第16話打ち合わせ
『突然のご連絡失礼いたします。株式会社モリミュージックの渡邉と申します。以前よりネギマ様の楽曲を拝聴しておりました。特に最新の作品に深く感銘を受け、このたび正式にご相談をさせていただきたくご連絡差し上げました。もしご興味がございましたら、一度オンラインでお打ち合わせの機会をいただけませんでしょうか。ネギマ様の楽曲をCD化・配信させていただくことを前提に、アルバム制作やタイアップについてもご提案できればと考えております。お忙しいところ恐縮ですが、ご検討いただけますと幸いです』
今まで見たことのないぐらいの文章量に、少し引いてしまった。
「CDとか……こんな駄作が売れるわけないじゃん」
そう独り言を呟いて、私は返信ボタンに指をのばす。
『ご連絡ありがとうございます。ですが、私の曲はそんな立派なものじゃありません。ただの趣味で続けてきただけで、商品になるようなものではないと思います』
そう返信して、すぐにスマホを閉じる。
それで終わりだと思っていた。でも数日後、同じアカウントからまたDMが届いた。
『突然の連絡で驚かせてしまい申し訳ありません。ですが、ネギマ様の作品は間違いなく才能の塊です。売り出せば確実に人に注目されることでしょう。どうか、ご検討をよろしくお願いいたします』
前回とほぼ変わらない内容に、私ため息をついた。どうせ期待通りの成果なんて出せない。井の中の蛙でいられるなら、私はそれでいい。
『申し訳ありません。私にはそのような責任は負えません』
それだけ返して、私はまたスマホを閉じた。さすがにこれ以上の連絡はこないだろう。そう、思っていた。
そのまた数日後、また同じアカウントからDMが来た。
「しつこ……」
もしかしてこの人は、私が応じるまでずっとこうやって連絡を返してくるつもりだろうか。私に何を期待しているんだ。ろくな成果なんて出せるわけもないのに。
そう思い、いっそブロックしてしまおうかとも思ったけれど、一応、最後に文章だけでもみようと思った。内容は、相変わらずのものだった。
『何度も連絡をして申し訳ございません。ですが、どうしても我々はネギマ様の才能を手放したくはありません。CDと言っても、いきなり大規模なものを売り出すのではなく、まずは配信限定のシングルから。費用や宣伝はすべて弊社で負担します。凪音さんには、ただ今まで通り曲を作っていただければ十分です。どうか、ご検討をよろしくお願いいたします』
私1人に、なぜそこまでしようとするのか、疑問しかなかった。一応会社は調べてみたけれど、別に怪しい感じはしなかった。じゃあ、本当に私の才能を買って……?
ありえない、と思う反面、本当に自分は人に認められるだけの実力があるのかもしれない、という嬉しさも込み上げる。
「費用は全部あっちが負担してくれるし、作るだけでいいなら……」
受けたところでここまでデメリットがないのなら、別に受けてもいいだろう。そう思い、ブロックボタンに伸びかけていた指を、返信ボタンに移動させる。
『そこまでいうなら、配信だけでもやってみます』
そう短く返して、スマホを閉じた。
その翌日、さっそくDMが届いた。
『ご快諾いただきありがとうございます!このたびは前向きなお返事をいただけて大変嬉しく思います。まずはご負担のない形で進められるよう、オンラインにて簡単な打ち合わせをお願いできればと存じます。制作スケジュールや配信の流れについて、弊社担当チームと一度お話しできれば安心いただけるかと思います。ご都合の良い日時をいくつかお知らせいただけますと幸いです。こちらから改めてミーティング用のリンクをお送りいたします』
DMを読み終えた私は、深いため息をついた。
「……本当にやる流れになっちゃったな」
最初は絶対に断るつもりだったのに、結局こうして返事をしてしまった。文章から伝わる丁寧さと熱意に、もう逃げ場はないような気がする。
『承知しました。今週の土曜日の昼であれば、時間が取れると思います。13時以降であれば大丈夫です』
本当は何時からでも大丈夫なのだけれど、自分の性格のことを考えると、朝だと心の準備ができないし、一度昼食をきちんと済ませて心を落ち着けてからやった方がいい。そう思ってのこの時間設定だ。
それから土曜日までは、少しそわそわしながら生活をしていた。会社に迷惑だけはかけないように、仕事の時はとにかく自分のタスクに、一直線に向き合って、DMについては考えないようにした。
そして迎えた土曜日の昼。柄にもなく出前でカツ丼を頼み、少し験担ぎをしてから、送られてきたリンクにアクセスし、打ち合わせに臨む。緊張でカツ丼を食べる手も、打ち合わせ用のパソコンを操作する指も若干痙攣していた。画面はオフ、マイクだけオンにして、何度も深呼吸を繰り返し心を落ち着かせる。
そうしていると、にこやかな表情の男性が、同じリンクにアクセスをしてきた。
「初めましてぇ、私モリミュージックの渡邉と申しますぅ。本日は打ち合わせに応じていただきありがとうございますぅ」
間延びした喋り方は、にこやかな彼の表情によく似合っている。優しそうな人だな、なんて適当なことを考えていた。
「初めまして、な……ネギマと申します。ビデオの方はオフで失礼致します。本日はよろしくお願いいたします」
おっとりとした渡邉さんの喋り方とは対照的に、私の喋り方は早口で、堅苦しい。どこまできてもおどおどした自分の喋り方が、私は嫌いだ。
「はぁい、じゃあ、これから打ち合わせを始めますねぇ。えーまずはぁ、簡単に進め方のご説明をさせていただきますねぇ」
画面越しの渡邉さんは、手元の資料を指しながら話す。言葉はゆったりしているのに、説明は要点が整理されていて分かりやすい。
「まずはですねぇ、ネギマ様にご負担をかけない形で進めたいと思っていますぅ。新しい曲を作る必要はなくぅ、既に制作されている楽曲の中から配信用にリリースするものを選んでいただければ大丈夫ですぅ」
「既存の曲……あ、はい。私が今まで作ったもので、選べばいいんですね」
少し拍子抜けするくらい簡単な提案に、胸の中の緊張が少しほぐれる。
「そうですぅ。レコーディングやマスタリング、配信手続きなどはすべてこちらで行いますのでぇ、ネギマ様には曲を選んで送っていただくだけで大丈夫ですぅ」
「……わかりました。じゃあ、少し整理して、送ります」
言葉は淡々としているが、心の中では小さな不安と期待が入り混じる。自分の曲が、正式に世の中に出るのだという実感が、じわじわと胸を満たしていく。
「ありがとうございますぅ。ではぁ、曲を選んでいただいた後、こちらで配信の準備に入りますねぇ。あ、送っていただく際のファイル形式などの指定は後ほどまとめてメッセージでお送りしますぅ」
「了解です」
私の声は少し震えていたかもしれない。けれど、今はこれで十分だった。新しい曲を作るプレッシャーがない分、肩の力が少し抜ける。
「それでは、打ち合わせは以上で大丈夫ですぅ。お時間をいただきありがとうございましたぁ」
画面越しに笑顔を返す渡邉さんに、私は小さく頷く。通話を切った後も、まだ少し現実感がなく、部屋の空気に目をやる。
このやり取りはたった15分ほどだったが、体感では何時間もかけたような感じがした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます