エンゲージ・ヒューチャーガール14

 店から飛び出して街中を駆け巡り、飛んでくる物や人を避けつつ走っていると、遠くの方から爆発音がした。しばらくして衝撃波が届いたが、それだけであった。自分たち以外の全てが穴に吸い込まれていく中、光とツァイトだけが吸い込まれることもなく、引力すら感じずに走っていた。

「走りながらでいいから、説明してくれない!もうわけわかんないんだけど!」

光は泣きそうになりながら尋ねた。光の感覚が正しければ、爆発音は日下高校がある方向から聞こえてきたし、この辺りで爆発するような建物は日下高校しかないだろう。丸岡と城ヶ崎は無事だろうか。

「結論から説明すると、検閲者が出現しました。彼らは特異点を通って現れます。特異点を通ってくるからこそ、出現する前に重力異常が観測されるのです。何の前触れもなく特異点が、それこそワームホールを通過してきたかのうように発生するはずがないのです。ないはずでした」

 走りっぱなしで息切れしている光とは裏腹に、ツァイトは全く息切れしていなかった。光の走る速度が落ちるにつれツァイトに強く手を引かれ、転びそうになる。

「話さないで、余計なことに体力を使わないでください。貴方が感じているであろう疑問にはお答えしますから」

鳴りを潜めない疑問を口に出そうとしたとき、ツァイトに発言を制される。

「初めにお伝えしておきますが、たとえ丸岡さんと城ヶ崎さんが既に亡くなっていたとして、蘇生は可能です。状況を抑え込むことができればそもそも死ななかったことにすることができますし、それが不可能であったとしても、我々は彼女らを満足に蘇生できる術を持っています。どうか取り乱さないでください。彼らは確かに恐ろしい存在ではありますが、少なくとも我々は過去2回、彼らを鎮圧し、事態を終息させてきました。今回も不可能ではありません」

ツァイトはそう言っていたが、表情は険しかった。私を安心させるために嘘を言っているのだろうかとも光は考えたが、息が上がっているせいで思考がまとまらない。

「我々が重力の影響を受けていないのは、私の制服の持つ効果の一つです。エネルギー効率は著しく悪化しますが、彼らが出現したときのために、特異点による重力の影響を緩和することができます。……エネルギーの補給が出来ていないのであまり長くは持ちませんが、タイムマシンに辿り着くには十分でしょう」

 そうしてしばらく走り続けていると、ツァイトが立ち止まって話しかけてきた。

「この辺りで少し休憩にしましょう。家まであと10分ほどですが、辿り着けば終わりというわけではありませんから。……それに、貴方もそろそろ限界でしょう」

肩で息をしながらしゃがみ込んだ。何分走っていたのか数えていたわけではないが、光には永遠のように長い間走っていた様に感じられた。ある程度息を整えたあと、洪水の様に溢れてくる疑問を必死に整理しながら、努めて冷静にツァイトへ話しかけた。

「な、何が、どうなってるの……?」

「先程も説明しましたが、端的にもう一度説明しましょう。原因は不明ですが、突如出現した特異点を足がかりにして、検閲者達が現れました。この時空の人類は彼らの攻撃を受けています。我々はこれから、アルテミスが到着する明日の正午まで持ち堪えるか、単独で事態を終息させる必要があります。……まぁ、十中八九明日正午まで耐えることになるでしょう。事態を終息させるのは現実的ではありません」

「……この前、タイムパラドックスは過去2回怒ったって言ってたよね?その時はどうしたの?多分、今みたいになったんでしょ」

「一度目は2275年に存在した現有戦力の5割を、二度目はその時代に存在した全ての核兵器を集中投入して終息させました。おかげで、二十一世紀後半は死の時代になってしまいました」

そう言いながら、ツァイトは頬に伝った汗を拭う。ツァイトも疲れているのだろうか。

「貴方の考えることもわかりますし、同情もします。私としても、知り合った人間が無惨に殺されているのを傍観したくはないのです。ですが、感情任せに行動するわけにはいきません。私が未来から来たことは、ここ一週間ほどではっきりと理解したでしょう?これは個人の友愛や義憤や復讐心に突き動かされた行動でどうにかならない問題ですし、そうしてはいけません。この世界には神もいませんし、魔法も存在しません。いつの時代も我々は経験ではなく歴史に学び、計算機の導き出した予測を元に最善の行動を取り続けなければなりません。……そろそろ休憩も十分でしょう。いきますよ」

そう言うと、ツァイトは問答無用に手を引っ張り、光を半ば無理やり立たせてから再び走り出した。


 周囲の建物が瓦礫の山と化している中、光のアパートは辛うじて原型を保っていた。外装はボロボロだが、光の部屋を中心にして球場に被害が少なく見える。

足元に注意しながら階段を登る。勿論のことにエレベーターは沈黙しており、危険を犯しながらも歩く意外になかった。

 部屋の前まで来た時、光の部屋を改めて見ると恐ろしいほどに原型を保っていた。交通事故に遭ってぐしゃぐしゃに潰れた自動車の一部分を新品のパーツに交換したときの様な、不気味な違和感を感じさせた。

音を立てない様に扉を開けると、驚くほどスムーズに扉が開いた。中を覗くと、外の惨状を感じさせないほどいつも通りの部屋の様子が広がっていた。

「よかった。この様子ならタイムマシンは無事そうですね」

ツァイトがそう呟くと、部屋の中へ入ってゆく。置いていかれない様に光は後を続いた」。

扉をひとつ開けると、部屋の真ん中にタイムマシンが見えた。扉は開かれており、万全な状態に見える。

「さ、早く入ってください。このタイムマシンは我々の最後に希望ですよ」

「ちょ、ちょっと!押さないってば。そもそもタイムマシンに乗ったからって何があるの?」

「実のところ、丸岡さんの考察の大筋は当たっています。我々のタイムマシンは縮退炉を動力炉とするとともに、縮退炉内部の特異点を通じてワームホールを形成し、タイムトラベルを行います。その性質上、タイムマシンは重力に対して強力な抵抗力を発揮します。特異点が出現して周囲の物質が無作為に吸い込まれる中、このアパートが原型をとどめているのもそのためです。彼らの侵攻から籠城するなら、タイムマシンの中に乗ることは必須です。わかったら早く乗ってください。時間がないんですよ。…………危ない!」

 そうしてタイムマシンの前でツァイトに背中を押されていると、急にタイムマシンへ突き飛ばされた。受け身を取る暇もなく倒れ、右半身を強打する。

痛みに顔を顰めながら後ろを振り返ると、床に倒れたツァイトと目が合った。何があったのか確かめるために周囲を見渡すと、違和感に気づく。ツァイトの下半身が消失していた。

 ツァイトの体は腹を境目にして上下に分たれている。よく見ると部屋全体に滑らかな裂け目ができていた。巨大な鋭い刃物で切られたみたいだった。ツァイトの体も巻き込まれたのだろう。そうしてツァイトの顔を見つめていると、何かを伝えようとしているのか、手をこちらに伸ばしながらツァイトの口が開いた。口から出てきたのは聞き慣れた声ではなく、濃い赤色をした血液だった。その数秒後、ツァイトは息絶えた。

 ツァイトの上半身は仰向けになっているが瞳はこちらを見つめている。ルビーの様に美しかったツァイトの瞳は赤黒い血の様に濁り、生気を宿していなかった。

 声にならない叫び声をあげながら、光は尻餅をついたまま後ずさる。腰が抜けてしまい立ち上がれない。そのまま1メートルほど移動すると、背中が壁にぶつかった。

そのまま唯の有機物となったツァイトの顔を見つめていると、タイムマシンの扉が閉まりつつあることに気がついた。

 何もできずに扉が閉まってゆくのを見ていると、扉の隙間からラムダが見えた。ラムダが扉を押しているのだろうか。

そうして扉が完全閉まった時、タイムマシンが起動した。光はただ放心したまま、タイムマシンを扉を見つめている。

 およそ1分後、タイムマシンは起動して2035年から消え去った。

部屋に残されたラムダとツァイトの亡骸は、タイムマシンが消え去った直後に光のアパートごと特異点に吸い込まれ、原子の一欠片すら残すことなく消滅した。

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