エンゲージ・ヒューチャーガール4

「貧相ですね。ネカフェの方が遥かにマシです」

光の住居を見たツァイトは、開口一番そう呟いた。どうやら2300年でもネカフェは生存しているらしい。

わざわざ住まわせてやるのに失礼だな、と思わずにはいられなかったが、250年ほど住んでいる時間が違うのだ。常識が根本的に違う可能性もある。もしかしたら未来人は皆とんでもない毒舌なのかもしれない。光は無理矢理納得することにした。

 光の住居は、東京都内にある1Kのアパートである。

10帖の居室が一部屋に、キッチンが廊下にある。幸運なことに風呂トイレは別だ。

両親はオートロック付きのマンションに住まわせたかったらしいが、都内は地価が高いのだ。現実的に考えると、とても手が届かなかった。

居室にはベッドが一つに勉強用のデスクが一つ。小さいが折りたたみ式のローテーブルも一つある。他にあるものといえば、本棚が精々だろう。教科書や専門書がぎっしりと詰まっている。一人暮らしならば十分な広さだったが、自分以外にもう一人いるだけで一気に狭くなった。

 光の家に着いた時、ツァイトはまず携帯用レプリケーターをコンセントに繋いだのち、我が物顔でくつろぎ始めた。レプリケーターは3Dプリンターのような外見をしていた。ご丁寧なことに、ローテーブルの上を占拠するように置かれている。せめて床に置いてくれないだろうか。

 今朝まではすっきりとしていた自宅が、もはやツァイトが新しい主人であるような空気に包まれている。そのことに若干の不満を感じながら、光が我が物顔でくつろぐツァイトに話しかける。

「それで、いつまで居座るつもりなの? 生活費切り詰めないといけないから教えて欲しいんだけど」

「とりあえず1ヶ月程度はお邪魔させていただきたいですね。それだけあれば本部と連絡できるようになりますから」

帰宅中に会話していたところ、敬語は不要だと言われたのだ。ツァイト曰く、歴史上の偉人に敬語で話しかけられるのが耐えられないらしい。口調とは裏腹に少しだけ可愛らしいメンタルをしている。

 それはさておき、どうやら1ヶ月は居座るらしい。いくらか貯金があるとは言え少し厳しい。生活費の工面を考えていたところ、ツァイトから声がかけられる。

「そう心配しなくても、お金は後でお返ししますよ。勿論色はつけます。我々とて、事前の準備なしに現地調査をしているわけではありません」

心配しなくても1ヶ月持つ自信がないから金の工面を考えていたのだ。貯金だって潤沢にあるわけではないし、地元と比べて東京は物価が高い。

取り合えず食費から削ろうかな、などと考えているところにツァイトが話しかけてくる。

「明日の放課後はホームセンターに向かうので、予定を空けておいてください」

「……なんで? 嫌なんだけど」

「レプリケーター用の資材が枯渇していると言ったでしょう? いずれにしよ資材の補給は必要なのですから、遅いか早いかの違いです。それに、早めに印刷しておきたいものもあります」

そういいながら、ツァイトはベッドに横になった。こいつまさか寝る気か。

「そこ私のベッドなんだけど。布団出すからそっちで寝てよ」

「いいじゃないですか。減るもんじゃないですし。どうしてもと言うなら、その布団とやらを敷いてから私を退かせてください」

喧嘩を売っているのだろうか。そう思った矢先、ツァイトが続く言葉を発する。

「それに、実際問題私はあまり動けません。電力補給をレプリケーターに集中させているので。明日かどうかはあなた次第になりますが、どこかのタイミングで資材の補給に出向くことを考えると、あまり迂闊に行動できないんですよ」

 子供がよくやるしょうもない言い訳だろうか。と一瞬思ったが、こんな態度でもツァイトは未来人なのだ。理由くらいは聞くべきだろう。

「なんで?」

「私たち未来人は、2035年からすれば異物でしかないのです。原因は幾つかありますが、最も単純でわかりやすい事実はは、エネルギー保存則に反していることでしょう」

思っていたより真面目な答えが返ってき、少し鼻白んでしまった。気を取り直して、少し考えてから返答した。

「……詳しくないから合ってるかわからないけど、何もないところからいきなり人間が現れるからってこと?」

「さすがですね。理解が早くて助かります。2250年以降であればこの問題は発生しないのですが、ここは2035年です。あなたたちの視点で見れば、私たちタイムトラベラーは何もない空間から唐突に現れることになります。かのアインシュタインが示したように、質量はエネルギーを持ちますから、これは保存則を破っています。それに、因果律も破綻していますしね」

因果律とは、原因があるから結果が引き起こされる、みたいな意味の言葉……だったはずだ。

「我々が過去へタイムトラベルする時に最も警戒するのはタイムパラドックスの発生ですが、次点で警戒するのは、過去へ干渉したことによる未来の変更です。バタフライエフェクトは、思ったより簡単に発生するんですよ。…………喉乾いたので水もらっていいですか?」

 言いながら、ツァイトは水を要求してきた。黙って水道水を適当なコップに入れて差し出すと、ツァイトはベッドから上体を起こして、喉を鳴らしながら水を飲む。いい飲みっぷりだ、喉が渇いていたのだろう。喉仏が大きく動いているのがわかる。

なんかちょっとえっちだな…………。

「……ありがとうございます。話を再開しますが、例えば過去へ送ったものが私のような生物であれば、呼気、分泌液や排泄物、移動による気流の乱れ。無機物のみで構成された機械だとしても、センサーを介した量子観測による状態変化や半減期による放射線放出、質量による重力の発生など、微細なこととはいえ、移動先の時空へ影響を与える事象が多々あります。勿論、我々時空警察はそれらへの対処法を確立してはいます。洗練されてはいませんがね」

飲み終えたコップを返しながら、ツァイトは説明を続ける。

「私が着ている制服も、数ある対処法の内の一つです。消費エネルギーこそ大きいですが、私が存在することによる時空への影響を極力抑えることができます」

へぇ、と相槌を打ちながら納得する。要はカオス理論と同じだろう。ほんの少しでも条件が違えば、時間が経過するほど結果が大きく変わるのだ。

「じゃあ布団敷いたらどいてね。片さないであげるから」

理由はともかく、それは自分のベッドだ。ツァイトは光の無慈悲な言葉に抗議の声をあげたが、およそ三分後にベッドから引き摺り下ろされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る