28 閑話 決断の夜
王宮の夜は、静寂と重圧に満ちている。父王の寝室を後にし、私は人気のない書斎に身を置いた。分厚いカーテンが外の世界を遮り、蝋燭の炎だけが机の上に淡い光と影を落としている。
父上の手は、かつての威厳を失い、今はただ静かに私たちを見つめていた。あの背中を追いかけていた幼い日々は、もう遠い過去だ。今、王家の未来もまた、あの炎のように揺れている。
イザベラは、王国の秩序を守るためなら、どんな手段も選ばないだろう。だが、私は――本当にそれでいいのか。民の声を無視し、王家の威光だけで国を治めることが、果たして正しいのか。
カタリナは、まっすぐに民の幸福を信じている。彼女の理想は時に無謀に思えるが、その純粋さに救われる人もいる。私も、何度も救われてきた。だが、理想だけでは国は動かない。現実の重みが、私の肩にのしかかる。
議会は揺れている。庶民院設立を求める声は日増しに強くなり、保守派の結束も揺らぎ始めている。イザベラと対立することになれば、王家は分裂し、私自身も標的になるかもしれない。それでも――
私は、民の声を受け入れるべきだ。王家の誇りと民の幸福は、きっと両立できるはずだ。そう信じたい。たとえ、イザベラに憎まれようとも。
ふと、扉の向こうで控えめなノックの音がした。
「……入れ」
入ってきたのは、イムレだった。近衛騎士の礼装に身を包み、いつものように静かな微笑みを浮かべている。
「アマデオ様、今夜はお休みになれそうですか?」
私は苦笑し、首を振る。
「眠れそうにないよ。……イムレ、君は?」
「私は、いつでもお傍におります」
その言葉に、胸の奥が温かくなる。イムレは、幼い頃から私の傍にいてくれた。忠義深く、誠実で、誰よりも私を理解してくれる存在だ。
「……君がいてくれるから、私は決断できるのかもしれない」
イムレは驚いたように目を見開き、すぐに静かに微笑んだ。
「アマデオ様の決断なら、どんなものでもお支えします。私は、ただ……」
言葉を探すように、イムレは視線を落とす。その横顔には、静かながらも揺るぎない思いが滲んでいる。
「……ご無理をなさらないか、それだけが心配なのです。アマデオ様は、いつもご自身のことより周囲のことを優先される。王家の責任も、民のことも、すべてを背負い込んでしまわれるから……」
イムレはそっとアマデオを見上げ、微かに微笑む。
「どうか、ご自身のことも少しは大切になさってください。私は、アマデオ様が苦しむ姿を見るのが、何よりも辛いのです」
イムレの声は静かだが、その奥には深い信頼と、言葉にしきれない想いが込められていた。
その今にも泣く出しそうな情けない顔に、私はそっと手を伸ばした。
「ありがとう、イムレ。君の忠義も、優しさも、私は誇りに思う。……いや、それ以上に、君が私の傍にいてくれることが、何よりの支えだ」
イムレはわずかに頬を染め、静かに頷いた。
「私は、アマデオ様のためなら、どんな運命も受け入れます」
私は、イムレの手をそっと握る。言葉にはできない想いが、指先から伝わる気がした。
「明日、私はダルマティア管区の庶民院設立を支持する声明を出す。イザベラと対立することになるだろう。それでも、私は……」
「どんな決断でも、私はお傍におります。どうか、ご自身をお責めにならないでください」
イムレの声は、静かで、しかし揺るぎない強さを帯びていた。
「君がいてくれる限り、私は恐れない。……ありがとう、イムレ」
夜明け前の静けさの中、私はイムレの手を離さず、窓の外に広がる闇を見つめた。王家の未来も、私自身の運命も、まだ何も分からない。だが、君が傍にいてくれるなら、私はどんな困難にも立ち向かえる。
――夜明けは、もうすぐだ。
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