溺れる蛍

「君、1人なの?」


 その夜声を掛けてきた女は、翔吾よりずっと歳上だった。


「お腹空いてるんでしょ。」


 それは、問いかけではない、断定。犬猫でも拾うように、女は手招いた。

 願ったり叶ったりだ。


「俺、父さんも母さんも居なくてさ…、寂しいんだよね。」

「そうなの?可哀想に……。」


 可哀想な少年に、豪華な食事と寝床を与える、優しい「お姉さん」。

 お互い割り切ったお芝居で良い気持ちになって、最後には小遣いを寄越す。


「翔吾くん、私の事ママだと思って、またいつでも来てね。」

「ありがとう。」


 ──母親なんか普通抱かねぇよ。

 



「あぁ?めんどくせぇ、行かねぇ。」


 悪友の誘いを断って畳んだ携帯を放る。通話を切った覚えがないが、まぁ勝手に切れるだろう。


「何だってー?」

「ハッパ吸って乱交。」

「バカだねぇー。」

 ケラケラと笑い声が勘に触る。


 ──別の奴にすれば良かった。


 この女はいつも余計な事ばかり喋りすぎる。


「そんなのより、みずきのおっぱいの方が好きだもんねー?」

「おー、好き好き。」


 ──体だけな。



 

『うるさいうるさい!喋らないでよ!!一生息しないで!!』

 そんなの無理だよ、死ぬ程自分で息を止められる訳ない。

『ごめんね、許して、翔吾…!』

 頬に落ちる涙と柔らかい胸。髪を撫でる指が次の瞬間それを引き千切るかもしれない。

『お母さんと一緒に死のう。』

 嫌だよ、危ないよ。指を切ったら痛いから、怖いよ。


 懐かしい夢を見て飛び起きた。


「っう、げぇ……っ!」


 空っぽの腹から、何かを吐くのは苦しい。吐き戻すために水を飲んだ。

 咽せて咽せて、火が消えている事に気付いた。


 震える指でガラケーから変えたばかりのスマホを掴むと、空のメッセージが1つ届いていた。

 少し前に知り合った女だった。少しだけ純に似た目をしていた。

 1つ咳払いをして。


「……もしもし杏奈?…そう、俺。いいぜ、寝れないなら来いよ。」


 それは衝動よりも焦燥だった。


 自分の中で何かが燃えて、次々に燃え尽きていく。

 燃え殻は削れて何処かへ飛び散っていく。

 何でもいい。火をつけられるなら何でも。

 燃えている間はまだここにある。

 喧嘩でも、セックスでも、バイクでも。相手だって誰でもいい。


 とりあえず煙草に火を点けて、煙で肺を満たす。

 繰り返し深く吸い込むと、母の顔は遠ざかっていった。


 

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