第3話 戦ごっこ
ペイシュタット州庁を出ると、どんよりとした雲が辺りを覆い始めていた。
リューファスの手の中には、封書。
あの、帝国の罪を証明する紙切れである。
重さは無いのに、心臓を圧迫するほどに重い。
隣では、エリュシアが何も言わず歩いていた。
彼女の横顔はまだ青白い。けれど、瞳の奥には確かな光があった。
───強いな、エリュシアは。
それが、彼女の覚悟の現れに見えるのだ。
馬を引きながら、リューファスは呟く。
「まさか、魂を……薬にしてやがるとはな」
「……お父さん、知ってしまったのね。そんなことを、知ってしまったから……」
エリュシアの声が細く震える。
リューファスは一度だけ息を吐き、空を見上げた。
「知っちまった奴は、いずれ消される。帝国はそういう国だ」
彼の目に、雲を割って射す光がちらつく。
それはまるで、泥に埋もれたままの希望みたいに見えた。
「でも……州長はお前の父さんの願いに……応えてはくれなかったわね」
「ダメだったな。ま……あの人にとって州長の立場は足枷みたいなモンだ。この国は正しいヤツほど苦しむからな」
そう言い捨てて、リューファスは小さく息をついた。
「そうね……」
エリュシアの言葉の端に、かすかな哀しみが滲む。
「州長は、それを身をもって体験した男だ。確かにあの人が帝国に楯突けば……州全体が危機に陥るのは解る。だから……あの判断は間違っちゃいねぇ」
そう言い切ると、彼は視線を戻した。
エリュシアの両手が、震えているのが見えた。
だがそれは恐怖だけじゃない。
怒り、悔しさ、そして───覚悟。
彼の目に、雲を割って射す光がちらつく。
それはまるで、渇ききったたままの世界に注ぐ希望の雨のように見えた。
………………
…………
……
2人がハイフェルト村へ戻ったころには、午後になっていた。
エリュシアは未だに眠っていた弟の枕元に座り、水筒を受け取る。
「結局、お父さんの願いを叶えるために……私たちで動かなきゃならないのね」
リューファスは壁にもたれ、苦く笑った。
「何かを動かす気は州長になかった。中央を敵に回せば、州ごと切り捨てられる───それが解ってるから、あの人は役目をオレに託したんだ」
エリュシアは俯いたまま、弟の髪を撫でていた。
その指先はわずかに震えている。
「役目を……ね」
「ああ。州長の代わりに、オレたちがやる」
リューファスは静かに言い切った。
その声には、いつもの軽さがない。
「帝国の罪を暴露する。その証拠を握ってるのはオレたちだ。なら、それを活用しきってみせるさ」
エリュシアが顔を上げた。
その瞳の奥には、戸惑いと、かすかな安堵が交じっていた。
「あなた……いいの? 帝国を敵に回すことになるのよ? あなたは……州長じゃない。影響力だって……」
「知ってる。だけど、放っとけるほど冷たくねぇんだ、オレは」
リューファスは肩をすくめ、口の端で笑った。
彼は続ける。
「オレさ……元々、帝国に抗うチャンスを狙ってたんだ」
リューファスは、息を吐いて肩の力を抜いた。
油断したらすぐに儚く崩れてしまいそうなエリュシアを見つめながら、ゆっくりと語り出す。
「エリュシア……よく聞けよ。オレはな、ここに来る前から───帝国を倒そうと考えてたんだ。別に今急にカッとなったわけじゃねぇ」
エリュシアの瞳がわずかに揺れる。
リューファスは続けた。
「エリュシア、フリューゲルを起こして村の入口に行ってろ。面白いモンを見せてやるから」
「え……?」
エリュシアは眉をひそめた。
突然、話の方向を変えたリューファスの言葉が理解できないのだ。
「……え? 何を───」
「いいから。百聞は一見に如かず、ってやつだ。きっと退屈はしねぇよ」
押しつけがましいというより、妙に確信に満ちた言い方だった。
エリュシアは一瞬反論しかけたが、その目の奥に宿る光を見て言葉を飲み込む。
仕方なく、フリューゲルを揺さぶった。
「お姉ちゃん……どこ行くの?」
「……解らないけど、見せたいものがあるって」
まだ寝ぼけた弟の手を取りながら、2人は村の入口へ向かった。
そして、すぐに異変に気付く。
そこには、すでにざわめきが満ちていた。
人、人、人。
老若男女が入り混じり、荷馬車を止め、道端に腰を下ろし、まるで祭りの見物でもしているようだった。
子どもたちは歓声を上げ、男たちは腕を組みながら唸り、女たちは目を細めて笑っていた。
ここに居るのは、ハイフェルトの村人だけではなさそうである。
近隣の集落からも、間違いなく人が訪れている。
「な、何……? お祭り……じゃないわよね」
「ねえ、お姉ちゃん、あれ……」
フリューゲルが指さした先を見て、エリュシアは息を呑んだ。
視線の先───土煙の中に、赤と青の布を巻いた少年たちが対峙していたのである。
赤も青も、おおよそ100名。
みな十代半ばから十代後半。木剣、槍の代わりの木の棒───そして手製の盾などを手にしている。
「前衛、3歩前進! 盾を構えろ! 魔法班、間隔を開け!」
「左翼、森沿いに回れ! 青が陣を広げてくるぞ!」
鋭い声が飛ぶ。
地面を蹴る音、木と木がぶつかる乾いた音。
砂埃が舞い上がる。
「……戦ってる?」
エリュシアは、最初はなにかの抗争かと思っていた。
だが違う。
そこには明確な「指揮」があり、「戦術」があった。
赤と青の両陣営が、草原を挟んでせめぎ合う。
青の部隊が魔法を放ち、土煙で敵の視界を奪うと、赤の側は即座に後退。
数十歩引いた地点で陣を組み直し、側面から別働隊が回り込む。
まるで、訓練された兵士たちの動き。
だが、どう見ても年端もいかぬ少年ばかりだ。
「なに、これ……どういう……」
赤と青に分かれた2つのチームが、互いの動きを読み合いながら戦術を組み替えていく。
「お姉ちゃん……カッコいいね」
フリューゲルが呟いた瞬間、歓声が一段と高まった。
赤い隊の中央から、ひときわ目立つ影が飛び出したのだ。
手には木剣。
先頭に立つその少年の声が、風を切るように響く。
「右翼は前進しろ! 魔法班───今だ!」
その声を、エリュシアは知っていた。
「リューファス……」
そう呟いた声は、熱狂の中に消えた。
赤チームの右翼から、魔法の雨が炸裂する。
その瞬間───青の陣は一瞬だけ揺らいだ。
その隙を、リューファスは見逃さない。
「今だ! 予備隊ッ! オレに続けッ!」
掛け声を受けて、赤の後方に控えていた予備隊が雪崩込む。
歓声と叫び、木のぶつかる音。
そのすべてが、熱を帯びていた。
予備隊の押し込みと、魔法による撹乱が重なり、青の中核が崩れ落ちる。
「押せぇっ!!」
リューファスの叫びが響き渡り、彼の周りで士気が爆発した。
次の瞬間、青の旗が地に落ちる。
土煙が静まり、観客たちから歓声が上がった。
「勝った……!」
「赤が勝ったぞ!」
エリュシアは息を呑んだ。
この場に漂うのは、戦場の空気に緊張感そのものである。
「……これは、戦術訓練……完全に軍の動きだわ」
「ねぇ……! リューファスお兄ちゃん、勝っちゃった!」
フリューゲルが興奮して跳ねる。
土煙の向こうから現れたリューファスは、汗にまみれ、満足げに笑っていた。
まるで本物の戦を勝ち抜いた将軍のように。
エリュシアは呆然と立ち尽くした。
理解が追いつかない。
なぜ、子どもたちが軍事訓練の真似をするのだろう、と。
そんな彼女の前に、リューファスが歩み寄る。
泥だらけの頬で、ニッと笑って言った。
「面白かったか?」
「……ええ。これ……一体何なの?」
リューファスは肩で息をしながら、いたずらっぽく笑う。
「『戦ごっこ』さ。どうだ、驚いたろ?」
「驚くに決まってるわ。これはもう『戦ごっこ』なんてもんじゃない」
「でも───いずれ必要になる」
エリュシアは気付いたらしい。
これは訓練。擬似戦場。
帝国に抗うための、リューファスなりの準備であると。
「この人たち……あなたを信じてるのね」
「まあな」
「……あなた自身は?」
短い沈黙。
リューファスは、空を見上げるように小さく笑った。
「勝つつもりさ。負けたら、全部終わりだからな」
その生意気な、でも不思議と安心する笑みに───エリュシアは心の底で、何かを決めた。
「……いいわ。あなたが戦うなら、私は支える」
彼が目を細める。
「参謀気取りか?」
「同志よ。あなたの背中を支える者として───帝国を切り崩してみせる」
風が吹き、赤い布が揺れた。
こうしてようやく、彼らの戦いは始まったのだ。
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