第2話_プリーズキープキウイ
「……おはよぉ」
「おはよ」
今は土曜日の朝八時、ギリギリ健康的と言い張れる起床時間です。直美ちゃんの気の抜けたおはように、フライパンの卵に目を向けたままの幸樹が雑な返事をします。目玉焼きは栄養的にも手間的にも優れた食事ですから、朝食のおかずにはうってつけなのです、おばあちゃんが生きてた頃の幸樹はレンチンしたお米だけで朝食を済ませることも度々ありましたけど、今はちゃんとした朝食を摂っているようですね、ヨーグルトにみかんの缶詰を四房程盛って目玉焼きと白米を食べる、健康的な食生活です。
「おー、みかんの缶詰乗ってる、贅沢だ」
「近所のスーパーで安く売ってるからな、結構前からずっと買ってるんだ」
「そんなに安いの? あとで教えてよ」
「いいぞ、何なら後で見に行く?」
「行くー」
ふふん、このみかんの缶詰こそ近所のスーパーがプライベートブランドで作ってる妙に安いみかん缶です。600gという妙に多い量と300円のちょっと意味不明な値段を誇るのになぜか全然売れてないから安売りされてる、そんな謎商品がこのみかんの缶詰なのですよ。量が多いから消費に苦労するのが難点ですがそこはまあ工夫です、最悪牛乳と一緒にミキサーにぶち込んでフルーツ牛乳にすればいいですからね。
「ところで直美……なんか元気じゃない? 寝起きのクセに」
「あ、分かる? 寝起きでもスッキリしてるの分かっちゃう?」
「うん、昔はほとんどしゃべれない感じだったじゃん」
「ふふん、最近漢方薬を処方してもらってね、寝起きがシャキッと良くなったのだ~」
「マジか、漢方薬スゲェな」
「ホント、中国三千年の歴史は伊達じゃないね」
直美ちゃんは寝つきが良い代わりに寝起きがクソザコナメクジでしたからね、機嫌も最悪になるし三十分くらいそっとしておくのが最良の対処でした。それがこんな普通にお話できるようになって、漢方薬というのは凄まじいものですね。ちなみに幸樹は逆で寝起きが良い分寝つきがカスです、赤ちゃんの頃は寝かしつけに苦労したものですよホント。まああの頃はお父さんとお母さんも仕事休んでウチに居てくれたから全然何とかなりましたけどね、育児は数だよアニキ。
「目玉焼きだけで米食べるのキツイでしょ、ふりかけ使いなよ」
「使う~」
「はいこれ、わさび味」
「わさび……?」
朝食としては少し雑に感じるかもしれませんが、案外これくらいでちょうど良いのです、汁物やおひたしを作ったところで腹持ちは変わりませんからね。朝から頑張っても疲れちゃいますから、楽に行きましょう楽に。
「なにこれ辛いっ! 辛いんだけど!」
「あっキツかった?」
「ヤバすぎ口痛い! 牛乳出して牛乳!」
「はーい」
ちなみにおばあちゃんはアレ食べられないです、普通に辛さで口が痛くなるので。私は海苔と醤油でご飯を巻いて食べるのが好きですよ、海苔は安い寿司はねにすると経済的でよろしいでしょう。
そう、おばあちゃんはお海苔が大好きなのです、時々上野あたりで少しお高い海苔を買ってたりもしましたね、一緒に買ってきたマグロの柵で鉄火巻きを作ってあげると、それはもう幸樹は喜んだものです。ただ、最近の幸樹は柵のお魚を買っていないようです、一人で柵を食べきるのは厳しいので仕方ないですが……死んでしまったのが憎いですね、幸樹はお刺身が大好きですから、出来ることならアジの柵でも買ってあげたいところです。
「……ぷはーっ。死ぬかと思った、幸樹こんなの毎日食べてるの? 口の中真っ赤になっちゃうよ?」
「昔おばあちゃんにも同じこと言われた、慣れると普通にイケるよ」
「ハイレベルだなぁ……君はアレ? 五辛とか平気で食べる人?」
「唐辛子系は無理、強いのはわさびとか辛子みたいなツンとくるヤツだけだから」
「全部同じじゃん」
「車酔いと船酔いは別物でしょ、そんな感じ」
「そんなものかねー」
そうなんです、この子カレーとかは普通に辛いって言うんですよ、昔中華屋さんで担々麺食べるのにヒーヒー言ってましたからね、正直私としては納得いかないんですけど。だっておばあちゃん苦い物大体食べれますもん、ゴーヤもコーヒーも抹茶も普通に美味しくいただけるっていう、あっカカオマシマシの激苦チョコは別ですよ、あれはカカオの粉をそのまま食べるより苦い苦行食ですから、誰が食べるんだあんなもん。
「ごちそうさまでした、ご飯出してくれてありがとね」
「どういたしまして、この後どうする? 帰る?」
「帰る、けどその前にさっきのみかん缶を教えてもらう」
「そういやそうだった、んじゃ片づけて着替えたら出かけよう」
「はーい」
馴染んでますねぇ、落ち着いているというか、こうしていると本当に家族みたいです、そういうことを二人が言ってくれるとおばあちゃんはもっと嬉しかったんですけどね、まあいい雰囲気だったから文句は無いですけど。あと直美ちゃんは着替え持ってきてないから昨日来た時の服のままですし、そのまま寝たからシワが付いています、家から出るところを見られないといいですね。
「キウイが安いよ幸樹、これは買い時だよ」
「見切り品か、割と多めに入ってるな」
今は午前九時、幸樹と直美ちゃんは近所のスーパーで安売りされてる袋入りキウイを吟味しています。キウイは人気なのか長持ちするのか、見切り品として投げ売りされることは中々ありません、これは千載一遇の好機と言えましょう。ちなみに見切り品を買うならキウイやオレンジ、バナナのような皮を食べられないものがオススメです、可食部を皮が防御してくれるので時間が経っていてもあまり中身が傷んでいないのですよ、逆にイチゴやマスカットなんかの、皮ごと食べれる系は割と中身までダメージが入っていることがあって悲しくなります、苦い思い出なのです。
「せっかくだし私は買うことにする、幸樹はどうする?」
「量が多いからパス、割安でも出費が増えるのはおいしくない」
「確かに一人だと多いか」
一人暮らしの世知辛いところですね、割安大盛お徳用パックは使い切れないから買えないっていう。私がいなくなってから幸樹は、五本入りの格安ナスや袋詰めミネオラオレンジ、デッカイ白菜1/2カットに袋一杯詰められた旬のニラなど数々のお得食品を見送ってきました、私がいた頃は買えていたものが買えなくなってしまった現状には、彼も歯がゆい思いをしていることでしょう。
「んー……ねえ幸樹、冷蔵庫って今余裕ある?」
「あるけど、それがどうかした?」
「いやーさ、今の私は親にムカついてるから、このお小遣いで買うキウイを食べさせたくないんだよ」
「はいはい」
「で、持ち帰ったら一緒に食べることになるし、独り占めすると言っても角が立つワケ」
「せやな」
「と、いうわけで幸樹の家で保管してくれない? お礼に幸樹にもキウイあげるからさっ」
「なるほど……なるほど?」
ほう、炭酸抜き口実ですか……たいしたものですね。男の家に物を預けてそれを口実に家に通う好感度稼ぎは効率がきわめて高いらしく、告白直前に愛用するヒロインレースランナーもいるくらいです。
まあ冗談はさておき。ほうほう、良いですねそれは良いですね、最近は直美ちゃんが幸樹の家に遊びに来ることも減ってしまいました、そこにテコ入れをするのは今後の関係と告白成功率を考えてもとても良い案だと言えましょう。おい孫分かってるよな? ここで断ったりしないよな? 「そんな気軽に野郎の家に入り浸ろうとするな」とか抜かしてフラグへし折るんじゃないぞ?
「それくらいなら別にいいよ、てかキウイ食べさせてもらって良いの? 気軽に渡すには高くない?」
「ヤッター! いいよいいよ大丈夫! 一緒に食べる人がいるほうが楽しいから!」
「んじゃ遠慮なく貰うことにする」
(無言のガッツポーズ)
よしよしよしよし良くやった孫よ、お前がナンバーワンだ。この成功には単に家に通う頻度が上がる以上の意味があります、『同じ釜の飯を食う』という言葉もあるように一緒に物を食べるというのは距離感を大きく縮めるものです。この二人は「別にいつでも話せるし」とか余裕ぶって学校だと全く話さないし、一緒に弁当も食べません、ですからこの変化は二人の関係に大きな影響を与えることになるでしょう。さらに言えばこのまま直美ちゃんが果物を買って一緒に食べる生活を続けてくれれば、幸樹が果物のお返しとか言って買ってきた魚の柵を一緒に食べるような展開が起こるかもしれません、ああもう楽しみで仕方ありません、夢が広がります。
とはいえ期待し過ぎるのは禁物、今は『二人の距離が少し縮まりそうで嬉しい』くらいにとどめておきましょう。
「んじゃ早速買ってくるねー」
「うん……いや待ってみかん缶まだ見てない」
「あっそうだった」
忘れてたんかい。
「んじゃ、さっそく食べましょうか」
「おー」
午前九時半、家に帰った二人は早速戦利品を食べようとしています。
「キウイの皮剥くのめんどいから苦手なんだよね、直美は得意?」
「私も無理、でもいいやり方があるから大丈夫、とりあえず小さいスプーン二つ出してくれる?」
「はいはい」
ほう、どんなやり方なのかお手並み拝見といきましょう。おばあちゃんもキウイの皮剥くの苦手なんですよね、いや剥くのは楽なんですけど可食部ごと剥くことになっちゃうんです、スイカと違ってキウイは皮ギリギリまで食べられますから、生ハムの原木をカットするが如き薄切りの達人技が求められるのです、まあ私は生ハムの原木を切ったことありませんけど。
さて、この難題を直美ちゃんはどう調理してくれるのか……!
「持ってきた、んでどうするの?」
「ではまずキウイをまな板に横向きで置きます」
「置きます」
「次に包丁を出します」
「出します」
「キウイを真っ二つにします」
「え」
「これで終わりだよ」
え、もしかして皮ごと食べる感じ? 農薬とかヤバいわよ?
「皮、剥けてないですよ」
「ふふん、このままスプーンでほじくって食べるんだよ」
「……あ、なるほど」
……あ、確かにそれで行けますね。言われてみればメロンとかスイカもスプーンで食べますし、考えてみればそれが一番楽ですね。うわこれ悔しい、生前に知っておけばもっと楽できたのに、主婦の知恵で高校生に負けただと……? チクショウ。
「どう? 賢いでしょ? デキる女でしょ? 可愛いでしょ?」
「これは賢さ全一だわ、お前がナンバーワンだ」
「まあネットで知ったんだけどね」
「俺の称賛を返せ」
良かった、十五歳の主婦力に敗北した七十八歳のおばあちゃんはいなかったんだ。え?死んだときの年齢だから実年齢はもっと上だろって?死んだ人間の歳を数えても仕方ないでしょ、アイアム永遠の七十八歳、いいね?
しかしまあいいことを聞きました、今度試してみましょ。死後の世界でも果物は売ってます、昭和三十年代にみかんを作りまくってた豪農の皆様が職人技と超体力で現代農業無双してますよ。
「まあまあ、この二つ目のキウイを半分あげるから水に流してくれたまえ」
「いいの? 一個だけ貰うつもりだったんだけど」
「私は優しいので全部半分こするよ、遠慮なく食べよ」
「ありがたや~ありがたや~」
「でも私がいない時に食べるのはダメよ、食べたかったら私を呼ぶこと、行くから」
「りょーかい」
あら太っ腹、仏の如き優しさですわ。関係ないけど女性に太っ腹って言うのはなんか抵抗があるんですよね、何なら男性でも気のいいおっちゃん以外に言うのはちょっとなーって節があります。それで太っ腹の言い換えを調べてみたら雅量とか広量とか、聞き馴染みのないチャイニーズな言い回しが多かったんですよね、こういう難しい言葉って言っても伝わらないじゃないですか? で、「いよっ、あんたが大統領」とかもふざけすぎな気がするしで仕方なく太っ腹って言い回しを私は使ってるんです。あ、関係ないこと言ってる間にキウイ食ってる。
「うまいうまい、やっぱグリーンキウイはいいね」
「おいしいね~、ところでグリーンキウイってどういうキウイなん? ゴールドとかルビーとか聞いたことはあってもあんま知らないんだよね」
「グリーンが酸っぱい系でゴールドがパイナップルみたいな甘い系、ルビーはなんかレア度が高かった気がする、知らんけど」
「はえー」
ちなみにルビーキウイはベリー系のお上品な味がします、高いけど美味しいですよ。まあ私はグリーン派なんですけどね、ヨーグルトに入れて食べると美味いんですコレが。
「ごちそうさま、美味しかった」
「へーい、これが500円ってんだから見切り品はいいねぇ」
「二人で食べれば食べきれない心配も無いな」
「イエース」
いいぞいいぞ、そのまま幸樹も刺身とかデカすぎる大根とか作り過ぎた料理とかを直美ちゃんに貢ぐのです、朝貢貿易の如く互いに食い物を貢ぎ合うがよいのです。でも朝貢貿易って名目上貢物ですけど事実上たかりなんですよねアレ、「偉大なる煬帝様は使者に何も持たせず帰らせるようなケチな真似はなさいませんよね??」とかいう遠回しな恫喝ですよ、聖徳太子なんか建前すらぶん投げて「日出ずる国」とか抜かしやがりましたし。それに比べれば果物の返礼に刺身を渡す程度のやり取りは極めて健全かつ公平な物と言えましょう、マグロならともかく旬のブリとか安いですしね。
「それじゃあ、キウイも食べたしそろそろ帰るね」
「了解、キウイありがと、久しぶりに食べれて嬉しかったよ」
「そりゃあよかった、じゃあほら」
「…………?」
「ハグだよハグ! 昨日またやってくれるって言ったもんね? やっぱ無しとか言わないよね??」
「あーそっか、確かに言ったな」
うむ、ちゃんと覚えてて偉いぞ直美ちゃん、覚えてなかった孫は偉くないぞ。そうですそうですその調子です、そうやって言質をダシにほいほい気軽にハグと愛情をたかるのです! 必要好感度さえ満たしていればスキンシップはやればやるだけ爆速で好感度と愛情を稼げますから擦り得です、空Nくらい擦り得なのです。
「んじゃほい」
「んみゃ~~幸せぇ……、今日は素直にしてくれたね? 昨日は色々言って断ろうとしてたのに」
「まあ……一回やったら別にいいかなって、今更なかったことにってのもアレだし」
「じゃあ今後もお願いしていい?」
「いいぞー、なんなら俺からも時々頼みたい」
「いきなりデレたね……いやもちろんウェルカムだけどさ」
「久しぶりにやったら思ったより楽しかった、ちょっとハマりそう」
「そっか~」
(無言のガッツポーズ)(本日二回目)
はーっ良かった良かった、ここまで出来るならもうしばらくは安泰ですね、私も安心して死後の世界に戻れます。もうね、おばあちゃんは嬉しくて嬉しくて仕方ないですよ、付き合ってないことは百歩譲って許しますしこうやってイチャついてる様子を見られて寿命が延びる思いです、まあもう死んでるんですけどね、ガッハッハ。
「よしっ満足! 放していいよ!」
「はーい」
「それじゃ今度またキウイ食べに来るからね! バイバーイ!」
「またなー」
直美ちゃんは弾むような足取りで帰っていきました、見送る幸樹も心なしか幸せそうな顔をしています。これはおばあちゃんも家にある青ラベルを開けざる得ません、帰って唐揚げ作ったら今夜は宴ですわよ。
あ、そうそうそれから、レビューと応援ありがとうございます、まさかもらえるとは思ってなかったので、おばあちゃん大喜びです、小躍りしてしまいました。こうして評価される感覚というのは良いですね、承認欲求満たされちゃいます。そんなわけで応援レビューをくれた皆様、そしてここまで読んでくれた皆様に、サンキュー!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます