第4話 異世界の地図


「まずは、ミコトくんが何を見て、何を感じたかだ。異世界の全貌は、君の記憶に宿っている」

神崎が模造紙を広げ、マーカーを構える。妙な余裕と大仰さに満ちていて、まるで演説でも始めそうな勢いだ。


ミコトは少しだけ目を伏せ、膝の上で手をぎゅっと握りしめた。


白石あかりがそっと隣に座り、優しく微笑む。


「ゆっくりでいいよ。ここは安全だからね」


その言葉に背中を押されるように、ミコトはぽつりぽつりと語り始めた。


「……最初は、変な夢だと思ったんです。

自宅のベッドで寝てたはずなのに、目を開けたら知らない森で……。

頭が割れるように痛くて、吐き気がして……誰もいなくて。

ただ、泣きながら家を探しました」


白石あかりはメモを取りながら、冷静に言う。


「身体的な初期症状は、急性ストレス反応に近いわね。記録しておく」


神崎は壁に模造紙を貼り、マーカーを走らせる。


「文化、文明、言語、人種、世界情勢、魔法、治安……転移者の扱い、他の転移者の存在。

我々は、君の記憶から異世界を立体化する」


「ミコトくんの情報から事実と推測に分けてリスト化していく。これは“虚構境界管理機構”の最重要任務だ!」


「白石と僕で質問を進める。田嶋は事実の記録、それ以外は推測として分類。ジャンル別、確定度順に並べてくれ」


模造紙に次々と貼られていく付箋紙。

それらの情報はPCにまとめられ、大画面に映し出されていく。


「ミコトちゃん、異世界で病気になって捨てられたって言ってたよね。その後、教会に保護されたんだっけ?」


「はい……。現代に戻ってきてから、結核だったってわかりました」



「うーん......中世ヨーロッパでは、結核は“神に選ばれた病”って言われてたの。だから、教会で手厚く看病されたのかも」


白石あかりが、少し考えてから医学史の知識を交えて説明する。


「あちらの世界は中世ヨーロッパの価値観と近いところがあるのかもな......」


神崎が付け足す。


ミコトは、ようやく異世界で死にゆく最期だけ優しくされた理由に納得がいった。


「そのとき、看病してくれた人の中に……変わった魔法使いの人がいて。魔法のことや、あっちの世界についていろいろ教えてくれました」


「その魔法についての情報、全部出して。私が再構築する」

ショートカットの小柄な女性が名乗りをあげる。


「む、九条くじょう。魔法分析は僕がやりたいところだが……いいだろう。見事やり遂げてみせろ」


「へいへい」

九条澪くじょう みおは、神崎の偉そうな態度には慣れた様子で肩をすくめる。


「神韻魔法ね……音による振動干渉。空間や対象を揺らす。

これはもう、半分物理現象だよ。魔法なんて言葉じゃ足りない。

この世に存在するなら、物理を無視するなんてできないんだよ!」


みおは話すうちにテンションが上がりすぎて、声が少し裏返っていた。


「澪ちゃん、ちょっと落ち着いて」

白石あかりが苦笑しながら声をかける。


「念のため、精神鑑定を行うべきだな。ミコトくんにも、我々にも」


神崎が腕を組み、模造紙の前で真顔になる。

いつもの大仰さはそのままに、言葉だけは妙に冷静だった。


白石あかりがミコトをちらりと見てから、頷く。


「そうね。特に集団認知の観点で確認しておきましょう。

“魔法を見た”という認識が、心理的な同調や錯覚によるものじゃないかどうか」


「そうだな。我々がまとめて幻覚を見ていた可能性も否定しきれない」


神崎が眉をひそめる。


「だからこそ、脳波や認知傾向の検査は必要よ。

ミコトちゃんの体験が本物かどうか、科学的に裏付けるためにも」


「ふむ……ならば、局長命令だ。全員、精神鑑定を受けること!」


「はいはい、局長。」


神崎の診断書に“中二病”って書いてやろうと、白石あかりはニヤニヤしながらメモを取った。


「繰り返すが、魔法や異世界の実在については極秘扱いだ。外部の協力が必要なときは“異世界討論のネタ”ってことで、協力を取り付ける」


「難しそうな交渉には白石、お前が行け。

相手が男なら、大抵お前の頼みは断らん」


「あのねぇ、私をなんだと思ってんの?悪女か何かに仕立て上げるつもり?」


「いや、男から見て魅力的だと言っているだけだろう?魅力的な異性からの頼みを断れる人間はそういない」


「うっ……変なこと言うな!」

あまりにストレートな物言いに白石あかりは言葉に詰まり、ツッコミもままならない。


「それなら私も……」


「白石に任せる!!!」

九条澪くじょう みおが何か言いかけたが、神崎が被せ気味に押し切る。


九条澪のテンションが静かにダダ下がりした。


「マニアックなジャンルではきっと需要が……」などとブツブツ言っている。


壁には、ミコトの記憶から抽出された情報が次々と貼り出されていった。

白石あかりが神崎の横で資料の整理を進める。


ミコトが使った光の魔法『エルネ』を何度か再現してもらい、九条澪は検証を重ねた。

 

九条澪が自らに言い聞かせるように呟く。


「同じ工程を踏んでも、ミコト以外には発動しない。異世界ではもっと強く光が出たって言ってたよね?」


「はい」


「場所が違うからか、人が違うからか……」


「体温、脳波、心拍数……全部測ったけど、変化なし。つまり、この世界では測定できない要素が関係してる」


「魔法の正体は二の次だ!」

神崎が突然叫ぶ。


「使えるのがわかっているなら、使い方を調べるのが最優先!人類は、原理不明でも使ってきた!火も、電気も、スマホも!」


「局長、声が大きい」

白石あかりが冷静にツッコむ。


「スマホは原理分かってんだろ」

九条澪もツッコむ。


「確かにな。開発者は知っている。だが、使う人間は原理を知らなくても良いのだ。使い方を知っていればな」


「つまり!別の魔法を編み出すことが可能かどうか。そこに焦点を合わせる」


そして、サークル室の壁は情報で埋め尽くされていった。


「また異世界に行くことになる、と言っていたが、それは間違いないのか?」


「魔法使いの人が言っていました。」


ミコトは思い出す。



『お主の世界と相性が悪いのだよ。お主の魂は』


『お主の魂はこちらの世界に呼ばれている。

抗っても、いずれ戻る。せいぜい数年ってところだろう。』


魔法使いの静かで確信に満ちた眼差しを思い出す。


「なるほど。数年か……」

神崎がブツブツと考え込み、急に顔を上げる。


「次の転移のタイミングは読めん。だからこそ、短期決戦だ。まずは10ヶ月。そこを一区切りとして準備する!」


「明日以降、異世界の解像度を上げつつ、実践準備に入る!」


声がサークル室に響く。


「ミコトちゃん、また来れるかな?」

白石が優しく声をかける。


ミコトは、壁一面に貼られた情報の地図を見つめた。

異世界の断片が、紙と文字でつなぎ合わされている。


その視線に気づいた神崎が、少しだけ声を低くして言う。


「これは地図だ。君が異世界を歩くためのな。」


そして当たり前のことのように言う。


「地図があれば迷わないだろう?」


冗談か本気か、判断はつかない。


自信満々なその言い方が、妙にツボだったのかもしれない。

思わず、ミコトはクスッと笑ってしまった。

それは、異世界から戻って以来、初めての笑顔だった。

張りつめていた心の奥に、ふっと風が通り抜けたような気がした。


そしてミコトは小さく頷いた。


その瞬間、神崎が壁を指差して叫ぶ。


「異世界への準備は、今この瞬間から始まる!

我らが描くこの地図こそ、運命を切り拓く刃となるのだ!」


サークル室に、神崎の声が響き渡った。

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