エンゲージ・ヒューチャーガール3
2035年において、新聞は細々と存続していた。
出版各社のほとんどが電子媒体へサービスを移行し、ユーザーの多くがネットニュースなどに流出していく中、紙媒体の新聞を購読するユーザーも一定数存在していたのだ。
その多くが高齢者であり、年々減少していく運命にはあるが、紙媒体の新聞が日本から駆逐されるのはもう十何年かは先のことだろう。
そんな状況の中で、光は三日間に及び新聞を購入していた。近所のコンビニに新聞を置いていたのは幸運だろう。寝不足の頭を動かして、必死に状況を整理する。
ツァイトから渡された新聞の内容が、一語一句に至るまで、ここ三日間のものと完璧に一致していたのだ。
どう考えても辻褄が合わない。仮にツァイトが何らかの方法で新聞に掲載される内容を把握していたとして、そもそも新聞の原稿は当日締め切りなのだ。一語一句一致するわけがない。
理科準備室の中、鬼気迫る表情で光が言った。
「携帯、返して。私の」
開口一番それですか、と言いながら、ツァイトが携帯を返してくる。
ひったくるように携帯を取り返し、校内ネットワークにログインする。三日分の新聞は既にデータ化済みだ。日下高校の生成AIにデータを読み込ませ、ツァイトからもらったものとの差異を確認させる。
今日の朝までに何度も確認したのだ、多分意味はないだろう。それでも確認せずにはいられなかった。
「もういいでしょう。あまり時間を無駄にしたくはありません」
光は唖然とした表情でツァイトを見る。
「私は時空警察警視総監の命により、2300年から来訪しました。貴方は私に協力する必要があります」
日下高校の優秀な生成AIは、直近三日間の新聞が、ツァイトが渡したものと一語一句違わず一致することを証明した。
「我々は深刻なタイムパラドックスを発生させてしまう可能性があります」
毅然とした態度でツァイトが言った。
時刻は十七時半を回ったところだ。理科準備室には三日前と同じく、鮮やかな夕陽が差し込んでいる。
頭痛のする頭を労わりながら、光がゆっくりと発言する。
「……タイムパラドックス?」
タイムパラドックスとは、タイムトラベルによって過去に移動した際に発生する論理的な矛盾のことである。
有名な例として、親殺しのパラドックスがある。
例えば、ある人物が過去へタイムトラベルした際に自分の親を殺したとする。その場合、親が死んでいるため自分が生まれないことになり、過去へ戻って親を殺すことができなくなってしまう。
しかし、親が死んでいなければ自分が生まれてきてしまい、生まれた自分はタイムトラベルをして親を殺すことで、堂々巡りに陥る。
タイムパラドックスについてこれくらいの知識しかない光だったが、疑問を感じた。別に私とツァイトが遭遇したところでパラドックスなど発生しないはずだ。同一人物でもなければ、親しい間柄でもない。
光が考え込んでいるところ、ツァイトが話かける。
「貴方の疑問はもっともです」
「……いや、疑問なんて何もないですけd『同一人物ならいざ知らず、なぜ他人である我々が遭遇するだけでタイムパラドックスを引き起こしてしまうのか、ですね』…………。」
ツァイトの有無を言わさぬ態度に言葉を無くす。光は押しの強い人が苦手だった。
「実のところ、通常であればタイムパラドックスは発生しません。精々バタフライエフェクトによって未来がとんでもなく変更されるだけでしょう」
それは精々と言ったレベルではなく大事件なのではないか。大筋とは幾分かずれている疑念を感じた光をよそに、ツァイトが続ける。
「2300年においてタイムパラドックスとは、過去に移動し何かをすることで論理的な矛盾を発生させてしまい、結論が確定しなくなることを指します。その何かが過去の自分に会うことなのか、自分の親を殺すのかは些細な違いではありますが」
「その理論で言えば、貴方と私が出会ったところでタイムパラドックスは発生しないんじゃないですか……?」
光の疑問にツァイトが答える。
「そこなのです。私と遭遇したのが貴方であることが、最大の問題なのです」
ツァイトが椅子に座り直した。先ほどまで若干漂っていた、教師が学生に物事を教えるような、どこか温かみのある雰囲気は霧散し、厳かな会議中のような刺々しい空気に包まれる。
「隅野 光。貴方は今後30年以内にタイムマシンの大元となる理論を構築し、四次元空間における科学の分野を三世紀は前進させる偉大な科学者となる人物です」
光の脳内の半分ほどが「?」で埋め尽くされる。尤も、急にこんな大それたことを真顔で宣言されたとして、瞬時に満足な理解を示せる人間の方が少ないだろうが。
光の理解を待たないまま、ツァイトが続ける。
「貴方がその理論を提唱したからこそ、我々時空警察は2300年において十全に活動することができているのです。だからこそ我々時空警察は、貴方にだけは干渉してはいけなかった」
光が発言しようとするが、ツァイトがそれを許さない。
「我々が貴方に接触したことによって、貴方が将来時空理論を提唱しない、もしくは異なる理論を提唱するかもしれません。そうなれば我々時空警察は2300年において存在しないかもしれず、その場合2035年現在において貴方に干渉することができません。これはパラドックスです」
時空理論とは、将来提唱しているらしい理論のことだろうか。尤もらしい名前だ。
そこまで言ったところでツァイトが姿勢を和らげる。少しだけ空気が弛緩する中で、光は先ほどまでの話を整理しようとした。が、あまりやる気が起きない。そもそもツァイトが本当に未来人だったとして、どうして私が協力しなければならないのだろう。困るのはツァイトだけではないのか。
貴重な放課後の時間を奪われた苛立ちから、ツァイトに対して口を開く。が、それはツァイトによって阻止された。
「それに、これは貴方にも直接関係していることです。言ったではないですか、貴方は既に当事者です。貴方の意思に関わらず、貴方には協力してもらいます」
心を読まれたようでドキリとした。反射的に背筋が伸びる。
「そもそもタイムパラドックスが発生した時の影響が未知数であるということもあります。我々時空警察は徹底的に、パラドックスの発生を避けてきましたら。未だ可能性とは言え、パラドックスが発生したのはこれで3回目になります」
「……ツァイトさんの言ってることが全部本当だったとして。貴方が2035年に来たのが元凶なんじゃないですか? そんなに危ないってわかってたなら来なければよかったんじゃない?」
一泊置いて、ツァイトに問いかける。内心してやったり、とも思っているが、どちらにせよ気になっていたことではあるのだ。こんな危険を承知で、どうしてツァイトは2035年に来たのだろう。
「我々としても、こんな時代に来たくはありません。今回は特例です」
何がどう特例なのか。気になる光の内心を知ってか、ツァイトが続ける。
「2300年において、重要な未確認事項があります。私は先程、貴方は今後30年以内に時空理論を構築することになると説明しましたが、実は理論を構築した正確な時間が判明していないのです。勿論、直接干渉することなく過去を観測する手段はありますが、なぜだかこの時代だけ正確に観測できないのです。これが、そうですね……。」
ツァイトが考え込む。一瞬の静寂が生まれた。
「……貴方にわかりやすいように例えると。この問題が、例えばレピュニット素数が無限に存在することの証明と同じように、未解決であろうとなんだろうと、解決されていないことによって大きな不都合や影響が生じないものであれば、我々もここまで躍起になって調査を行なっていません」
レピュ……な、なんだ? 急に難しいことを言わないでほしい。そんな単語初耳だ。
「貴方が時空理論を構築した正確な情報が不明であることが、我々の活動に致命的な問題を発生させている認識していれば問題ないです」
呆れたようにツァイトが言った。そうなら初めからそう言ってほしい。若干不満を感じながら、ツァイトの言葉を聞く。
「時空警察は未来において、少なくとも1973年に干渉を行うことが確認されています。つまりは、貴方が理論を構築するより前の年代に干渉することが確定しているのです。干渉による未来への影響を最小限にするためには、貴方がいつどこで、何をもとに時空理論を構築したのか、詳細に把握しなければなりません」
そこまで言ったところで、ツァイトが声色を変えた。
「そう言えば、先程から貴方が当事者であることを懇切丁寧に説明していましたが、協力者として何をしてほしいのかの説明をしていませんでしたね」
ツァイトが足元の鞄に手を伸ばす。少し鞄をまさぐったかと思えば、特徴的な形状をした銃を取り出して、銃口をこちらに向ける。
……忘れてたけどこいつ、犯罪者じゃないか!
逃げようとするが時既に遅く、蛇に睨まれた蛙のように身動きがとれなくなる。
「心配しなくても、打たれたところで死にはしませんよ。これは殺傷を目的とした物ではありませんから。ここ十分少しの記憶が無くなるだけです。ただ、貴方にお願いがありまして」
上機嫌そうにツァイトが話す。光は嫌な予感を隠しきれなかった。
「実はタイムトラベルをする際にちょっとしたアクシデントが発生しました。携帯用のレプリケーターは何とか守りましたが、帰還用のタイムマシンや通信機器などが跡形もなく吹き飛んでしまったのです。少しの間、住居と電力と資材を分けていただけませんか? ほんの三十日ほどで十分です」
三十日はほんの少しじゃない。銃口を向けられたことによる緊張を振り解き、震える声を何とか絞り出した。
「……い、嫌って言ったら、どうするんですか?」
「撃ちます」
ツァイトが即答する。怖い。恐怖で震える光を他所に、ツァイトが信じがたい言葉を続ける。
「もう三度ほど撃ちました。この説明をするのも三回目です。諦めてください」
なんてことだ、もう三回も撃たれていたとは。さっきから頭痛がすると思っていたが、十中八九撃たれたせいだろう。脳に悪影響とかないのだろうか。
「……代わりに実験レポート、書いてくださいね」
光の言葉に、ツァイトは満足そうに頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます