第2話 第六王子

「お母様!

 これは一体どういうことですか?!」


 食堂の扉が大きな音を立てて開いた。

 飛び込んできたのは、背が高く見目の麗しい青年……エネアだ。緩やかにウェーブした金髪をなびかせ、額から流れる汗をきらめかせながら、扇を握りしめるエレインの腕をとった。

 エレインの実の息子だとは思えない、まるで天使のような青年だ。

 7年前、まだ17歳だったエネアは24歳になりもうすっかり大人の男性となった。そんなエネアは、この屋敷で唯一俺を助けに来てくれる。


「おやめください!

 一体リナルドが何をしたというのですか!」

「エネア……今朝は随分早いのね……

 これは、……リナルドが今日も朝食に出すナプキンを間違えていたから、少し叱っていただけよ!

 そうよね? リナルド」

「……奥様の……仰る通りです……っ」


 リナルド、と名を呼ばれ、痛みを発する背中をかばいながらゆっくりと起き上がる。

 ふーっ、と痛みをこらえながら、長く立派なテーブルの向こう側の壁に目を遣る。そこには縁に装飾が施された大きな鏡が飾られ、自分の姿が映り込んでいる。


 朝の光に煌めく青い瞳に、どれほど太陽の下にいても色の変わることのない白い肌、そして動きに合わせてさらさらと流れる亜麻色の髪。そんな男が、白と黒の使用人用の制服を身に着けて立っている。

 一般的に、『美しい』とされる姿が鏡の中に映っている。これが、俺だ。 

 憂いを帯びた表情を浮かべ、従順な使用人の姿をよそおう。


「……奥様、申し訳ありませんでした

 ナプキンを別のものに取り替えてまいります」

「はぁ……もういいわ、時間の無駄だもの」

「お母様、そもそもリナルドは私専属のはずだ!

 なぜ朝食の準備など……っ


 リナルド、大丈夫か?」


 エレインが席に着いたのを見届け、エネアが俺の元へと駆け寄る。


 ふぉ〜〜っ! 怖ぇ〜〜!! エネアの背後で俺をにらみつけるエレインと給仕係たちの目は、まるで視線だけで人を射殺そうとするかのようだ。


「はい……、いつもお気遣きづかいありがとうございます」


 できるだけ幼気いたいけな、エネアが弟のように可愛がってくれていた頃の、純朴そうな少年の顔で答える。

 エネアは俺の頭を撫でて、名残惜なごりおしそうにしながら自分の席へと着いた。

 壁際へと下がると、隣の給仕係の呟きが耳に入る。


「汚いΩオメガの癖に」

「お前のせいでエネア様がご苦労されているというのに……!」


 耳に入るが、そのまま反対側の耳から出しても良い内容だった。忘れ去ろう。美しいものはねたまれるものだ。この7年で嫌と言うほど思い知った。


 この世には男女という第一性の他に、αアルファβベータΩオメガという第二性が存在する。

 αは貴重な性で、体格に恵まれ、知能も秀でた者が多く、政治的要職に就く者や、学術的権威に多いとされている。この世界の中心を担う人間だ。βは最も人口が多く、一般的な人々を指す。

 この屋敷ではエネアだけがαで、トマスもエレインも、その他使用人たちも皆βだ。……俺だけを除いて。

 俺だけが、Ωだ。

 Ωはαよりもさらに数が少ないと言われる。第一性が男であっても子を孕む特殊な性だ。年に3、4回ほどある発情期ヒートには、子を孕むためにαを誘惑するフェロモンを撒き散らし、発情期が終わるまでいやらしい行為にふけるほか、何も考えられなくなるらしい。

 そんなΩは世間からすると汚らわしい存在として映るようだ。フェロモンで相手を誰彼構わず誘惑する、汚い存在。

 今では抑制剤を飲めば、発情期もコントロールすることができるし、誰も彼もを誘惑するわけじゃない。

 だが、家にΩがいると言うだけで、良家のご令嬢方は婚姻を避ける傾向にあるらしい。一般的に見れば貴族はαの後継を設けるためにαの正妻と、Ωの愛人を設けることが多い。既にΩが家にいるということは、暗に正妻よりも先に愛人がいる家に見えるのだそうだ。

 そのためΩである俺は、エネアの足を引っ張る邪魔者として、うとまれ続けている。


「はぁ、あの人は今朝も来ないつもりかしら」


 エレインが当主の空席を見つめながら呟く。


「……毎日夜遅くまで政務に励んでらっしゃいますから……」

「ハッ! いったい何に励んでいるんだか!」


 エネアのフォローも虚しく、エレインは至極機嫌が悪い。

 ああ……、今日の憂さ晴らしの理由は、やはりトマスの女遊びか。大方、昨夜は帰ってこなかったのだろう。……だからって俺に当たるなよ。

 舌打ちしたくなるのを必死で堪えながら、エネアとエレインの食事が終わるのを壁際で待つ。


 その時、もう開かないと思われていた食堂の扉が開く。


「おおお、お前たち!

 今すぐ玄関へ来い!!

 もう到着される頃だ!!」


 飛び込んで来たのはこの男爵家の当主、トマスだ。大きな腹を揺らし、いつもは塗り固められた前髪がハラリと数本落ちてしまうほどには焦った様子だ。


「あなた! ようやく顔を見せたと思ったらなんですの?!」

「到着って……一体誰が……」


 疑問をトマスにぶつけながらも、エレインとエネア、そして使用人たちはトマスの後ろについて玄関へと向かう。

 こんなことは初めてだ。本当に、一体誰が来るんだ?






 玄関の中央に、トマス、エレイン、エネアが立ち、その両サイドにこの屋敷の使用人がすべて並べられた。頭数だけは揃えた甲斐があったようで、圧巻の風景ではある。

 だが、残念ながら玄関にもほこりや古くなった調度が目立ち、不格好な雰囲気は否めない。


 そろそろ、待ちくたびれた……と使用人たちがちらほらあくびをし始めた頃、玄関の扉が開かれた。


「オルベルク王家、第六王子、

 レイ・オルベルク殿下のご到着〜!」


 重厚な二枚扉が開き、その中央から外の光を背に受けて、男が入ってきた。

 ……思わず、目を疑ってしまった。

 この世にこれほど美しい人間が存在するなんて。


 青みがかった銀色の真っ直ぐな髪に、目が離せなくなるような緋色の瞳。彼は間違いなくαだろう。玄関に立つ人間の中で最も身長が高く、逞しい身体つきが、豪奢な衣の上からでもしっかりとわかるほどだ。

 そんな佳人が、微笑みを乗せてトマスに挨拶をしている。


「急な頼みだったのに、これほど歓迎してくれるとは

 フェデラー男爵、心より感謝する」

「レイ殿下!

 私どもはオルベルク王家のお影で生きていけるのです!

 いくらでも、我が屋敷でお寛ぎください!」


 トマスは鼻息荒くレイ殿下にこびを売り始めている。

 レイの隣の侍従らしき黒髪の男は、トマスの態度を見てあからさまに拒否感を露わにした。

 王家の一員が屋敷を訪れるなんてこと、そうあることではないのだから仕方がないだろうが……なんでそんな人がこんな田舎の男爵家なんかを訪れたんだ?

 この辺りで泊まるところなら、隣にある伯爵家の別荘地のほうがよっぽど居心地がいいと思うが……


 そこまで考えた頃に、トマス達一行が目の前を通り過ぎようとする。俺は使用人たちの列の最後列で頭を軽く下げている状態だったが、レイ殿下が前方で一度足を止めたのを感じる。


「……レイ殿下、いかがなさいましたか?」

「……いや、気のせいだったようだ」


 それだけを呟いて、レイ殿下はトマス達と行ってしまった。


「ちょっと! レイ殿下見た?! あんないい男とは思わなかった!」

「立ち止まった時、私を見たのよ! 目が合ったもの!」

「何言ってんの! 私よ!!」


 お前らのことなんて見てるわけねぇだろ! あらかた、溜まった埃を見て、ドン引きしてたんだと思うぞ!!

 お出迎えの儀が終わったので、使用人たちはわらわらと、それぞれの持ち場へと帰っていく。口々に話をしながら。

 

「はぁ、でもあれだけいい男だけど、母親がねぇ〜」

「異国の踊り子でしょ? 王位継承権はないし、あちこち転々と遊び回ってるっていうじゃない?」

「でも、ほら、遊ぶ金には困ってないってことでしょ?!」


 ……なんでお前らがレイ殿下を選ぶ立場になってんだよ……。ぞっと背中に寒いものを感じながら、俺も持ち場へと戻る。

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