第十五話 悪いヤツには悪い企みを
「き、金貨10枚を…楽に……?」
レムリアがズレた眼鏡を直そうともせず聞き返す。
「そそ、そんな事が可能なんですかっ!?」
「可能だよ」
ジェディはどこ吹く風といった様子で、テーブルに置いてあった紅茶を優雅に一口飲む。ちなみにそれはレムリアの飲みさしだ。
「私の錬金術を使えばね。けれど、問題はそこじゃあない」
「問題はそこじゃない…って、どういう意味だい?」
ようやく悪酒が抜けたのか、それまで黙って聞いてたベルナが食ってかかる。
酔ったり素面になったり、忙しいやつだ。
「君たちはあのポルゾフという男を、ただの小金持ちな酒商人とでも思っているのかい? だとしたら、あまりに認識が甘すぎるね」
まるで面白い物語を語る吟遊詩人のように、エルフ女は続ける。
「彼はこの街の商業ギルドの影の元締めさ。酒だけじゃない。武器も、宿も、冒険者が日々使う消耗品も…この街で儲かるとされる商売のほとんどは、彼に上納金を払うことで成り立っている。いわば、この街の商業はポルゾフという蜘蛛が、巧妙に張り巡らせた巣の上で成り立っているようなものなのさ」
蜘蛛、という例えを聞いて俺の背筋がぞわりと震えた。
分かるけどもキモいので止めて欲しい。無視すんぞ。
「…けっ、なるほどねぇ。どっかで見た顔だと思ったよ。ただの酒屋の親父にしちゃ態度がデカすぎるしね」
ベルナが悪態をつく。
彼女も裏社会に片足を突っ込んでいただけあって、話が早い。
「故に、たとえ今回金貨10枚を払って見逃してもらったとしても根本的な解決にはならない。一度目をつけられた以上、稼いだそばからまた別の理由をつけて君たちから金を巻き上げ続けるだろう。書面の残らない契約なんて塵の価値もないよ」
ジェディの言葉に、ベルナが獰猛な笑みを浮かべる。
「…ふん、じゃあいっそあのデブが二度とアタシらに手出しできないように、完全に叩きのめせってことかい?」
「いい提案だ。けれどもそれは私達の主義に反するよ、ねぇオサム氏?」
「あぁ、ダルいな」
俺の言葉に、ジェディの口元が三日月のように吊り上がる。
「そう、武力で解決するとダルい事になる。私達は平和主義者で、怠惰信奉者なのさ。働くとしてもそれは最小限で、最大値の成果を上げる時だけ」
そう言ってエルフ女はカップをソーサーに置く。
すると碧色の瞳が俺の目をまっすぐに見て、試すように問いかけた。
「ねぇ、オサム氏。君は何をするのが【最適】だと思う?」
「…………」
じぃっと金髪の整った顔が目と鼻の先まで迫る。
エルフだけあってか、なんだか森の中のような匂いもする。
(コイツはまだ俺のスキルの事を知らない。ただ、推測で聞いているだけだ)
稀代の天才錬金術師。怠惰の権化。俺の同志。
便利な存在だが、扱いを間違えると足元を救われかねない。
そんな危険性も同時に感じる。
(ま、難しく考えるのは俺の本分じゃないし、いいや)
俺は脳内で【最適化】にこの場の議題を直接投げかけた。
《議題:金策とポルゾフへの牽制を両立する最も効率的な手段》
《最適解:錬金術による高品質ポーションの廉価販売。ポルゾフの支配下にあるポーション市場に経済的打撃を与え、短期的な利益と長期的な交渉優位性を確保せよ》
(あー、分からん。もっと簡単な言葉に要約しろ)
《要約:安いポーションを大量に作って売り、ポルゾフの商売を潰せ》
(……なるほどね)
「ポーション作りだ」
「…えっ?ポーション、ですか?」
「おいおいリーダー、酒の次はポーションかよ?」
俺の答えにレムリアとベルナが訝しむ視線を投げかける。
その後ろで、ジェディだけはお手並み拝見といった顔で腕組みをしている。
はぁ、仕方ない。
「安いポーションを沢山作って、アイツの商売を潰す。おい耳長、面倒だから続きはお前が説明しろ」
俺がそう言って話を丸投げすると、ジェディは怒るどころか、にへっと口の端を吊り上げた。
「ふふ、さすが私の見込んだ同志だ。面倒だけど、説明の役を任されようか」
彼女はそう言うと、未だに状況が飲み込めていないレムリアとベルナに向き直った。まるで、出来の悪い生徒に講義を始める、楽しげな教師のように。
「いいかい、二人とも。オサム氏のこの一言には、三つの意味が込められている。第一に、ポーションは冒険者にとっての必需品であり、需要が安定している。第二に、ポルゾフの支配によって価格が不当に吊り上げられており、我々が付け入る隙が大きい。そして第三に――」
ジェディはそこで一度言葉を切り、指を一本立てる。
「これは単なる金策じゃない。奴の力の源泉である『市場支配』そのものへの、最も効果的な攻撃なのさ。武力で潰せば街の衛兵が動く。だが、自由な市場競争で奴を打ち負かせば、誰も文句は言えない。我々はただ『安くて良いもの』を売るだけだからね」
彼女の説明に、レムリアとベルナは目を丸くする。
「ま、マスターはそこまで考えて…!?」
「……ちぇっ、ただの思いつきじゃなかったってワケかい。やるじゃないか、リーダー」
レムリアが尊敬の眼差しを向ける一方で、ベルナも感心したように鼻を鳴らす。
やめろ。そんな目で見られると、だるさが増すだろうが。
そんな俺たちの反応を満足げに見届けたジェディは、パチンと手を叩いた。
「さあ、話は決まった」
彼女は碧色の瞳を爛々と輝かせ、恍惚とした表情で高らかに宣言する。
「これより、我らが怠惰なる錬金術師ギルド『キ=タクヴ』による、ポルゾフ独占市場破壊計画の始まりさ!」
「おい、勝手に錬金ギルドにすんな」
かくして、俺のスローライフを賭けた面倒極まりない経済戦争の幕が、静かに上がったのだった。
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