第3話『団地守ってくれてありがとう』

春の朝。




また、ポストに何かが詰まっていた。




 




「……おはようございます、会長様、だってさ」




 




封筒の中には、ひんやりとした**USB《ウーエスビー》**と、雑な字のメモが一枚。




【副会長より】


『新年度の掃除当番表データです。各階版を更新して掲示願います。


ウーエスビーは返却不要。がんばれ〜☆』




 




「がんばれ、じゃねぇんだわ」




 




いのりは朝ごはんの後、居間の古いノートPCを立ち上げた。


起動は遅く、ファンの音は掃除機並み。けど動く。それだけで十分。




 




ともりがリビングから顔を出す。




「それってさ、けいじが“ウスブー”って呼んでたやつ?」




「……え、これ? ウーエスビー。正式にはね」




「たぶん、あいつ配線ついてるの全部“ウスブー”って言ってたよ」




「……けいじ経由で謎のウイルスみたいに広まってるんだけど」




 




ウーエスビーを差すと、ひとつだけファイルが現れた。




『当番まとめ_前回提出用(年度末確定).xse』




 




エクセルセ形式の表計算ファイル。


旧文明の名残で、団地の実務資料の多くはいまだこの形式で動いている。


5階建ての119号棟。


階ごとに1枚ずつ必要な清掃当番表。


もらったテンプレをベースに、転入者を名簿から拾って更新していく。




 


「……地味にめんどくさいんだよね、これ」




 


でも、慣れればなんとかなる。


いのりはA4用紙を買い出しに出かけた。近所のホームセンター。


500枚入りを2束。それが限界だった。腕がちぎれそう。




 


支払いは、小口財布から小銭をかき集めて。


「この伝票、会計係に回しとけばいいよね。処理? あっちでやってね」






いのりは、自分で全部やるつもりはない。


やろうと思えばできる。


でも、それをやってたら時間がいくらあっても足りない。


限りある女子高生の時間は貴重なのだ。


 




副会長がやっているのと同じ。


会長の仕事は、“うまく丸投げすること”。


できるだけ自分でやらないことが大事である。


それでもやることはたくさんある。




印刷は地域センターの業務プリンターへ。


受付に団地名と部屋番号を記入し、鍵を借りて、A4サイズで5枚印刷。


 




最後の1枚で【トナー残量低下】のランプが点滅。




 




「……ギリギリ勝利ってことで」




 




ウーエスビーを取り出しながら、思い出す。




 


副会長は「返却不要〜」と言っていたけど、


貸してくれた前会長のおばあちゃんは、3回も繰り返して言ってきた。




「絶対返してね」




「それは団地のものだからね」




「どこにも忘れないでね」




 




ウーエスビーは、いかにも旧中華圏で量産されていたパチモノ感あふれる代物だった。


軽くてスカスカ。


握るとわずかにたわんで沈む、妙に“安っぽい”素材感。


見た目だけは派手で、色も妙にテカテカしている。




 


「ほんとにこれ、団地の備品って扱いでいいの……?」






静電気ひとつで壊れそうなほどチープなのに、


前会長には「絶対返してね」って言われた。


いのりはそっと封筒に入れて、さらにティッシュで包んでから副会長の自宅ポストに入れた。




 




扱いは“文化財”、中身は“駄菓子のおまけ”レベル。




 




春風が髪を揺らす。




 




──翌週、日曜 午前9時。




いのりは、妹のともり、弟のけいじと一緒に、団地の掃除に出ていた。




 




掃除といっても、30分程度。


階段の踊り場、通路、植え込み周辺。




 




でも今は――桜の季節。


貼りついた花びらと格闘するには、“例の機械”しかない。




 




倉庫から引っ張り出す。


アイリストーヤマ社製の団地専用ブロワー。


重たい。轟音。風圧MAX。




 




ともりがブロワーを見て言った。




「これ、たぶん風神の武器」




「じゃあ私は今日、風の神だったってこと?」




「うん。団地守ってくれてありがとう」




「何キャラ?」




 




でも、やる。


だって私は、“会長”だから。


しかもこの機械、前会長に「あなたが使うのよ」と直接言われた。




 




名指しだった。




「これは会長が責任持って扱って」って。




 




……逃げられない。


でも、逃げなかった。




 


「やりたいー!!ぼくもやりたいー!!」




 




弟のけいじがゴネる。


スイッチは入れさせない。


でも風の強さに目をキラキラさせてる。






けいじは普段から、まるでチンパンジー。


エキセントリックに、チンパンな行動を繰り出す小1男子。


なぜかすぐ木に登ろうとするし、団地の掲示板に向かってひとりで喋っている。


今日も朝から全開だった。




 




「ちょっとだけ持たせるから、絶対動かさないでよ……」




 




風の中で、姉と弟の影がゆらめいた。




 




掃除が終わる頃には、汗ばんでいた。


腕もパンパン。でも、やり切った。




 




掲示板には、掃除当番の予定表が貼られていた。


広報係のママさんが掲示してくれたもの。




 


いのりよりも後から団地に引っ越してきた“新入り”なのに、


シングルで子育てしながら、掲示物もきちんとやってくれる。


 




「忙しいのに、ほんとすごいな……」




 




彼女は会長にはならない。


いや、なれないけど広報係ならって妥協してくれた。


その結果が女子高生自治会長の誕生でもある。


でも、ちゃんと動いてくれる大人のひとり。


だからいのりも、ちゃんとしようと思える。




 




そして。


掃除用具倉庫には、もうひとつ大事なものがある。


掃除の出席名簿。


いのりがウーエスビーのテンプレから更新して、自分で作った。


階数ごとにシートを分けて、手書きで書き込めるように工夫した。




 




地味だけど、大事な作業。


この名簿があるから、各階の出席数が記録できて、


年度末には報酬が出る。


少額だけど、現金で支給される。


いのりのちょっとしたおこづかい。




 




「……うん、こういうとこだけは、ちゃんとやっとかないと」




 




誰かに任せるとこは任せる。


でも、必要なとこだけはしっかりやる。


それがいのりの流儀。


それでいい。それが、ちょうどいい。






団地で生きるって、意外と大変かもしれない。


自分のやったことが「ありがとう」って“誰かのひとこと”ですら返ってこない。




それが当たり前。




でもそれでも、自治会長という誰もやりたがらない仕事は住民の役に立っている。


それも悪くないと思ってやるだけ。


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