第2話 『お姉ちゃんが団地の会長やってます』

昼下がり。




団地の階段をのぼり、玄関のドアを開けたら——


何かが、落ちていた。




 




紙。




大量の紙。




 




玄関ポストの受取口からはみ出したまま、何枚かが玄関マットの上に散らばっている。


その中に、ひときわ異彩を放つ金属のパーツ。




 




「……なにこれ、蛇口……の先っちょ?」




 




しゃがんで引きずり出すと、


中身は、分厚い書類、板で挟まれた冊子、USBメモリ、鍵、そして手書きのメモ。




 




風張いのり会長 殿




おはようございます。本日より回覧板の巡回をお願いいたします。


水道鍵パーツは旧117号棟仕様。使用後は厳重保管を。


防犯灯の件は次回会議で議題予定です。副会長より。




 




「…………回覧板、って何?」




 




いや、聞いたことはあるけど。


教科書で見たような、昭和の風習……。


そしてこの金属パーツ……。




 




妹のともりがリビングから顔を出した。




「お姉ちゃん、それ昨日の会長ごっこの続き?」




「ごっこじゃないのがつらい……」




 




テーブルの上には、けいじが置きっぱなしにしたゲーム機。


彼は今日も、学童へ。




 




妹のともりは部屋着のまま、ソファでごろごろしながら言った。




「でもさ、回覧板ってまだあったんだね。うちらの時代じゃほぼ都市伝説じゃん」




「……それを今から私が配るの。各階に……」




 







 




ポストに差し込む、回覧板。


ガムテープで補修された角。書き込み欄は手書きの日付と名前の羅列。


鉛筆で「済」って書いてあったり、読めない判子が押してあったり。




 




「これ……ライネ(※)で回せば一瞬なのに……」




 


※LiNEライネ。いまの時代の連絡網。


でも高齢者には「通知がうるさい」「誰が送ったのか分からない」と不評。


グループ機能が理解されておらず、“勝手に誰かが入ってくる謎の箱”扱いされている。




 




エレベーターのない団地。


119号棟の階段を上り下りしながら、私は一人で紙を配る。




 




2階の踊り場で、買い物帰りのおばあちゃんに会った。




「あら風張さんちのお姉ちゃん。会長さんになったんだってねぇ」




「えっと、うん。まあ、なんというか……」




 




「えらいえらい。若い子が動くのはいいことよ」




「ありがとうございます……」




 




おばあちゃんは、手に持っていた買い物袋をぶら下げながら言った。




「でもさ、回覧板ってさ、どうせ誰も読まないんだから、まとめて掲示板に貼ってくれればいいのよ」




 




……正論すぎて何も言えなかった。




 







 




帰宅すると、ともりが回覧板の中身を物色していた。




「これ、なんか書いてあるよ。“防犯灯の故障、北側通路。点滅異常あり”……ってさ」




「うち北側通路じゃないし……」




「ってか、お姉ちゃんが直すの?」




「直さないよ!」




 




蛇口のパーツを手に取り、ともりが首をかしげた。




「これなに?」




「外の水道用だって。会長しか使っちゃダメなやつ」




「えーなんかそれ、秘密の鍵っぽくてちょっとかっこいいね」




「全然かっこよくない。水撒きの時しか使わないし」




「なんで?」




「うちの団地、小さいからさ。水道の本管は117号棟の大きい方にあって、うちはそこから分けてもらってるんだって。だから会長がちゃんと管理しないと、勝手に使われて出しっぱなしとかされたら、水道代めっちゃ高くなったりして色々めんどいの」




「なにそのシステム、めんどくさ……」




「ほんとそれ……」




 




そこにけいじが帰ってきた。




「いのりねーちゃん、学童で自己紹介したよ!“お姉ちゃんが団地の会長やってます”って言ったら先生びっくりしてた」




「…ちょっ、やめて!?」




 




私の高校生活、なんかもう、静かに終わった気がする。




 




ともりがニヤニヤしながら言った。




「でも、なんか……似合ってるよ?その“団地のなんでも係”みたいなポジション」




「喜んでいいのそれ……」




 




私は回覧板の束をそっと、テーブルに置いた。


その重みが、ちょっとだけ、手に残った気がした。




 




「……明日も続くんだよね、これ」




 




ともりがぽつりと呟いた。




「うん。“今日だけ”って、昨日ママが言ってたやつね」




 




ほんと、それ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る