第12話新歩と停滞
無事に専門学校を卒業し、私は音楽系の会社で勤務することになった。就職活動は思っているよりも苦労することはなくて、少し地方での会社に勤務することにはなったものの、業種的にある程度音楽に携わりながら、確実に休みが取れる企業に入ることができた。
会社は地方にあるし、さすがに社会人にもなって親に迷惑をかける訳にはいかないので、心配する両親を押し切り、私は地方に一人暮らしをすることになった。
引っ越した先は、石川県の野々市市。東京からかなり離れたこの土地で、うまくやっていけるか心配だったけれど、杞憂に終わった。
東京ほどいろんな人やもので溢れかえっているわけではないけれど、生活に困るほど辺鄙な土地ではない。作曲活動のために少し広めのいい物件を借りたけれど、東京の半分以下の値段で済んだ。食材や日用品の値段も、東京に比べるとずいぶん安い。人間関係はきっと相変わらずになるかもしれないけれど、経済面で生活に大きく困ることはなさそうだ。
調味料や食材を買いに出かけ、値札とにらめっこしながらかごに入れていくと、これまでの自分がいかに恵まれた暮らしをしていたかがよくわかる。私はもともとあまり欲を口にしない性格だったから多少の余裕はあったにせよ、地価や物価が高い東京でギターを買い、作曲教室に通わせてもらえたのは、本当に贅沢なことだったのだと思う。
入社式までの間は、近所を散歩して回ってみたり、軽く曲を作って時間をつぶした。
そして迎えた4月の頭。入社式を迎え、私は自分の就職した会社に向かった。桜の花が咲き出し、少し早いものは少しずつ散っていっていた。黒いスーツに身を包み、少し硬い表情で会社まで歩く。会社まで歩いて20分ほどの場所に家を借りることができたので、電車の遅延や、通勤ラッシュに悩まされることがないのはとても大きい。
受付で名前を告げ、指定された会場に入ると、同じように緊張した顔をした新入社員たちが整然と椅子に座っていた。数十人ほど。東京の大企業のように何百人もいるわけではないけれど、地方の中小企業にしては多い方だと聞いている。
壇上では社長が祝辞を述べていた。内容はありきたりなもの。「社会人としての自覚を持って」「挑戦を恐れずに」「会社の一員として責任を」など。けれど、一つひとつの言葉が、学生時代とは違う重みを持って胸に響いてくる。
私はこの場所で、働いて、給料をもらって、生きていく。もちろん音楽は続けるけれど、それ以上に「生活の基盤」を作ることが最優先になるのだ。
式が終わると、配属部署の発表があった。名前を呼ばれた瞬間、自然と背筋が伸びる。これからは、ここが私の日常になる。
会場を出ると、まだ冷たい春風が頬を撫でた。少し緊張でこわばっていた心が、ようやく解けていく。
「よし……」
小さく呟いて、帰路に1歩を踏み出す。また新しい生活が、始まった。
そんな入社式から2週間ほどが経ったころ、私たち新入社員のために歓迎会が開かれた。定時退社後、会社近くの居酒屋に集まり、部長や先輩たちが乾杯の音頭を取る。
「いやあ、若い子が入ってくれると雰囲気が明るくなるね!」
ジョッキを掲げる声に、場が一気に賑やかになる。グラスがぶつかる音、料理を取り分ける声、笑い声。東京の学生時代の飲み会を思い出すような騒がしさに、私は自然と端っこの席で縮こまっていた。
もともと、お酒も好きじゃなければ、お喋りも好きじゃない。そんな私にとって、この空間はいるだけで息が詰まりそうだった。こぼれそうになるため息を、必死に飲み込んで、目の前の料理をぼーっと見つめながら箸でつつく。
「蒼葉さん、飲める?ほら、これ梅酒だから。お酒がダメなら、ソフトドリンク頼むね」
たまたま隣に座っていた先輩に気をつかってもらい、私は恐る恐る差し出された梅酒を受け取る。
「ありがとうございます……少しだけなら、大丈夫です」
両手でグラスを抱えて、ほんの少しだけ口をつける。ビールとかに比べれば随分飲みやすいが、やはりアルコールには抵抗がある。
「無理しないでいいからね」
私の飲み方を察してか、優しく言葉をかけてくれる先輩。なんというか、自分はこういう人間の目に付く才能だけはあるんだなと感じる。
優しくて、誰とでも喋れて、みんなに好かれる、そんな善人の視界に私は入りやすい。でも、私はそんな人達に、一切の恩を返せていない。その人たちに私ができる最大限のことは、その人たちの害にならないこと。それだけ。
場の雰囲気に必死に合わせながら、黙々と運ばれた料理を口に入れる。唐揚げに、枝豆、ポテトフライ。味の濃い料理の数々に、喉の水分を奪われそうになる。白米があれば楽なのに、なんて考えが頭をよぎった。
かわいた喉を潤すように、梅酒とお冷をちびちび飲んでく。いちいちこぼれそうになるため息も、一緒に飲み殺していく。
2時間ほどで、飲み会はお開きになった。梅酒のアルコールがある程度回ってきて、身体が暖かくなる。心地よい温度感で微睡そうになるが、なんとか自分で立って歩いて、家に着いた。到着する頃には夜風に当たってすっかり酔いも覚め、少しなら作業ができそうな状態になっていた。
夜も遅いので、ギターの練習は控え、パソコンのみの作曲作業人取り掛かる。専門学校でいろんなことを学んだし、自分の中でずいぶん転機や成長があったはずなのに、卒業して以降は曲の質は停滞しているように感じた。
何曲作っても納得いかない。私が死に際に聴きたいと思えるような出来の曲が全然できない。スランプというべきなのだろうか。時間が経ったらいいものに聞こえたりするかもしれないと、少し時間を置いてから聞き返しても、何も変わらない。なんなら、学生時代に作った曲の方がマシにすら聞こえる。
高校生の頃から使い続けている辞書を何度も読み漁り、歌詞を必死に見つける。何度も音楽理論の本を読み返し、メロディを作る。自分の感情をノートに書き連ね、己の表現方法を見つける。自分にできる限りのことは全部しているし、やっていることは何も間違ってない。
――なのに、なのに。
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