7-4
ちょうど正面に、隣りのビルの周囲が焼け焦げて割れた窓。目測で約五メートル離れている。
「やっぱり? やっぱりですか? 十五階で降りたから嫌な予感はしてたんですよ!」
新人は囁くように叫んだ。遥か階下とはいえ、道路には警備員が立っているので窓を開けた後では聞こえやしないかとひやひやする。
「良い読みじゃないか」
クラッシュは片手で背負ってきたナップザックを下ろした。軽装を好む彼とて何でもポケットに入れられる訳ではないのだ。
「渡るって何ですか! 廊下とか避難経路とか繋がってませんけど!」
「ペトロナスツインタワーにでも来ているつもりだったのか?」
クラッシュはナップザックからワイヤーの付いたフックを取り出すとクロスボウの要領で音もなく隣りのビルの窓枠の上に撃ち込んだ。フックから伸びるワイヤーを今いるビルの窓枠の内側に留め、ワイヤーに軽く体重を掛けて強度を確かめる。
「便利だろう? 原始的だが、小型で静か。使いやすいように工夫されてる」
そんなことは聞いていない。新人は呆然とクラッシュの動作を見ていた。
「気絶してくれるなよ。はいこれ、君のフック。先に行くか? 後から行くか?」
「先に行ってください」
「OK。使い方を言うぞ。このフックをワイヤーに通して、フックに着いているベルトに手を通す。ベルトは短く持って、あとは強めに壁を蹴ればいい。今回は傾斜を付けず同じ高さ同士で並行にワイヤーを張ったからな。蹴る強さが足りないと真ん中で止まって宙吊りになる」
新人は説明を聞きながら下を覗いた。警備員の姿が小さくて眩暈がする。地上十五階で自分の握力だけで宙吊りになると思うとぞっとするどころではない。
「体は小さくまとめておけよ、割れた窓ガラスが残ってる。当たると怪我するからな」
気遣いはありがたいのだが、落ちたら死ぬというのに怪我とか言っている場合だろうか。新人はそう思ったが口にする余裕がなかった。
「だーいじょうぶだ! 新人くんは運動神経が良いだろう? ワイヤーは百キロまで耐えられるし。余裕だよ」
新人の蒼い顔を流石に無視できなくなったのか、クラッシュは大きく口を開けて笑う。運動神経が良いのとそれを落ちたら死ぬ場所で実践しろと言われるのとは話が違う。安全が確保されてこそベストパフォーマンスが発揮できるというものだ、と抗議したい。
「人間は真上なんて早々気にしないから警備員のタイミングも気にしなくていいし。楽勝だ、ほら」
窓枠に乗ったクラッシュがとん、と窓枠を蹴る。まだ行かないと思っていた新人は驚いて身を乗り出した。
クラッシュはベルトに掴まりワイヤーを滑り、窓枠に辿り着いてフックをワイヤーから外すと音もなく対面のビル内に降り立つ。二秒も掛かっていないだろう。
「行った……片手で……」
新人は唖然としながら自分のフックをワイヤーに掛ける。こんなところに置いていかれるのは、それはそれで嫌である。どうせやるならさっさと行った方が足は竦まないのだ。
ベルトを片手で掴んでいたクラッシュは正気の沙汰ではないので、新人はぎゅっと両手で握りしめる。タイミングは気にしなくていいと言われたし、下はもう見ない。
外気が頬を撫でる。びゅう、と風がビルの隙間を抜ける音が大きく聞こえる。他に意識を向けようとすれば、時々車が通り過ぎる音もする。
正面を見据えたら、クラッシュが両腕を広げ「おいでー」と口を動かしながら彼女をしきりに手招いていた。
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