第18話 初めてのワイングラス

 その後も何人かの貴族と挨拶に周り、無事に会場の端へと辿り着く。


「リナルド、お疲れ様

 よく頑張ったね」

「エネア様もお疲れ様でした

 皆さん、エネア様へのご協力をお約束してくださってよかったですね」


 今日挨拶できた貴族たちは皆、すでにエネアと取引したことがあった方々のようだった。

 エネアは皆から歓迎されていて、これからエネアが男爵になったとしても見守ってもらえそうだった。


「安心しました。

 これで、エネア様が男爵になられても何も問題ありませんね

 トマス様の裁判も……妥当な形で決着がつくことを願います」

「……そうだな

 おそらく極刑は免れないだろうが、家の取り潰しは避けられそうだ」

「……エネア様……」


 うつむくエネアに声をかけるが、エネアは水色の瞳を細めて俺に微笑みを向ける。


「さぁ、今日はリナの誕生日でもある!

 初めてのお酒には何を飲む?」

 

 エネアが手を挙げると、給仕がドリンクのメニューを渡してくれる。

 ……どれも見たことのない酒だ。だが、一つだけ、知っている名前を見つける。


「……マスカード・アスティ……」

「あぁ、それなら初めてでも飲みやすい

 ……一体どこで知ったんだい?」


 給仕にオーダーしてくれたあと、エネアが不思議そうな顔をして、俺に尋ねる。


「……どこかで、耳にして。

 気になってたんです」


 誤魔化すようにして微笑む。

 脳裏には、あの日フードを目深に被って俺の隣で座っていたレイの姿が浮かんでる。


 ……一体、どんな味なんだろうか。

 できることなら、あのお酒を教えてくれたレイと、呑めたら……


「リナ、ほら、初めてのお酒だよ」


 いつの間にか給仕が届けてくれたのだろう、エネアの手に、ワイングラスに入った淡いゴールドの液体が揺れている。

 小さな泡が水面に向かってゆらゆらと上っていく。


「軽い食べ物をいくつか持ってくるよ

 ここで待っていて」

「はい」


 立食形式の夜会のため、皿に好きなものを盛って、好きに食べて良いようだ。俺は壁際に置かれた二人掛けのソファでエネアを待つ。

 グラスを片手に、きらびやかな会場をぼうっと見渡す。一口飲んでみると、爽やかな香りと甘みに、ほぅ、となる。本当に飲みやすい。


 会場の貴族たちは美しい姿で談笑し、音楽に合わせてダンスする。

 ──俺には、一生無縁な場所だ。

 今夜が終われば、またフェデラー男爵家での生活に戻る。そして……、出納帳の整理が終わったら、俺は俺の人生を生きる。

 エネアは、男爵として立派に生きていけるだろう。

 それがこの目で確かめられただけでも、今夜参加してよかった。


 そのとき、視界に見知った背中を見つける。


「っ、レイ……、」


 違う。

 背格好は似ているが、あの人は茶髪だった。あの美しい銀髪ではない。

 ただ、似ている背中だっただけだ。その背中も、大勢の人々の中に紛れて、もう見えなくなった。


「……いるわけないだろ」


 浮いた腰を、再びソファに降ろす。

 レイは招待されていないと言った。こんな所にいるはずがないのだ。


『俺は夜会の招待は受けていない

 自分の身は自分で守れよ』


 突き放すような彼の声を思い出す。

 きっとあれが、俺の人生でレイと交わした最後の会話だ。もう、王族と話す機会などないだろう。

 ……あんな、喧嘩のように別れるつもりじゃなかった。

 王都に着いたら、ライラを助けてくれたこと、俺を信じて話をしてくれたこと、こんな王族もいるんだって、希望を持たせてくれたこと、全部、お礼を言おうと思っていたのに……

 もう、叶うことはない。






「リナ? 大丈夫かい?」

「? エネア様」


 食事を皿に盛って帰ってきたエネアに、のぞき込まれ、心配される。

 どうしたというのだろう……

 あれ、


「ぅ……?

 エネア様、俺……身体が熱いです」


 まだグラスの半分も飲んでいないというのに、身体が指先まで熱く、心臓がどくどくと音を立てている。

 

「……おれ、お酒弱いみたい」

「……安心なさい

 休憩室がある

 そこまで行こう」


 エネアは俺の手からグラスを受け取り、ソファ横のサイドテーブルに取ってきた食事と一緒に置いた。

 そしてくったりと力の抜けた俺を、横抱きにして抱えてくれる。


 エネアは迷うことなく休憩室にたどり着き、俺をベッドへ横たえる。

 休憩室まで、伯爵家は広くて豪華だ。

 ベッドまで置かれているなんて……


「エネア様、ごめんなさい

 こんな大事な日に……」

「構わない

 伯爵からは今日は泊まっていっていいと言ってもらってるんだ

 ゆっくり休ませてもらおう」

「ん……」


 ぎし、とエネアがベッドに腰掛け、俺の頭を撫でる。

 ふわふわとした浮遊感に包まれ、身体の力が抜けていく。と、同時に……


「?」


 はぁ、はぁ、と段々と呼吸が荒くなっていくのを感じる。身体が熱に浮かされ、なぜか、下半身がうずくような感覚を覚える。


「え、……エネア、さま

 ごめん、なさい

 なんか、変です」

「? どうしたんだ? リナ……」


 エネアが俺の顔を覗き込むように、上から覆い被さった。その瞬間、

 ドクン、と心臓が跳ねる。


 エネアの……αの香りがする。

 腹の底に重く溜まっていくような、甘いグルマンノートに似た香りが辺りに立ち込める。

 エネアのフェロモンだ。


「エネアに、ぃさま

 だめ、

 部屋の外に、出て」

「はぁ、は、

 リナ、これは……君のフェロモンなのか?」

「や、」


 駄目だ。

 酒のせいかと、思っていたのに。

 これは発情ヒートだ。

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