浮気された変身令嬢が、裏組織のボスと恋人契約したら

大井町 鶴(おおいまち つる)

◆第1章 発端

辞書を返しに行ったら、浮気現場でした

「もう、なんでフェスタったら出てこないのよ」


昼休み。辞書を返すだけのつもりで寮の彼の部屋を訪ねた。いつもなら婚約者のエリールが訪ねると、すぐに従者が扉を開いてくれるというのに、今日はそれがない。


(辞書を返しに行くって、従者にも伝えておいたのに……)


扉をノックしても反応はなく、ドアノブを回すと鍵もかかっていなかった。


(入っちゃおう)


静かに扉を開けて中へ入ると、部屋はひっそりと静まり返っていた。


棚に辞書を置こうとしたその瞬間──奥の部屋から、かすかな声が聞こえてくる。


(あれ、いたのかしら?)


なんの疑いも持たずに扉を開けた。


だが、そこにいたのは……。


――フェスタが女子生徒の肩に手を置いてキスしている。


瞳を閉じて口づける様子が生々しかった。


女子生徒といえば、涙を流しながらフェスタの胸に手を当ててピッタリとくっついて……。


(なによこれ)


人の気配に気づいた二人がギョッとした顔を見せる。


「っっエリール!?なぜここに……!」


その声を聞いた瞬間、エリールは辞書を投げ捨てて部屋を飛び出した。廊下に走り出ると、のんびり歩いてくる従者の姿が見える。


「エリール様!フェスタ様と良い時間を……」

「良い時間を過ごしたのは、私じゃないわ!」


驚いている従者を置き去りにしたまま、エリールは裏庭まで走っていく。


人目の少ない場所まで来ると、ようやくエリールの目から涙がこぼれた。


(……フェスタに浮気された)


昨日も今朝も、いつも通り屈託なく笑っていた彼が、なぜ──。


浮気相手はラビィという平民の生徒だった。彼女は、たしか劇団に所属する女優で、勉強にも励んでいたことから特別入学を認められて入園したという話題の人物――


(そんな彼女が、なぜフェスタと?接点なんてないはずなのに。でも、ずいぶんと親密そうだった)


涙がボロボロと溢れてくる。幸せだった時間が勝手に思い出されて胸が痛い。


「フェスタの、ばか……!」


泣き続けた自分の姿を鏡で確認したら、目がパンパンに腫れていた。


(なぜ私がボロボロにならねばならないわけ?)


傷つけたのは向こうの二人で、自分は被害者だ。なのに、どうして目を腫らして悲しまなくてはいけないのだろう。


エリールはベンチから立ち上がると、涙を拭った。


(……私は、グリール家の娘よ。いつまでもこんなことで泣いているわけにいかない!)


エリールの家はいわゆる裏組織の一員だ。代々、社会の平和を担う重要な任務に就いている。


現在は、任務中に亡くなった父を引き継いで兄たちが組織で働いていた。


(組織で働いていない私だけど……こんなことで打ちひしがれていてはダメよね)


ものすごく胸も痛いし頭も痛いけれど、このままじゃいけないと立ち上がる。


(エリールもフェスタもラビィも学園の寮暮らし。せめて寮だけでも出たい)


エリールは実家が遠くにあるから寮暮らしをしいている。このまま寮にいたら親密な彼らの姿をまた目撃してしまうかもしれない。


エリールは自室に戻ると、侍女マルタに事情を説明した。マルタは怒りながらも寮を出ていく準備を早速始めてくれた。


――ドンドン!


扉を激しく叩く音がする。おそらくフェスタだ。


「エリール!話をさせてくれ!」


やっぱり、と思ったが、話す気になれなかった。


「マルタ、フェスタを追っ払って」


マルタは頷くと、扉の外に出ていく。しばらくすると戻ってきた。


「諦めて帰った?」

「ええ。納得させましたから、薄情者なんか気にしないで本日中に寮を出られるように急ぎましょう」


目を細めマルタがにっこりする。


──寮を後にしたエリールたちが向かう先は裏組織のボスの元だ。


彼は、婚約を認めて後押しをしてくれて学園での後見人もしてくれている。


平穏を失ったエリールは、怒りと失望を胸に抱えながら踏み出した。


そして、それは秘密の契約へとつながることになると、知らずにいたエリールだった。


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