
玲奈がこっちに歩み寄ってくる。
「ん?」
「ねぇ、お願いがあるの」
玲奈が小首をかしげて笑う。
その笑顔が、いつもより少しだけ意味深に見えた。
「今回の劇ね、“恋人の彼氏役”がちょっとだけ出てくるんだけど……勇気くん、やってくれない?」
「は?」
「ほんの数分。セリフも少ないから。
でも大事なシーンなの。“別れのキス”の前に出てくる人」
「いやいや、なんで俺!?」
「だって、勇気くんが一番“自然に恋人らしく見える”もん」
「……」
何それ。
普通に言ってるけど、それって照れるんですけど。
「他にも演技上手い人いっぱいいるだろ?」
「違うの。勇気くんは、演技じゃなくて“素”で恋人っぽい空気が出るの」
「お、おいおい……それ彼氏に言うセリフか?」
玲奈はくすっと笑った。
その笑顔は、まるで誰かを試すようでもあり、少し切なくもあった。
「ねぇ、出てくれるよね?」
「おいおい。俺、ただの雑用兼補佐だぞ」
「だからちょうどいいの。自然体で演じて」
「恋人役を?」
「……“元恋人”役、ね」
その一言で、空気が一瞬止まった。
玲奈はふと目を伏せ、台本のページを指でなぞる。
――白薔薇の誓い。
恋人が戦で離れ離れになる悲劇。
最後は、白い花だけが約束を覚えている。
(……元恋人。妙な役だ)
だけど――そう言われて断る理由もない。
「……わかったよ。やるよ」
「ありがとう。勇気くんが出てくれるなら心強い」
その言葉の裏に――小さな棘のような違和感を、俺は感じた。
(なんだろう。今の笑顔……ちょっと、違う)
玲奈は普段から明るくて、誰にでも優しい。
けど今のは――“何かを隠してる”ような、そんな笑みだった。
「了解。演技指導は玲奈先生にお任せで」
「任せて。あなたを、ちゃんと“失恋”させてあげる」
――それは、まるで本気の宣告のようだった。
放課後。
太陽はすでに校舎の端を赤く染め始めていた。
中庭では、演劇部の数人が台詞合わせをしている。
俺はベンチに座って、それをぼんやりと眺めていた。
玲奈がステージの上に立つ。
風が彼女の髪をなでて、白い制服のリボンを揺らす。
「……“愛してる”。
でも、もう貴方とは――一緒にいられないの”」
その声が、胸を刺すように響く。
部員たちが拍手する中、玲奈は小さく息を吐いて笑った。
「ふぅ……まだ硬いかな」
「十分すぎるよ」
思わず口をついて出た言葉に、玲奈が目を細める。
「勇気くん、見てたの?」
「いや、たまたま通りかかって……」
「ふふ、嘘。絶対最初からいたでしょ」
「ぐっ……バレてたか」
「うん。……でも、ちょっと嬉しい」
「なにが?」
玲奈は少し間を置いて、小さく言った。
「勇気くんが、見ててくれると落ち着くんだ」
その一言に、胸が熱くなる。
やっぱり、俺はこの子も好きだ。
それは疑いようのない事実だった。
でも――
その想いの奥で、ほんの少しだけ黒い影が動いた。
(……本当に、そう思ってるのか?)
玲奈の視線は俺ではなく、どこか遠くを見ていた気がした。
演技なのか、本心なのか。
最近の彼女が何を考えているのか、いまいち読めない。
「ねぇ勇気くん」
「ん?」
「文化祭、観劇委員で誰が来るか知ってる?」
「さあ……生徒会の人とかじゃね?」
「正解。生徒会長、桐生里奈さんが来るんだって」
「っ――!」
桐生里奈。
学園の“完璧な象徴”であり、俺の初恋の人。
そして、今でもどこかで心を占める存在。
「会長が……見に来るのか」
「うん。審査も兼ねてるらしいよ。
“文化祭の中で最も完成度の高い公演”に生徒会賞が出るんだって」
「へぇ……なんかプレッシャーすごそうだな」
玲奈は笑う。
けれど、その笑みは少し挑発的だった。
「ふふ。会長さんの前でも、勇気くんは“元恋人役”できるかな?」
「な、なんだよその言い方……!」
「だって、気になるじゃない。
あの人の前だと、勇気くんってちょっと挙動不審になるもん」
「うるさい。そりゃ昔からの知り合いだから、多少は……」
「“昔好きだった人”って顔してるけど?」
「っ!」
玲奈の瞳が、まっすぐ俺を射抜く。
その視線の奥には、かすかな棘があった。
「……ごめん。ちょっと意地悪だったね」
「……お前、最近なんか変だぞ」
「そうかな?」
玲奈は微笑む。
その笑顔は、まるで仮面みたいに完璧で――どこか寂しかった。
俺は台本を片手に、中庭のベンチに腰を下ろした。
「勇気くん、いたのね」
振り返ると、そこには桐生里奈――生徒会長が立っていた。
姿勢が完璧で、制服の着こなしも整っている。
どこか“完成されたヒロイン”みたいな雰囲気。
「お疲れ、生徒会長様」
「からかわないでください」
「癖なんだよ。会長が完璧すぎて、軽口の一つでも言いたくなる」
桐生里奈。俺の幼馴染で、今でも“特別”だと思っている相手。
「文化祭の演目、《白薔薇の誓い》でしたね」
「ああ、主演は玲奈。俺はちょい役」
「そうでしたか。……ふふ」
彼女が、ほんの一瞬、笑った。
その笑みが、妙に柔らかかった。
(……おかしいな。里奈の笑顔って、滅多に見れない)
「何、今の笑い」
「いえ。懐かしくて」
「何が」
「勇気くん、昔からそうでした。困ってる時ほど、軽口を言う」
――その言葉に、心が少しだけ動く。
だけど、俺は冗談めかして言った。
「それ、俺のチャームポイントだから」
「チャーム……ポイント?」
首を傾げる仕草が、やけに可愛くて、視線を逸らした。
(やっぱ、ズルいな。何もかも完璧なくせに、時々だけど人間味を見せる)
沈黙のあと、里奈が少し頬を染める。
その瞬間――
彼女の表情がふっと柔らかく崩れた。
(……?)
彼女の視線はどこか遠くを見ていた。
胸の奥に、小さな棘が刺さる。
無意識に、台本を強く握りしめていた。
帰り道。
部活帰りの生徒たちの笑い声が響く中、玲奈はふと足を止めた。
「ねぇ勇気くん、あの劇のラストシーン知ってる?」
「“白薔薇の誓い”の?」
「うん。……恋人同士が、最後に別れるところ」
「まぁ、有名だよな。悲劇の定番って感じ」
「そうだね。……でもね」
玲奈は少しだけ、目を伏せた。
「“別れる”って、必ずしも悲しいことじゃないんだよ」
「え?」
「お互いが幸せになるために、離れることもあるでしょ?
それも“愛”の形だと思う」
「……そんな理屈、納得できねぇよ」
「ふふ、勇気くんらしい」
玲奈の横顔が、夕焼けの中で赤く染まっていた。
その光景が、なぜか胸の奥でざわめいた。
家に帰ると、机の上に台本があった。
ページを開くと、“別れの台詞”が目に入る。
「私は、あなたのことを愛していた。――でも、それだけじゃ、生きていけないの」
俺は思わず笑う。
「まるで、玲奈が書いたみたいだな」
窓の外では、月が静かに照らしていた。
夜。
玲奈の部屋の窓辺。
机の上には《白薔薇の誓い》の脚本。
ページをめくる指が、静かに止まる。
「……“白薔薇の姫は、最後に微笑んで別れを告げる”……か」
玲奈は小さく笑った。
その笑みは、どこか覚悟のようなものを帯びている。
「……これが、最後の“恋人役”ね」
窓の外。
月の光が、静かに彼女の頬を照らした。
その光の中で、玲奈の瞳がかすかに揺れた。
まるで、舞台の幕が静かに上がる前――
誰にも見せられない“別れの演技”が、
彼女の中で始まっていた。
文化祭まで、あと二週間。
俺たち三人の関係は――
まだ、誰も知らない“幕開けだった。
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