第3話 虚構境界管理機関

ミコトは、扉を開けた瞬間に言葉を失った。

ここは……大学のサークル室、のはずだった。

だが、目の前に広がっていたのは、まるで異世界の冒険者ギルドだった。


木の梁がむき出しになった天井に、鉄製のランタンが柔らかく灯り、

壁には古地図や剣のレプリカが飾られている。


例の男子が大仰に手を広げて、ミコトを招き入れる


「ようこそ虚構境界管理機構きょこうきょうかいかんりきこうへ」

「僕が局長、神崎光かんざき ひかるだ」


「異世界や魔法について詳しく討論を通して真実に近づくための機関だ」


「勝手にサークル名を変えるな!」

「Cross talk!ディベートサークルでしょ!」


異世界なんて興味なさそうな、ゆる巻きの髪にニットの女子が声を上げる。


「あんたが部長になってからテーマが偏ってんのよ! 」


「だが、白石。いちばんノリノリだったのはだれだったかな?」


「うっ......」


「白石あかり、お前が一番好きな小説は何だった?」


「......太宰治の『斜陽』」


「嘘をつけ!!それはお前のよそ行きの好きな作品だ!!


お前は好きな作品を誇ることもできないのか!!作者への敬意はどこに行った!!」


白石と呼ばれた女生徒は雷にでも打たれたかのように膝をついて絞り出す。


「...... 『断罪された悪役令嬢、転生先では最強魔導師として王子を教育します』ですっ......!!」


「よろしい。」


神崎は満足げに頷く。

そして、両手を広げ宣言する。


「結局な、男も女も、老いも若いも、隠キャも陽キャも、全ての存在は異世界ものが好きなのだよ!!!」


サークルのメンバーが苦笑いしている。


人の良さそうな日に焼けた男子生徒が笑って言う。


「まぁでも、この前の、『魔法は科学で語れるか?成立に必要な最小構成要素を探る』

ってテーマも結構盛り上がったよな。

教授まで巻き込んで熱くなってたし!」


「もうディベートじゃなくなってたけどね」


そんな雑談が飛び交う中、


「異世界は......そんな良いところじゃない。です。」


ミコトがポツリとこぼす。


神崎は「ふむ」と腕を組んで続ける。


「異世界は全人類のロマンだが、確かに良いところばかりじゃないだろうな」


「『異世界で生き残りたい』だったか?

非常に良いテーマだ。

これは是非腰を据えて議論したいね」


ミコトの様子を見かねて、悪役令嬢もの好きの白石あかりが口を挟む。


「そう言うことじゃないんでしょ。」


と神崎に言ってから、ミコトにあたたかいハーブティーを渡す。


そして優しく声をかける。


「何か私たちにしてあげられることがあるのかな?」


ミコトはカップを受け取り、震える指先を見つめた。

逃げ出したい気持ちが頭をよぎる。けれど――。


「……あの。変なことを言うと思われても当然なんですけど」

大きく息を吸い込み、言葉を絞り出す。


「わたし……異世界から帰ってきたんです」


一瞬にして沈黙が訪れた。

皆どう反応して良いか考えあぐねている。


「本気で言ってたのか...?」

「そう思いたくなる気持ちもわかるけどなぁ」


とざわつき始める。


「奴隷にされて……毎日、痛い目にあって……

あ、あのこれ!」


そう言いながらシャツを脱ぐと、細い腕に痛々しい傷跡の数々が浮かび上がる。

誰かが息を呑み、白石あかりはカップを強く握りしめた。




「あ、違うんです! 親の虐待とかじゃなくて!!」


 「……あの」と続きを言いかけて、喉に声がつかえて止まる。


皆の視線が怖くて、一瞬目を伏せる。


(……まただ。どうせ信じてもらえない)


(でも、逃げない。今度こそ――この人たちには全部、見せる!)



「見てください。この音叉おんさ……向こうで渡されたものです」


ミコトは震える指で、首に下げていた小さな音叉を取り出した。


(信じてもらえなければ、また一人になる)

(でも、ここで逃げたら……何も変えられない!)


胸の奥でそう言い聞かせながら、彼女は固く音叉を握りしめる。


意を決して軽く鳴らし、囁くように歌った。


「……エルネ」


澄んだ音色が部室の空気を震わせる。

ミコトの声が重なると、淡い緑の粒子が空中に浮かび上がり、ゆっくりと舞い始めた。


音叉の澄んだ響きが、空気に微細な振動を与えていた。


粒子が白石あかりのカップの中の茶を僅かに震わせる。


それは誰も知らない“異質な現象”の始まりだった。


淡い緑の粒子が集まり線となり、模様のような円を描き出す。


やがて一点に集まり......



ミコトの目の前、中空に小さな光がともる。


「……これ、見えますよね?」


空気が一変する。

ガタリと誰かが椅子を鳴らし、部室に息を飲む音が広がった。


「田嶋。扉を閉めてくれ」


神崎が低く告げる。


呼ばれた田嶋は、日焼けした顔に驚きを浮かべながらも立ち上がり、ゆっくりと扉を閉めた。

重たい音が響き、部室は光と沈黙だけに満たされる。


皆がミコトの生み出した光を凝視していた。


「……マジックじゃ、ないのか?」

「化学反応でも……ないよな」

「光自体に熱は感じない」

「光源はどこから……?」

「催眠術、とか?」


光の周りに手をかざしてみたり、目を擦ったり、さまざまな角度から覗き込む。


それぞれが囁き合い、推測を組み立てる。


「――神韻魔法しんいんまほう、と言うそうです。」


ミコトの言葉に、全員の視線が一斉に集まった。


「歌や旋律で対象の固有振動に影響を与え、さまざまな現象を引き起こす魔法だそうです」


「魔法……」

誰かが呟く。


「素晴らしい……ミコトくん、だったね。これは本当に素晴らしい」


神崎が感嘆を漏らす。

目の奥が興奮に輝いていた。


「旋律による振動干渉……音で世界の構造にアクセスする手段か」

「量子干渉と共鳴理論の応用に見える……!」


「え、神崎……本気で魔法だと信じるの!?」


白石あかりが思わず声を上げる。

自分の言葉にハッとし、ミコトを傷つけたかと不安げに彼女を見やった。


神崎は一呼吸置いてから、にやりと笑う。


「――信じられない? 僕もだ。


だが、真実なんて、面白さの前では二の次だ。――もし本当に魔法なら、信じない方が損だろう?」


笑いながら言う神崎の目は異様な光を帯びている。


場が一瞬、言葉を失う。


「……面白いって何だよ」

「でも……まぁ、そうかもしれないな」

「ほんとディベート部長のセリフじゃねぇよ」


そんな文句が飛び交いながらも、張り詰めていた空気は次第にやわらいでいく。


先ほどまで疑いの色を帯びていた視線が、少しずつミコトを受け入れ始めていた。


「言うまでもないと思うが」

と神崎が全員を見渡しながら言う


「このことは極秘事項だ」


「そして、ミコトくん。

我々、虚構境界管理機構きょこうきょうかいかんりきこうは君を全面的にバックアップすることを約束しよう」


未知の事象に心躍らせるもの、ミコトに同情するもの。

反応は様々だが、神崎の発言をきっかけに、皆ミコトを全面的に受け入れるように、にこやかにミコトを見つめていた。


白石あかりがそっと手を伸ばし、ミコトの背中に触れる。


今まで誰にも言えなかった秘密。

隠すたびにどんどん重量が増していくような荷物を、ようやく下ろせた気がした。


そして、ずっと涙が出ていたことに今になって気がついた。

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