第2話 異世界に行く準備始めます!
異世界は憧れの世界ではなかった。
あれは地獄だ。
魔物に襲われ、仲間に置いていかれ、声を押し殺して泣きながら逃げ続けた日々。
気づいたら奴隷にされていて、毎日鞭で打たれた。
病に倒れても誰も助けてくれなかった。——そして、わたしは使い捨てのように捨てられた。
(また運命がわたしを異世界に連れて行くとしても、また地獄みたいな目に遭うしかないんだろうな)
——そんな自分の人生への諦めが心の奥を支配していた。
今は平和な日本。生まれ育った街。
わたしは中学1年生、12歳だ。
異世界から戻ってきて8ヶ月、身体中の傷も、向こうでは治らないと言われた病気も現代医療で完治した。
元からどこに居ても浮いてしまう存在だったけど、半年間行方不明の上、傷だらけ、病気で死ぬ寸前で発見されたわたしは、家族からも学校でも気味の悪い子として、安定した最下層の地位を手に入れた。
母が泣きながら迎えてくれたけど、異世界の話なんて信じてはくれなかった。
昔からいじめられていたわけじゃないけど、なぜかいつも、何か問題が起こると「犯人」はわたし。
どこか自分だけいるべきでない場所に立っているような違和感ばかり感じていた。
だからわたしは、本やピアノや粘土細工に逃げ込んだ。
指先で形を作り、音を積み重ねる。
それが命を守る力になるなんて、そのときは夢にも思わなかったけど。
……そして今。
わたしは大学の文化祭に来ていた。
駅前でもらったパンフレットの「異世界討論会」という文字に、思わず目を留めてしまったからだ。
⸻
「異世界討論会」
手作りポスターが貼られた教室に入って、椅子に座る。
胸の奥がザワザワして、手のひらがじっとり汗ばんでいた。
大学生たちが真剣な顔で、よくわからないことを本気で討論している。
“りょうしりきがく”だとか、“ぶっしつへんかん”だとか、アニメの天才キャラからしか聞いたことのないような難しい言葉が飛び交う。
でも、その合間に聞き覚えのある言葉が出てくるたびに、心臓がドキンと跳ねた。
(……魔法体系?)
(魂の……波長?)
(転移者……わたしのこと?)
——あの異世界で教えられた“世界の理”と、同じ響き。
気がついたら、口が勝手に動いていた。
「それって、“魂の相性”の話と関係あるんですか?」
教室の空気が、ピンと張り詰めた。
誰かが息を呑む音が聞こえた。
全員が、ただ1人の客である私に視線を向けてきた。
意表をつく言葉だったのか、”この子供は何を言っているんだ?”と言った顔でこちらを見ている。
頭がおかしいと思われるかもしれない、なんて考えはどこかに吹き飛んでいた。
自分でも見ないふりをしていた「助けて欲しい」という感情が、胸の奥から叫びを上げた。
この討論会の熱が、普通なら馬鹿にされそうな空想を本気で話し合う言葉が、わたしをもっとおかしくしてしまったのかもしれない。
「わ、わたし……異世界に行ったことがあるんです!
そして、また行くことになる。だから——今度は絶対に、あんな目には遭いたくない!
ちゃんと、生き残りたいんです……」
声が震えて、心臓がバクバクして、全身がゾワッとする。
言った瞬間、後悔が押し寄せた。
(言ってしまった…お母さんにこんな話誰にも言っちゃダメって言われてたのに)
誰も笑ったりしなかったが、ただ空気が変わった。
どう反応したものかと戸惑い、討論に参加していなかった1人の男子に自然と視線が集まる。
その男子はゆっくりと立ち上がる。
中心にいるのが自然だと思えるような雰囲気の人だった。
光沢のある丈の長い白いシャツが、彼の動きに合わせて柔らかく揺れた。
奇妙な形の帽子が、彼の頭にちょこんと乗っていた。
異世界なら“神の冠”と呼ばれてもおかしくないような。
その姿は、まるで儀式の場に降り立った神官のようだった。
「……面白そうだ。話を聞かせてもらおうか」
——もちろん、信じたわけじゃないだろう。
討論のネタにちょうどいいと思っただけかもしれない。
それでも、胸の奥で何かが大きく動いた。
この出会いが、二度目の異世界転移でのわたしの運命を、大きく変えていくことになるのだと。
そのときはまだ、知らなかった。
そして、この瞬間、わたしの中で何かが芽生え始めていた。
——もう、嫌なことを受け入れるだけで生きるのはやめよう。
今度こそ、自分の手で未来を作るんだ。
指先で形を作り、音を積み重ねるように。
異世界で生き残るための準備を、今ここから、自分の手で始める。
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