第4話「声をあげるか、沈黙するか」
「声を上げるか、沈黙するか」──この章は、匿名の脅しや誹謗中傷という現実的なリスクと、それでも声を上げる意味を正面から問いかける。
教室という小さな公共圏で交わされる対話を通して、主権者としての尊厳と行動のコストを見つめ直してほしい。
個人の一声は小さくても、連鎖すれば制度を動かす力になることを、本作は静かに示す。
--------------------
『努力の国の裏側──「報われる社会」の正体を君は知らない』
### プロローグ:葵の朝
朝、スマートフォンのアラームで目が覚める。
葵は、いつものように画面をスワイプした。
通知が、画面を埋め尽くしている。
SNSの投稿への反応。いいね、リツイート、コメント。
葵の胸が、高鳴る。
でも──
その中に、一通のダイレクトメッセージがあった。
送信者は「匿名」。
葵は、何気なくそれを開いた。
次の瞬間、葵の手が震えた。
「調子に乗るな。お前みたいな正義感ぶったガキは痛い目見ればいい」
葵の視界が、揺れる。
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
スマートフォンを持つ手が、汗ばんでいた。
葵は、ベッドに座ったまま動けなくなった。
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいる。
でも、部屋は急に寒く感じた。
「……なんで、こんなこと」
葵の声は、誰にも届かない。
もう一度メッセージを読む。
文字が、目に刺さる。
葵は、スマートフォンを膝の上に置いた。
そのまま、何分も動けなかった。
時計の音だけが、部屋に響いている。
「……学校、行きたくない」
小さくつぶやいた。
でも、今日は授業がある。
葵は、重い体を起こした。
-----
### 放課後の教室──沈黙の空気
いつもの放課後。
でも、今日の教室の空気は、どこか重かった。
葵、怜、遥、健太、隼人。そして天野先生。
いつものメンバーが集まっている。
でも、葵は下を向いたままだった。
怜が、心配そうに声をかける。
「葵、大丈夫?なんか元気ないけど」
葵は、少し迷った。
でも、スマートフォンを取り出して、あのメッセージを見せた。
-----
怜の顔が、強張る。
遥が、小さく息を吸い込んだ。
健太が、拳を握りしめる。
「……ふざけんな」
健太の声が、低く響く。
「こんなの、ただの脅しじゃねえか。卑怯すぎる」
隼人も、複雑な表情でメッセージを見つめていた。
隼人は、何も言わなかった。
-----
天野先生は、静かにそのメッセージを見た。
先生の表情が、一瞬だけ険しくなる。
でも、すぐに穏やかな顔に戻った。
「葵、これは辛かったね」
先生の声は、優しい。
「でも、まずは一つ確認したい。このメッセージを受け取って、君はどう感じた?」
葵は、唇を噛んだ。
「……怖かったです」
葵の声が、震える。
「自分が間違ったことをしてるんじゃないかって、不安になりました」
「それから……」
葵は、少し言葉を選ぶ。
「投稿、消そうかなって思いました」
-----
教室が、静まり返る。
遥が、葵の手を握った。
「葵、気持ちはわかる。私も、もし同じメッセージが来たら……怖いと思う」
遥の目には、涙が浮かんでいた。
「私の母も、祖母の介護のことをSNSで発信してたことがあるんです。そしたら、『甘えるな』『自己責任だろ』ってコメントがたくさん来て……」
遥の声が、かすれる。
「母、それから何も発信しなくなった。『もう、誰にも話したくない』って」
-----
怜が、パソコンを開いた。
「俺も、調べてみた」
怜の画面には、いくつかのニュース記事が表示されている。
「政治的な発言をした人が、ネットで誹謗中傷を受けるケースって、めちゃくちゃ多いんだ」
怜は、一つの記事を指差す。
「2024年の調査だと、SNSで政治的発言をした人の約6割が、何らかの攻撃的なコメントを受けたって」
怜の声が、少し震える。
「中には、住所を特定されたり、職場に電話がかかってきたり……」
「それで、声を上げるのをやめた人も多い」
-----
隼人が、ゆっくりと口を開いた。
「……俺、正直に言う」
隼人の声は、いつもより低い。
「俺も、怖いんだ」
隼人は、葵を見た。
「前回、『声を上げても変わらないんじゃないか』って言ったけど……本当は、それだけじゃない」
隼人の拳が、震える。
「俺、父親の給料カットのこと、SNSに書こうと思ったことがある。でも、書けなかった」
「もし、父親の職場にバレたら……父親に迷惑がかかるんじゃないかって」
隼人の目には、涙が浮かんでいた。
「それに、俺が進学校に行くって決めたときも、『お前が政治的なことで目立ったら、推薦に影響するかもしれない』って先生に言われた」
隼人は、下を向く。
「だから、俺……沈黙してた。葵が声を上げてるのを見て、『すごいな』って思う反面、『大丈夫なのかな』って心配にもなってた」
-----
天野先生は、生徒たちの言葉を静かに聞いていた。
先生は、黒板に向かった。
そして、一つの問いを書いた。
声を上げることは、なぜ難しいのか?
「今、君たちが話してくれたこと。それは、全て『リスク』だ」
先生は、その言葉の下に、いくつかの項目を書いた。
誹謗中傷
プライバシー侵害
社会的評価の低下
家族や周囲への影響
自分の将来への不安
「これらは、実際に起こりうるリスクだ」
先生の声は、真剣だ。
「そして、これらのリスクを恐れることは、決して臆病なことじゃない」
先生は、生徒たちを見渡した。
「むしろ、当然のことなんだ」
-----
### 沈黙のコスト
葵が、顔を上げた。
「先生……じゃあ、私たちはどうすればいいんですか?」
葵の声には、迷いがある。
「声を上げたら、こんなリスクがある。でも、黙ってたら……」
葵は、言葉に詰まった。
天野先生は、黒板に新しい言葉を書いた。
沈黙のコスト
「いい問いだね、葵」
先生は、チョークを置いた。
「実は、『声を上げないこと』にも、コストがあるんだ」
先生は、新しい図を描き始めた。
「今日は、2025年10月17日だ。ちょうど今、この国では重要な政治的動きがある」
先生は、画面に最近のニュースを映し出した。
「自民・維新、連立協議継続」
「議員定数削減、企業献金廃止を議論」
「維新の会は、『身を切る改革』として議員定数の削減を求めている」
先生の声が、少し低くなる。
「でも、この政策には問題がある」
-----
怜が、すぐに反応する。
「議員が減ると、大きな組織票を持つ政党が有利になるってことですよね」
「その通り」
天野先生は、頷いた。
「議員定数が減ると、一人の議員が代表する有権者の数が増える。つまり、組織的な動員力がないと当選しにくくなる」
「個人の声は、さらに届きにくくなるんだ」
先生は、黒板に図を描いた。
議員定数削減 → 組織票優位 → 個人の声が届かない
「そして、もう一つ」
先生は、別のニュースを映し出した。
「企業献金廃止、自民が難色」
「政治献金の問題も、議論されている。でも、企業や富裕層からの献金を規制する動きは、なかなか進まない」
先生の声が、重くなる。
「なぜなら、政治家の多くは、その献金に依存しているからだ」
-----
健太が、立ち上がった。
「それって、おかしいだろ!」
健太の声が、教室に響く。
「国民の声じゃなくて、金持ちの声を聞くってことじゃねえか」
天野先生は、静かに頷いた。
「そう。これが、『沈黙のコスト』なんだ」
先生は、黒板を指差す。
「私たち国民が声を上げなければ、政治は変わらない」
「企業献金は続き、議員定数は減り、私たちの声はますます届かなくなる」
「そして、『市場の論理』が優先される政策が続き、『公共の福祉』は後回しにされる」
先生の目が、生徒たちを見つめる。
「つまり、沈黙することは……」
自分たちの未来を、他人に委ねることなんだ。
-----
遥が、震える声で言った。
「でも、先生……」
遥の目には、涙が浮かんでいる。
「私たちが声を上げても、本当に届くんですか?」
遥は、拳を握りしめる。
「私の母は、声を上げて傷ついた。祖母の介護のこと、誰にも理解してもらえなくて……」
「それでも、社会は変わらなかった」
遥の涙が、頬を伝う。
「だったら、声を上げる意味って……」
-----
### 尊厳という名の武器
天野先生は、遥の肩に優しく手を置いた。
「遥さん、君の問いは、とても大切だ」
先生は、黒板に新しい言葉を書いた。
声を上げることの意味
「声を上げることは、確かにリスクがある。そして、すぐには社会が変わらないかもしれない」
先生は、生徒たちを見渡した。
「でも、ここで考えてほしいことがある」
先生は、教科書を開いた。
「日本国憲法第13条。『すべて国民は、個人として尊重される』」
先生は、その条文を読み上げる。
「これは、何を意味しているのか」
-----
葵が、小さく声を出した。
「……私たち一人ひとりが、尊重されるべきだってことですか?」
「そう」
天野先生は、強く頷いた。
「でも、『尊重される』とは、どういうことだろう」
先生は、少し考えてから続けた。
「実は、先生も昔、迷ったことがあるんだ」
先生の声が、少し柔らかくなる。
「先生が若い頃、ある教育政策に反対して声を上げたことがあった」
「でも、同僚から『目立つな』『波風立てるな』って言われた」
先生は、窓の外を見た。
「そのとき、先生は考えたんだ。『沈黙した方が、安全なんじゃないか』って」
「でも、ある日気づいた」
先生は、生徒たちを見た。
「沈黙することは、自分の尊厳を手放すことだって」
-----
「尊厳とは、『自分の意見を持ち、それを表現する権利』そのものなんだ」
先生の声が、教室に響く。
「声を上げることは、結果を求めるだけの行為じゃない」
「それは、『私は、この社会の一員として、意見を持っている』という、自分自身への宣言なんだ」
「たとえ社会がすぐには変わらなくても──」
「たとえ誰かに批判されても──」
「君が声を上げた瞬間、君は『市場の論理』に屈しない、主権者としての尊厳を守ったことになる」
-----
隼人が、涙を拭いながら言った。
「先生……俺、ずっと怖かった」
隼人の声が、震える。
「でも、今わかった」
「俺が黙ってることで、葵を一人にしてた」
「俺が黙ってることで、この仕組みを支えてた」
隼人は、葵を見た。
「葵、ごめん。俺も、声を上げる」
「怖いけど……それでも、黙ってたら、俺は俺じゃなくなる気がする」
-----
健太も、力強く言った。
「俺も、親父に話す。親父の仕事は、誇りを持てる仕事だって」
「そして、俺も発信する。声を上げ続ける」
怜も、パソコンを開いた。
「俺も、もっとデータを集めて、この仕組みを可視化する」
「一人じゃ小さい声でも、みんなで声を上げれば……」
遥が、涙を拭いながら微笑んだ。
「……私も、母に言ってみる。『お母さんは、間違ってない』って」
「そして、私も発信する。介護の現場の声を」
-----
### エピローグ:声が集まる場所
その夜。
葵は、自宅でスマートフォンを開いていた。
あの匿名メッセージは、まだ画面に残っている。
葵は、それをじっと見つめた。
「……怖い」
葵は、正直に認めた。
「でも、黙ったら、私は私じゃなくなる」
葵は、新しい投稿を書き始めた。
「今日、匿名で脅迫的なメッセージをもらいました。
正直、すごく怖かったです。
投稿を消そうかとも思いました。
でも、友達が言ってくれました。
『一人じゃないよ』って。
声を上げることは、リスクがあります。
でも、沈黙することにも、コストがあります。
私は、この社会の主権者です。
だから、声を上げ続けます。
怖いけど、それでも」
葵は、深呼吸をした。
そして、投稿ボタンを押した。
-----
数分後。
通知が、次々と表示される。
「応援してます」
「私も同じ経験しました。負けないで」
「一緒に頑張りましょう」
「あなたの声、届いてます」
葵の目に、涙が浮かぶ。
でも、それは悲しみの涙じゃない。
画面の向こうに、たくさんの人がいる。
葵は、一人じゃなかった。
-----
翌週の放課後。
教室に、新しい顔があった。
一年生の女子生徒が、恥ずかしそうに立っている。
「あの……藤井先輩ですか?」
葵が、振り返る。
「はい、そうだけど……」
一年生は、スマートフォンを見せた。
そこには、葵の投稿が表示されている。
「これ、読みました」
一年生の声が、震える。
「私も、家族のことで悩んでて……でも、誰にも言えなくて」
「でも、先輩の投稿を見て……私も、声を上げてみようって思えました」
葵は、その一年生の手を握った。
「ありがとう。一緒に、頑張ろう」
-----
天野先生が、その様子を静かに見守っていた。
先生は、微笑んだ。
「声は、連鎖するんだ」
「一人の勇気が、次の誰かの勇気になる」
「そして、それが社会を変える力になる」
先生は、窓の外を見た。
「君たちは、もう主権者だ」
「この国の未来は、君たちの声で作られる」
-----
### 著者より
この物語は、ここで完結します。
でも、本当の物語は、ここから始まります。
あなたが感じた違和感。
あなたが抱いた疑問。
あなたが心の中で叫んだ言葉。
それは、全て正しい感情です。
声を上げることは、怖いです。
リスクもあります。
でも、沈黙することにも、コストがあります。
あなたは、この国の主権者です。
あなたの声が、この国の未来を決めます。
一人じゃありません。
たくさんの人が、同じように感じています。
だから、一緒に声を上げましょう。
怖くても、それでも。
-----
### 参考資料・行動ガイド
📚 おすすめの本
- 『国家はなぜ衰退するのか』
ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン
権力構造と経済格差の関係を、歴史的視点から解き明かす名著
- 『21世紀の資本』
トマ・ピケティ
富の集中メカニズムを、データで実証した現代の古典
- 『希望の国のエクソダス』
村上龍
若者の絶望と希望を描いた小説。現代社会への鋭い問いかけ
- 『社会はなぜ左と右にわかれるのか』
ジョナサン・ハイト
政治的対立の心理的基盤を、道徳心理学から分析
💡 行動のヒント
まずは知ること
- 政治ニュースを、複数の情報源から確認する
- データを調べる習慣をつける(貧困率、賃金推移など)
対話すること
- 家族や友達と、社会の問題について話してみる
- SNSで、自分の考えを発信する(匿名でもOK)
具体的に行動すること
- 選挙に行く(18歳以上)
- 地域の集会や勉強会に参加する
- 署名活動や市民運動に関わる
自分を守ること
- 誹謗中傷を受けたら、記録を残し、必要なら通報する
- 無理をせず、心の健康を最優先する
- 一時的な沈黙も、自己防衛として必要
🤝 あなたにできること
声を上げること。
それは、社会を変えるための努力であると同時に、
あなた自身が市場の論理に支配されない
「主権者としての尊厳」を守り続ける行為です。
あなたは、この国の主人公です。
あなたの人生と、あなたの声が、この国の未来を決めます。
一人じゃありません。
たくさんの人が、あなたと同じように感じています。
だから、一緒に。
--------------------
読んでくれてありがとう。
リスクを恐れて沈黙することは自然だが、その沈黙が未来の選択肢を狭めることも忘れないでほしい。
声を上げることは、結果を保証するものではないが、自分がこの社会の構成員であるという尊厳の表明になる。
本作が一人でも多くの人に「自分の声を考え、伝える」きっかけを与えられたなら、それが何よりの成果だ。
資本主義のエッセイを2部ほど、公開した後で、
この物語は、新しい視点と要素を加えた第二部へと移ります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます