第15話

ペニンシュラのベッドはとても寝心地の良いスプリングだったにも関わらず、私は悶々としてなかなか寝付けなかった。

朝方やっとのことでウトウトし、ハッと起きたら高桑くんは既にいなくなっていた。

これで終わりということだろう。

あっという間に、私たちは単なる職場仲間に戻ったのだ。


それでも、昨日の夜、人生で初めて、男性に「愛しています」と言って、なんだか胸がざわついた。

あの整った顔、素敵な声から放たれる老練かつ支配的な言葉が、これまで私を狂わせてきたけれど、最後にくれた彼の嘘の愛の言葉は、どこか年相応なものに感じられてドキリとした。


彼に似合う、彼に釣り合う女の子なら、ひとたまりもなかろう。

例えどんなに事務的に言われても、好意に捉えてさぞ狂喜するに違いない。

絶対に本物ではないと知っている私でさえ、強く心を揺さぶられて動揺を隠せない。

別れの儀式としての挨拶、良くできたサンプル食品みたいな空しい愛の言葉なはずなのに、朝からずっと頭にこだましている。


もうだいぶ昔から私の理想のタイプは課長で、尊敬しているのも課長で、付き合いたい・結婚したいと考えているのも課長なはずなのに、彼と肌を合わせた記憶ばかりで頭がいっぱいにある。


私は淫乱なのだろうか、たった三度の逢瀬で、こんなにも高桑くんとのいやらしい思い出で頭がいっぱいになっている。

そういえば高桑くんも今回、指摘してたっけ。私、やっぱりおかしいのかも。


いっそのこと、とっとと課長にふられちゃって、あのおひとりさまマンションで元々描いていた”生涯独身”を貫いて、高桑くんが飽きるまで、セフレにしてもらえば良かったのかな。

そんなことすら考えている。

でも、これは高桑くんが上げてくれた高いトスだ。

ここまで、たくさん気をかけてもらい、色々と教えてもらった限りは全力で課長と向き合い、アタックをしよう。

ぞう心に誓った。


朝食をとり、チェックアウトまでホテルライフをしっかり楽しんで、自分が「ひとり」でいることを自分に言い聞かせた。

二人で選んだ服、靴の鞄を肩にかける。


「こっちの方が血色良く見えるよ」

「いや、それはちょっとあざとい感じがする」

なんて笑い合った服選びを思い返して荷物が重い。

そういえば、昨日はすべて彼が持ってくれた。


「さて、と。頑張れ、私」

私は意を決して、ひとりチェックアウトをした。


自分のマンションに戻って、買ったものをクローゼットにしまう。

すると、荷物に紛れて封筒が出てきた。

ペニンシュラの封筒と便箋、高桑くんからのものだった。


---先輩の方が高級取りだろうけど

全部出させるのはさすが男の沽券にかかわるので

半分は出させてください。

恋愛成就、頑張ってね。

高桑樹


そういう走り書きとともに十万円入っていた。

突然、今まで見えていなかったものが見えた気がして、寂しい気持ちになった。

課長への思いがこいだとしたら、この高桑くんへ抱く感情はなんだろうか。



===


その後、課長とは二度、会った。

でもお互いが遠慮し合ってなかなか先に進めない。

どうしたものか、と考えていたら、偶然会社帰りのエレベーターホールで高桑くんと鉢合わせした。


エレベータの階数を見ながら高桑くんが

「うまく行った?」と私に声をかけた。


「いや、それが……」


「はああ?あれからどんだけ経ってると思ってんの?」


「えっと……一ヶ月?」


「何回逢ったの?」


「2回です」


「お前ら、中学生かよ?ばっかじゃねーの?」


---ごもっともです。


「せっかく手塩にかけて育てたのに、またあっという間に干からびるよ?」


「えっ?」


「なあ、俺ら、もう一回続けない?」


「ええっつ?」


「関係を終えるのは、先輩が課長とキスするまで」

「課長とキスしたと報告受けた時点で、俺は澄の番号をアドレス帳から消すし、すべてなかったことにして解散。その後の痴話喧嘩なんかの相談に乗らないし、そっから他人。どう?」


少し考える。

実はあの後、なんども高桑くんを思い出してはひとりでしていた。

高桑くんとまた継続できる……

それは願ってもないことだし、課長と付き合っている訳でもないから

そこにリスクは何もない。

あるとすれば自分の感情だ。

これ以上、彼に心を揺さぶられていいはずがない。


「ここの痕、とっくに消えちゃったんだな」

と以前疲れた場所をなぞられた瞬間、あの時の記憶が鮮明に蘇る。

「キス……じゃなくて、私がもうやめたい。高桑くんがもうやめたいと言い出す時までなら」


高桑くんがくすりと笑う。

「キスしたって嘘つきゃいつでも終われるのに、相変わらず正直だな。いいよ、それで。じゃあさ、今晩、あんたん家、泊めてよ」


「えっ?」


「お家デートってヤツ?俺、会社の引き出しにシャツとかネクタイの揃えあるから、いつでも外泊OKだよ。あ、もちろんアレも常時ここに」

と言って”ゴムが入っているであろう財布”がしまわれている胸の内ポケットを私に示してポンポンと叩く。


---そんな準備万端宣言、堂々とされても。


でも、抗えない自分がいる。

期待感に胸が膨らむ自分がいる。


「はい。私もしたいです」


小さな声で言ってみる。


「住所教えて。仕事が終わったら連絡する」


そうして私たちは、そこから再び始めることになった。

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