第4話 敵ギルド潜入、おっさん流の交渉術
「財務大臣の問題は、私の最初の仕事ですね。なんとしても解決させなければ」
「でも、帳簿はもう……」
陛下が肩を落とす。
「帳簿がなくとも、罪を暴くことは可能です。――たとえば、先程も指摘した《王宮内修繕費》」
妙に高い修繕費が、何年にも渡って算出されていた。
にもかかわらずこの王宮は、あちこち壊れている。
「陛下は、大金をかけて直した場所を把握していらっしゃいますか?」
陛下は首を横に振った。
「そんな修繕など受けた覚えはない」
「となると、修繕費はどこへ消えたのでしょう? 修繕費の項目には、資材を買い付けた記録がありました。それがどこから調達されるかご存じですか?」
「王宮で使う資材は、必ずギルド登録商人経由で納入される」
「では、すぐにギルドへ向かいましょう」
そう提案した途端、陛下の表情が曇った。
「……商人たちが私に協力してくれるとは思えない」
「なぜです?」
「……私には敵が多い」
イリス陛下はぽつりと続けた。
「私は国中の民から……処刑を願われるほどに嫌われているのだ……」
「……!」
さすがに驚かされた。
(こんな子供の処刑を国民たちが願うなど、そんなことがありえるだろうか……?)
いや、歴史上、そういうことがいくらでもあったことはわかっている。
だが、納得がいかなかった。
少なくとも私が接してきた限り、この幼い王に嫌われる理由など一つもない。
であれば、嫌われているという現状は、陛下本人のせいではなく、情報の歪みか、誰かの意図的な印象操作だ。
もしそうなら、原因を突き止めて正せばいい。
(帳簿は消えた。私と陛下には味方もいないようだ。――だからこそ、燃える)
「次の手が決まりましたよ、陛下。あなたに協力する者を、私が作り出してみせます」
灰の匂いがまだ残る書庫の中で、イリス陛下は目を瞬かせた。
「やはり、これから商人ギルドに向かいます。ただし、陛下は変装をお願いします」
「変装?」
「きっと面白いことになりますよ」
私は戸惑い顔の陛下に向かって、意味ありげに微笑んだ。
追い詰められるほど、策を練る余地がある。
こういう場面こそ、腕の見せどころだ。
◇◇◇
「やれやれ。国と取引のある商人を、見ず知らずの人間に明かせるわけがありませんな。我々にとって帳簿は命。外部に渡すなど自殺行為です」
商人ギルドの職員は、開口一番そう言った。
声は穏やかだが、はっきりと拒絶を含んでいる。
イリスがわずかに口を開きかけたが、私はそれを手で制した。
「ええ、ごもっともです。だからこそ、信用を損なわずに確認できる方法を考えました。商人名は伏せたままで結構です。必要なのは、日付と金の流れだけです」
職員の眉がわずかに動いた。
だが、すぐに口を開く。
「……そうやって数字を切り取れば、誤解も生まれる。不正など無いのに、あるように見える可能性もある」
「わかります」
私は静かに頷いた。
「たしかに数字は切り取り方次第で印象を変えられる。だから、疑うためではなく、誤解を防ぐために確認したいんです」
少し身を乗り出し、言葉に重みを乗せる。
「いま、王宮では修繕費と資材仕入れの不備に関する疑念が浮上しています。このままでは、取引している商人まで同じ穴の狢と見られかねない。正しい取引をしている人を守るには、証拠を伏せるより、示すべきです」
室内の空気が静かに変わった。
それまで敵意を漂わせていた職員が、腕を組みながら小さく息を吐く。
「……ふむ。つまり、商人側を守るための確認というわけですか」
「その通りです」
帳簿を抱えた職員が判断を仰ぐように背後を振り返ると、重い足音が響いた。
恰幅のいい男が、奥から姿を現す。
「私はギルドマスターだ」
ギルドマスターはその中をゆっくりと歩み、私と変装中のイリス陛下を見下ろした。
「理屈はわかる。だが、なぜあんたを信用しなきゃならん? 王宮の使いだというが、それを証明するものは?」
「いい質問です。――証拠をお見せしましょう」
「……ほう?」
ギルドマスターの眉がわずかに上がる。
私は、横に立つイリス陛下に視線を向けた。
陛下はこれから起こることを全く察しておらず、キョトンとした顔で私を見つめ返してきた。
「ちょっと失礼しますね、陛下」
「む?」
陛下の隙をつき、私は彼女の被っていたかつらを取り払った。
特徴的な銀髪がハラリと流れ落ちる。
「なっ!? あ、あなたはっ!?」
陛下の姿を目にした途端、ギルドマスターたちは息を呑んだ。
とうの陛下自身も凍りついている。
「皆様ご存じイリス陛下です。陛下が一緒だということは、何よりもの証明になるでしょう?」
ギルドマスターは驚愕の表情を浮かべながらも、その場に膝をついた。
他の職員たちも慌ててそれに倣う。
室内はいっきに緊張状態に陥った。
「待て、顔を上げてくれ。私はそなたらに協力を仰ぎに来たのだ!」
イリス陛下は両手を振りながら、そう訴えかけた。
ギルドマスターが不信の入り混じった目で、イリス陛下を見上げる。
「恐れ多いお言葉ですが、あなた方が持ち込まれたのは、王宮の問題。我々は商人です。政治に関われば、どちらに転んでも損をする。自分の城の火は、自分で消されてはどうです?」
「……」
その声には、冷たさだけでなく、長年の怨みが滲んでいた。
「それに、王宮と我々のあいだに、義理も恩もありません。先代の頃に納めた物資の代金だって、いまだに滞ったままです。国を救うためだって言って、まるで泥棒のように市民から税も物資も攫っていった」
イリス陛下の肩がかすかに揺れた。
それでもギルドマスターは止まらない。
「当時、こっちは倉庫が一つ潰れたんだ。……もうこれ以上、王宮に迷惑をかけられたくはありませんね」
イリス陛下は縮こまったまま、俯いてしまった。
無理もない。
正論ほど、人を刺すものはない。
しかし、彼女は十分頑張ってくれた。
ここからは私の番だ。
これほど敵意をむき出しにされる交渉は久しぶりだ。
利害がぶつかる現場ほど、交渉するのに面白い舞台はない。
「おっしゃる通りです、ギルドマスター。あなた方は、何度も裏切られてきた。力を握る大臣たち、そして先代から続く古い政権――彼らは国のためという名目で、あなた方商人を食い物にしてきた」
私はわざと一拍置き、口角を上げた。
「けれど、今の陛下は違います。私と陛下は、腐った王宮を一新します。今はまだ微力な存在ですが、いずれ必ずこの国を再建してみせます。そのとき、最初に手を貸してくださったあなた方ギルドには、倍返しで報いましょう。いま助けていただければ、信用という先行投資が、将来の独占契約に化けます。――どうです? これ以上に利のある話、そうそう転がっていませんよ」
ギルドの空気が揺れた。
誰も口を開かない。
私は静かに息を吐き、陛下に目で合図を送った。
――ここが、勝負どころだ。
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