エンゲージ・ヒューチャーガール15

『目的座標へ到着しました。サーバへ接続中…………。再試行を実施…………。再試行を実施…………。CAUTION!サーバとの通信が確立できません。スタンドアロンモードへ移行します。推定年代は西暦32000年。いて座A*近傍。誤差±0.023。許容範囲内です。ロックを解除します』

 どれほど経っただろうか、長い間放心していると、タイムマシンの操作盤らしき箇所から機械音声が聞こえてきた。それと同時に、扉が勝手に開いていく。

しばらく光は固まっていたが、およそ10分後扉の外を見にいくことにした。もしかしたら、先程までの体験は夢かもしれない。タイムマシンの外にいつもの部屋が広がっており、そこにツァイトがいるかもしれないのだ。

 そうして部屋の外を確認すると、そこには巨大なブラックホールが存在していた。

回転による遠心力で降着円盤は円盤上になっており、ブラックホールからは絶えずジェットが放出されている。

真っ暗闇の宇宙に存在しているにもかかわらず、深淵の穴の様に黒々と存在している。降着円盤の光が事象の地平面を境としてブラックホールを際立たせており、光は言いようのない恐怖に支配された。

 だんだんと距離感を喪失してゆき、ブラックホールに落下してゆく様にタイムマシンの扉から体が外に出かけた時、再び機械音声がノイズを伴ってタイムマシン内部に響き渡った。

『----外に出るのはお勧めしない。このタイムマシンは極めて原子的だ、重力制御はタイムマシン周辺とその内部にしか作用しない。さらに言わせてもらうと、その扉を閉めてもらえるかい?あまりエネルギーに余裕がなくてね。立て続けにお願いしてしまって申し訳ないが、それ以上扉を開いているとエネルギー不足で帰れなくなってしまうかもしれないよ』

 謎の声に光は驚いて振り返り、強張った表情で操作盤を見つめた。

『自己紹介が遅れてしまって申し訳ない。出現座標に誤差が生じるとは思っていたが、よりにもよっていて座A*にタイムアウトするとは思っていなくてね。私は連邦軍総総監、呼び名は……そうだね、好きな様に呼んでくれればいいが、君にとって馴染みのある呼び名は時空警察警視総監だろう。総監とでも呼んでくれればいいんじゃないかな』


 タイムマシンのスピーカーから発せられるホワイトノイズの音が気になり出した頃、総監と名乗った男の声が再び聞こえた。

『少しは落ち着いてくれたかな?本当は数日ほど時間を置くべきだとは理解しているが、時間に余裕がなくてね。申し訳ないが付き合ってくれ。さて、何から話したものか……。うん、そうだね。まずは結論から述べようか。ここは西暦32000年の、いて座A*ブラックホールから訳45AUほど離れた場所だ。君を呼んだ理由はただ一つ。頼まれごとを引き受けてほしくてね』

総監がそう言うと、タイムマシンの操作盤から、小指ほどの大きさをした輝くキューブがせり出してきた。

『それはある種の記憶媒体だ。形は違うが、USBメモリの様なものだと考えてもらって構わない。君にはそれを2035年に届けてもらいたくてね。引き受けてもらえるかい?』

光が戸惑っていると、総監が話を再開する。

『あぁ、報酬のことを話していなかったね。もし君が引き受けてくれるのなら、君を元いた時空へ送り返してあげよう。勿論、S-A*型宇宙生物による襲撃は無かったことになるし、全ては元通りだ。どうだい?悪い話じゃないだろう』

 総監の言葉に光は脳を揺さぶられた様な衝撃を受けると同時に、ツァイトが死んだ時の光景がフラッシュバックした。足に力が入らなくなりしゃがみ込むと、胃液が込み上げてきた。口を押さえて我慢するが、堪えきれずに嘔吐した。

そのまま十数秒間えずいていると、少しずつ冷静さが戻ってくる。光は総監の言葉を脳内で反芻した。あのキューブを持って帰れば、彼女らが戻ってくると言っていただろうか。

 えずきが治ると、光はキューブを手に取るために、手を支えにしながら立ち上がった。キューブを持ち上げるとずっしりとした重みが上でに伝わってくる。教科書を詰め込んだランドセルくらいの重さがあった。

「……これを持って帰れば、みんな帰ってくるの?」

『正確に言えば帰ってくるわけではないが、そう捉えてもらって構わない。死別した恋人と再会するために禁忌を犯して蘇生するか、過去へ戻って再び相見えるかの違いだ。この場合は後者になる』

総監の言葉に、光は興奮を抑えきれなかった。一年と少しの間住んでいた街や、おそらく巻き込まれたであろう丸岡と城ヶ崎。何よりも、目の前で息絶えたツァイトが帰ってくるのだ。光は今すぐにでも、それが悪魔との契約であろうとキューブを持ち帰りたくなったが、その前に一つだけ、総監に聞かなければいけないことがあった。

「どうしてそんなに詳しいことを知っているの?貴方は一体何者?私達に何をしたの?」

『それに答えれば君が契約してくれるのかい?』

「少なくとも、答えないと契約しない」

『……いいだろう。我々は西暦32000年の人類で、私は連邦軍総司令官だ。我々は君に接触するために、タイムパラドックスを発生させた』

 光は記憶を掘り起こす。ツァイトの言葉によると、検閲官が現れるにはタイムパラドックスを引き起こす必要があるはずだ。……つまり、今話している人物がツァイト達を殺したのだろうか。

「はっきりと言って。貴方がツァイト達を殺したの?」

『はいかいいえの二択で答えるなら、答えははいだ。補足すれば、そうしなければさらに酷いことになっていた』

その言葉を聞いた瞬間、光は強烈な怒りを覚えた。衝動的に言葉を発するが、口から出た言葉は光が抱いた感情とは裏腹に、極めて端的な一単語だった。

「どうして?」

 一瞬の沈黙。総監がその沈黙を破った。

『……少し長くなるが構わないかい?』

「いいから。早く話して」


『西暦30000年、人類は……。ああ、君たちの定義に当てはめると西暦50000年になるか。人類はいて座*で未確認生命体と邂逅した。現在ではS-A*型宇宙生物と呼ばれている、全三次元生命体にとっての敵性生物だ。当時の人類にとって宇宙生物は複数確認されていたし、彼らを初めに観測したのは最低限の機能しか持たないスタンドアロンの探査機だった。詳細な調査の準備はされど、実施は後回しにされていた。彼らの危険性が早期に露見していれば、ここまで大惨事にはならなかっただろうがね。後の祭りだ。

さて、偉大な発見をした調査機は、発見からおよそ三カ月後に消息を絶った。おそらくだが、彼らに攻撃されたのだろう。その後、S-A*型宇宙生物の危険性を認識した人類は総攻撃を開始したが、時すでに遅し、初めはいて座A*近辺にしか確認されていなかった彼らは、既に銀河中に拡散していた。要は戦争が泥沼化したわけだ。平和的接触は既に諦められていた。まあ先制攻撃などしなくとも、平和的接触はできなかっただろうがね。

さて、長い間彼らと戦い続けた人類だったが、ある違和感に気づいた。歴史が改変されていたのだ。結論を言ってしまうと、S-A*型宇宙生物は4次元生命体だった。つまるところ、彼らは制約があれど、容易にタイムスリップができる。彼らがどの様な思考をしているのかは未だ解明されていないが、長期戦を嫌ったのだろう。彼らはタイムスリップを行なって過去の人類を攻撃始めた。勿論、過去の人類には彼らを退ける軍事力もなければ技術力もない。我々は過去の人類を保護する必要に駆られたわけだ。そうして発足したのが、当時の航宙軍を母体とした連邦時空防衛軍だ。君が理解しやすい様に説明すると、時空警察の上位組織になる。尤も、時空警察は我々の存在を認知していないが。

さて、そうして防衛軍を発足させた人類だったが、数十年ほど戦ったことで一つ判明した事実がある。彼らS-A*型宇宙生物は、タイムスリップする際に特異点を通過していた。だから我々は、現存する全ての特異点をブラックホールで覆い隠した。いかにS-A*型宇宙生物とて、何も消費せずにタイムスリップできるわけじゃない。我々三次元生命体が自由に空を飛べない様に、四次元生命体であるS-A*型宇宙生物も自由にタイムスリップできるわけじゃない。特異点を覆い隠すことで、彼らは西暦2400年以降の時代にはタイムスリップできなくなった。もし特異点をブラックホールで覆い隠していなかったら、彼らは紀元前にでもタイムスリップして我々人類を蹂躙していただろうね。

そうして連邦時空防衛軍は2400年以降の人類を保護していたが、いかに我々とて無限の軍事力を持っているわけじゃない。防衛にも限界がある。そこで我々は過去に干渉して、西暦2400年の人類をより発展させることにした。30000年ほど続くはずだった縄文時代をおよそ10000年で終了させ、遥か早くにキリストを殺し、ガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートン、アルベルト・アインシュタインを仕立て上げた。ラマヌジャンを通じて無理矢理に数学を発展させたこともあったね。まあ些か乱暴な手段を用いたことは否めない。ホーキング?だったかな。彼には宇宙検閲官仮説として我々の存在を予言されてしまった。だがその甲斐はあったよ。いかなる手段であれ、君が時空理論を2035年に持ち帰ることで、2400年の人類は彼らに対抗できるだけの技術力と軍事力を手にすることができる』

 若干興奮した口調で、総監は数分ほど話し続けていた。一段落ついたのだろう、話し声が途切れ沈黙が流れる。

先に沈黙を破ったのは光だった。

「そんな不確かなことのために貴方はツァイト達を殺したの?」

『不確かなんじゃないさ。我々は時間や資源が許す限り綿密に計算を行い、何度もシミュレートを行った上で過去の改変を実施した。現にこれまでは上手くいっていたし、これからも上手くいくだろう』

「タイムパラドックスはどうなるの。ツァイトはタイムパラドックスが発生すると彼らが出現すると言っていた」

『厳密に言えば、タイムパラドックスが発生する時に起こるのは特異点が出現することであって、S-A*型宇宙生物が出現することじゃない。出現した特異点をS-A*型宇宙生物が通過するために、それらが一連の、一つの事象と捉えられている。そもそもとして、タイムパラドックスなんてものは特異な状況下でしか発生し得ない。大前提として、ほぼ全ての時間はビックバン直後に生成された特異点を通じて繋がっている。確かに特異点を通過することは困難を極めるが、繋がっていることが重要だ。たとえ過去へ旅行しようが自らの親を殺そうが、全ての時空が繋がっているためにタイムパラドックスは発生しない。自分を産む前の親は殺すことができるし、だからと言って自分の存在がなくなるわけでもない。タイムパラドックスは、現存する全ての特異点を覆い尽くし、裸の特異点を駆逐した場合のみに発生する。今みたいにね』

 総監の言葉に、光は感情のままに言葉を発する。

「この、人殺し……!」

『人殺しであることは認めるが、我々は快楽殺人者でもなければ精神異常者でもない。ただ他に手段がなかったからそうしただけさ。……さて、そろそろ時間みたいだ。そのキューブは持ち帰ってもらう』

衝動的に光は反論した。

「これは持ち帰らない。お前達の思い通りになんてなるもんか。時空理論は私が完成させる」

光がそう言い放つと、総監は笑い出した。笑った後、再び喋り出す。

『聞き間違いでなければ、君が完成させると言ったかな?時空理論を?君が?!それは無理な話だ。もしかして君は、努力は全て報われるとでも思っているのかい?時空理論は、我々人類が長い石器、青銅器時代の末に資源が乏しくなった地球を余さず開拓し、争う余裕もないまま宇宙へ進出し、火星移民に一縷の望みをかけ、エウロパ、ガニメデ、タイタンへ定住し、何光年もの旅を経たのちにプロキシマ・ケンタウリbへ辿り着き、星間大戦の後に統一政府を樹立し、数多くの宇宙生物との平和的接触、もしくは絶滅戦争を潜り抜け……そうして銀河系中央までたどり着いたのちにブラックホールを数千年間観測し、ようやく手にした叡智の結晶だ。未だ宇宙にすらまともに進出できていない君ごときに理論の構築などできるわけがないだろう。理解することすら不可能だろうね。……残念ながら時間切れだ。』

 総督がそう言い終わった瞬間、タイムマシンの機械音声が音を発する。

『目的座標が入力されました。西暦2035年東京。推定誤差は±0.000。システムチェックを実施……オールグリーン。付近に強大な重力場を確認。直ちに補正値を……。補正値の入力を確認。タイムマシン起動。データのフォーマットを実行中。---------出来れば平和的に解決したかったが、どうやら失敗した様だ。君はこのまま、キューブと一緒に元の時空へ帰ってもらう。安心してくれ、元いた時空は元通りだよ。それでは、もう会うこともないだろう。良い旅を』

総監が一方的に言い放った後、プツン、とスピーカーから、校内放送が終わる時の様な音がした。それ以降、スピーカーから総督の話し声が聞こえることはなかった。

 そうして光は一人何もできずに、タイムマシンと共に2035年へ帰還した。

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