27



 王宮の奥、静かな回廊をアマデオ兄さまと並んで歩く。

 一歩後ろには、ラウノとイムレが護衛としてついてきている。

「今日はヴィクトーリアは一緒じゃないんだね」

 アマデオは珍しそうな目でからかう。

「ええ、今日は部屋で休ませています。少し疲れてしまったようです」

「それはいけない。後で何か滋養の付くものを持って行ってあげるとよい」

「大丈夫だと思いますよ。今日、来れないことをひどく悔やんでいたので、むしろ、連れてきた方が元気だったかもしれません」

 他愛のない会話を楽しんでいたところ、両開きの重厚な扉の前に着く。

 ラウノが控えめに一礼し、「私は部屋の前で見張っています」と小声で告げてくれる。

 カタリナは軽く頷き、兄とともに扉をそっと開けた。


 部屋は朝の光がカーテン越しに淡く差し込み、静寂に包まれている。

 ベッドの上には、やつれた父王――アウレリウスが静かに横たわっていた。

 アマデオが枕元に近づき、優しく声をかける。「父上、カタリナが見舞いに参りました」

 父はゆっくりと目を開け、微かに微笑む。「……遠いところ、よく来てくれたな。カタリナ、顔色が良くないぞ。無理はしていないか?」

「ご心配をおかけしてすみません。父上こそ、お加減はいかがですか?」

「年寄りの風邪だ。だが、こうして子どもたちの顔を見ると、少しは元気が出るものだ」


 アマデオが水差しを手に、「薬は飲みましたか?」と気遣うと、父は「お前は昔から世話焼きだな」と苦笑する。

 カタリナは、ふと幼い頃の思い出を口にした。「昔、兄さまたちと王宮の裏庭でかくれんぼをしたのを覚えていますか?イザベラ姉さまが見つけるのが一番早かったんです」

 父は目を細めて頷く。「あの頃は、皆よく一緒に遊んでいたな……今は、兄弟仲も少し冷えてしまったようだが」

 アマデオが苦い顔で言う。「イザベラは、相変わらず厳しいですから。父上も、もう少しイザベラをたしなめてくだされば……」

 父は静かに首を振る。「兄弟というのは、時にぶつかるものだ。だが、家族であることに変わりはない。……カタリナ、お前も、アマデオも、イザベラも、皆、私の大切な子どもだ」

 カタリナはそっと父の手を握る。「はい。私も、家族を大切にしたいと思っています」


 しばらく、三人で昔話や家族の思い出を語り合う。

 父の声は弱々しいが、どこか温かい。

 カタリナは、ふと父の横顔を見つめた。かつて、王宮の大広間で玉座に座る父は、誰よりも大きく、威厳に満ちていた。

 その一声で臣下たちを従え、兄姉たちも、幼い自分も、父の背中を追いかけていた。

 あの頃の父は、王国そのものの象徴だった。

 だが今、ベッドに横たわる父の手は細く、肌は透けるように白い。

 言葉の端々に、かつての力強さはもうない。

 それでも、父が自分たちを見つめる目だけは、昔と変わらず優しかった。


(――本当に、時は残酷だ。父も、王国も、永遠ではない。私は、父が守ってきたものを、これからどう受け継げばいいのだろう)


 胸の奥に、寂しさと決意が同時に湧き上がる。

 父の弱り切った姿を見るのは、正直つらい。

 けれど、今の父の静かな微笑みも、カタリナにとってはかけがえのないものだった。


(私は、父の誇りでありたい。けれど、父の時代とは違う未来を選ぶことが、果たして親不孝なのだろうか――)


 カタリナはそっと父の手を握り返し、心の中で静かに誓った。

 どんなに時代が変わっても、この人の愛と誇りを胸に、前に進もうと。


 やがて父が静かに尋ねる。「……さて、王都の様子はどうだ?」

 カタリナは、王都での多数派工作の進捗や庶民院設立の困難について、簡潔に報告した。

「進歩派の中にも協力を約束してくれる方はいますが、イザベラ姉さまや保守派の妨害も強く、道は平坦ではありません」

 父はしばらく黙って話を聞いていたが、やがて枕元の小箱に手を伸ばす。

「……そうか。やはり、簡単にはいかぬな」

 そして、封蝋の施された書簡をカタリナに差し出す。

「ほれ、これが欲しかったんだろう?」

 カタリナは驚き、思わず父の顔を見上げる。

 アマデオも息を呑む。

「父上……これは……」

 父は多くを語らず、ただ静かに微笑むだけだった。

 カタリナは感謝の気持ちを抑えきれず、何度も頭を下げる。「本当にありがとうございます。父上のご厚意がなければ、私たちは何も始められません」

 アマデオも「父上のご決断に、心から感謝します」と続ける。

 父はしばらく天井を見つめ、「……だが、カタリナ。お前は本当に、民の声を信じているのか?王家の権威を手放してまで、民主主義を選ぶ覚悟があるのか?」

 カタリナは真剣な表情で頷く。「はい。私は、民の声がこの国の未来を導くと信じています。けれど、父上のご懸念も分かります。民意は時に揺れ動き、誤ることもあるでしょう。でも、私はその危うさごと、未来を託したいのです」

 父は静かに目を閉じ、「……お前の信念が、国を導く光となることを願っている」とだけ言った。

 カタリナはもう一度、深く頭を下げる。「必ず、父上のご期待に応えてみせます」

 父は微笑み、「……頼んだぞ」とだけ言い、二人は静かに寝室を後にした。


 廊下に出ると、ラウノが静かに控えている。

 カタリナは手にした書簡をそっと胸に抱きしめ、王宮の静けさの中で、父の温もりと重みを噛みしめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る